心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
わかりやすい表現
ヒューマンエラー、安全
ポジティブマインド
大学教育
老人心理

●加害   安全・安心の心理学

2009-02-23 | 安全、安心、
06・6・20海保博之
 
加害


**4行あく

           ———「誰もが加害者に」の社会
●誰もが加害者に
安全、安心の問題は、圧倒的に、自らが被害者になることを前提にしている。いかに自然災害や犯罪から身を守るか、いかに事故にあわないようにするか、をもっぱら考える。本書でもだいたいそういうスタンスで書かれている。
しかし、車社会の到来が事態を劇的に変えた。被害だけを考えていては安全、安心の問題は十分ではなく、もう一方の加害のほうにも目を向けなければならなくなってきたのである。
交通事故の領域では、そのことの認識はすでに確立しており、交通安全というと、たとえば、歩行者、つまり被害者と、運転者、つまり加害可能性者とに、同時にほぼ等分に対策を立てるようになっている。
 ●加害の心理
  人や物や社会に害を与えるには、まず、大きく3つのケースに分かれる、
一つは、加害の意図がまったくなかったのに、しかし、結果として害を与えてしまった、というケースである。無意図的な加害である。交通事故に限らず、あらゆる領域で、このケースは非常に多い。業務上過失として罪を問われる。
2つは、知らなかったために害を与えてしまった、というケース。無意図的加害と似ているが、知識が関与している点で分けておく。知っていれば防げた加害である。たとえば、お客に有毒のキノコを食べさせてしまったようなケース。意図も知識もなかったための加害である。これも、場合によっては、業務上過失の罪を問われる。
3つは、そうしようと思って害を与えたケース。ほとんどの犯罪がこれである。だから、警察は実にしつこく犯罪の動機を捜査の対象にする。見つからないと動機なき殺人なるカテゴリーに入れる。これについては、膨大な話になるので、ここでは取り上げない。

●そうするつもりがなかったのに
加害で一番やりきれないのが、無意図的な加害である。
車社会の到来以前は、このカテゴリーに入る加害はそれほど多くはなかった。車がステータス・シンボルだった時代には、加害者と被害者とははっきりと分離されていた。
しかし、誰もが車を持てる時代になると、誰もが加害者に、の時代になってしまった。被害者の数に匹敵するくらいの加害者が出てしまうようになったのである。しかも、その多くは、そうなるとは思ってもいなかったにもかかわらずである。
結果として、罪を問われ、ひどい場合は、社会的にも経済的にも計り知れないほどの不利益を被ることになる。交通事故の場合には、とりわけ世間の目は、最近ではやや厳しすぎるくらいになっている。「魔の一瞬」は誰にでも起こる。無意図的な加害には、もう少し寛容になれる社会になってほしいものだと思う。
 もっとも、こうした事情を想定すれば、もっと安全に留意した行動ができるはずなのにと思うことが少なくない現状であることも事実である。
 
●知らなかった
法律違反や手順違反による加害のケースでの言い訳によく出てくるのが、「知らなかった」である。知らなかったならしかたがないとの共感を期待する言い訳である。
このケースでも悪質なのは、仕事をする上では当然、そのことについての知識は持っていなければならないのに、持っていなかったというケースである。これは、組織にも責任がある。研修カリキュラムの欠陥である。
関連してやっかいなのは、きちんと教えられたのだが、たまたまその時に思い出せなかったための加害というようなケースである。人の記憶の脆弱さ起因するものだけに、加害者に同情したいところもある。
追い越し禁止ラインを「知らずに」とか、臨界条件を「知らずに」とかいうようなケースである。いずれも、どこかでは一度や2度は教えられたはずである。
知らなかった、正確には、思い出せなかったでも、それによって事故が起こってしまえば、加害者本人の責任が問われることになる。したがって、対策は本人自身、知識の再点検、リフレッシュを怠らないことであるが、組織としても、人の記憶の脆弱さに思いをはせた研修体制や仕事のやり方を考える必要がある。

●加害者にならないために
今や「一億総加害者」の時代といってもよい。そんな時代の生き方について最後に一言。
まずは、加害が想定される場には、できるだけ自分をおかないこと。歩いていけるところは歩く。車のスピードは出さない。リスクの高い支援はしない。これが極端になると、消極的な生き方になるが、加害が想定される場では、これくらいで良い。
次は、加害感受性を身につけることである。我が身にふりかかる危険の予知は、体験を通してそれなりの感受性を自然に身につけられる。しかし、自分が人や物や社会に対して害を及ぼすことについてはどうであろうか。想像をたくましくして加害予知訓練のようなことを頭の中でやってみることを勧めたい。
最後は、どうしても加害者になってしまった時のために、少なくとも金銭的な補償だけはできるように損害保険を掛けておくこと。
(K)

毎日更新記録がだめに

2009-02-23 | 心の体験的日記
気持ち、毎日更新だった
ところが更新記録ーーカレンダが赤になるーーー
をみると、19日が白
起床時間が12時前のことがあると
こういうことも起こる
残念
ギネス登録をねらった
今日から毎日更新記録へ挑戦
愛読感謝です

5年前の今日

2009-02-23 | 心の体験的日記
●今日の箴言、名言集04/2/23
 ブルックス-- センサーロボット(サブサンプション・アーキテクチャ)の提唱者ーーーより(糸井重里HPより)
「思考だけして行動しないシステムより、
  行動だけして思考しないシステムの方がよほど知的だ」
「部屋を横切れないような<天才>よりも、
  でこぼこな場所でも、
  体を揺さぶりながら渡り切ってしまう
  <愚か者>の方が正しい」
●認知的体験 04/2/23海保
「ちょっと不明なところがあるとインターネットで」
サブサンプション・アーキテクチャーが不明。インターネットで検索するとすぐに見つかる。なるほどなるほど。コピー・ペーストしたくなるが、じっと我慢して、自分なりの表現に直して原稿に入れる。しかし、無断引用への誘惑圧力が高い。それにしても、そのページの作成者名がないHPが意外に多い。純粋なサービス精神なんだろうなー。
@@@@
卒論は、ほとんどコピー&ペーストが主流
字体が違ったり
項番が違ったりはご愛嬌
でも
禁止はできない
それでも書いた効果を出すための指導の方策が必要
難しい