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9章 テニスをするーーー運動技能の形成」認知と学習の心理学

2020-06-30 | 認知心理学
05/11/6海保 


9章 テニスをするーーー運動技能の形成

9.1 テニス歴40年

●職住近接がテニスをする余裕を
25歳で徳島大学に助手として就職した。学生時代の千葉から茗荷谷までの片道2時間の遠距離通学から一転して職住近接となった。たっぷりと時間が出来た。その余裕時間の中の一部に入ってきたのが、テニスであった。運動場の隅にある二面のテニスコートで先生仲間と週に3,4回は、テニスをするようになったのである。
学生時代には、通学とアルバイトに時間をとられてしまい、運動も部活もまったくできなかった。そのうっぷんをはらすかのように、テニスに熱中した。

●楽しむだけのテニス
ほとんど正式の訓練は受けていなかったので、ルールもしっかりとは知らなかったほどである。余談だが、テニスは独特のカウントシステムをとる。0、15、30、40となる。今でも不思議に思っている。スポーツ文化に限らず、文化には外部からみると、奇妙なしきたリが多い。それを奇妙と感じなくなったら、その文化に同化できたことになる。
 そんな状態でいきなりぶっつけで試合を楽しむのである。最初は、したがって、迷惑参加であったが、ずうずうしく頻繁にコートに出かけた。次第に、上達してきて、それなりのゲームが楽しめるようになってきた。
ほとんどが研究室で一人で机にかじりついていることの多い生活の中で、身体を動かす楽しさと健康向上と共に、こうした場で普段はあまり話しをしたことのない先生仲間と一緒になれるのは実に楽しかったし新しい人間関係を作る上でも貴重であった。

9。2 練習嫌い
●上達しない
そのテニス。大学も筑波大学にかわり還暦を過ぎた今でも、昼休み会議などという無粋なことがあったりで、回数こそ週に2回程度にまで減ってしまったが、いまだに続いている。余談だが、そのテニス仲間、ここ20年くらいいつも同じ仲間ばかり。若い人がまったくといってよいくらいに入ってこないのが不思議である。
されはさておき、それほど好きなテニスでありながら、あるレベル以上に上達しないのである。理由ははっきりしている。練習しないからである。
そもそも、テニスをはじめた頃から、練習抜きですぐに試合である。以後、まったくといってよいほど練習なるものをしたことがないのである。上達はもっぱら試合をしながらである。したがって、上達レベルも推して知るべしである。そんな仲間がいるからいけないのかもしれない。

●うまい人ほど練習する
現在もっぱら使っている4面のコートのうち、隣のコートは、我々とはレベルの違う4人が使っている。その4人は、ゲームをするまでに、ストロークからはじまって、ボレー、スマッシュまで実に丁寧な練習をしてからやおらゲームをする。その頃には、我々はゲームも佳境に入っているのが常である。
下手なのだからもっと練習して上達すればよいのだが、その地道な努力が嫌いなのである。

9.3なぜ練習が嫌いなのか

●練習すれば上達する
運動技能に限らず認知技能も、上達には練習は不可欠である。練習の増加関数として、技能は向上するからである。一時的な進歩の停滞(プラトー)こそあれ、「間違った」練習さえしなければ技能が低下することはない。

図 典型的な練習曲線

それがやりたくないのである。
とはいっても、夏休みなどに一念発起して練習合宿に参加してこともある。コーチがいて、スケジュールに従って、黙々と球を追ったこともなかったわけではない。
そんなところで、我流でやると、コーチのチェックが入って直される。長年やってきたスタイルがそこで崩される。素直に欠点を直せるものもあるが、長年のくせがついてしまっているので、なかなかコーチの言うようにはできないことのほうが多い。その自分のふがいなさが練習から遠ざける要因の一つにもなる。とりわけ、年を重ねるほど妙なプライドだけが強くなってしまい、学びにとってもっと大切な素直さ、謙虚さが欠けてくるので、ますます学びの効果が上がらない。

●競争のほうが楽しい
 試合の勝ち負けを競うほうが楽しいということもある。競争は、何事によらず動機づけの有力な手段である。たとえ、何の報酬がなくとも、勝つことはうれしいし、負けるとくやしい。
また試合の中には、人間関係といった試合とはあまり関係のなさそうなものも含めてさまざまな要素が入り込んでいるので、それらと対処するのが楽しくーー時には面倒になることもあるがーー、また飽きがこないということもある。

コラム「競争と協調」******
テニスのダブルスには、相手との競争と共に、自分のパートナーとの協調も必要である。これが、ダブルスのおもしろさの一つである。
まれにすることもあるシングルだと、競争だけがあからさまになり、その重さが楽しみの枠を越えてしまう。かくして、シングルはほとんどしない。
しかし、これがプロテニスだと、逆に、シングルのほうが、見ていて楽しい。それぞれのプレーヤーが強烈な個性を発揮してプレーをするからである。それに加えて、人が競争の極地で苦しんだり喜んだりするところを見るのは、ドラマを見るようで実に楽しい。さらに、シャラポアのような美人が登場人物ともなれば言うことなしである。
  • *************************

●練習そのものが嫌い
これらは、なぜ練習が嫌いなのかへの周辺的な答えである。次は、練習そのものが嫌いな理由である。
一つは、単調さ。
ゲームの持っている多彩さにくらべると、練習は単調である。ストローク、それもバックストロークだけを何度も何度も繰り返しやらなければならない。要素動作の繰り返しは練習には必須であるが退屈である。
余談になるが、テニススクールにでも入ってみようかと、見学にいった。なんと、スマッシュコース、ボレーコースというように、練習するレパートリーが決まっていて、それだけを延々と練習しているのである。これは自分には向いていないとそこそこに退散してきたことがある。

2つは、強制感。
練習であるから、一定の目標へ到達することを目ざしての努力が必要である。一挙手一投足がその到達目標にふさわしいかがチェックされる。コーチでもいれば、なおさら、そのチェックは厳しいものになる。そこに、たかが遊びなのにというような不真面目な気持ちが少しでもあると、練習は強制されたものとの思いが強くなってしまう。

9.4 それでもうまくなりたい

●知は力なり
それでもうまくなりたいとの気持ちは結構強くある。しかし、気持ちだけではうまくはなれない。さて、どうするか。
まずは畳水練である。
畳水練とは、理屈だけ知ってもうまくなれないことを言うのだが、必ずしもそうとばかりは言えない。
理屈を知ることは、力になる。「筋力が弱くなってきたら少し重いくらいのラケットのほうがよい」という理屈を知り、ラケットを買い換えれば、それなりに強くなれる。知は力なりである。
筆者のような研究者・教員は、どうしても知識志向になりがちである。出来てもそれが知識として表現できない(説明できない)と気持ちが悪いということもある。
かくして、本棚にはテニス教本がずらりと並ぶことになる。

●見よう見まね
 もう一つは、見よう見まねで上達すること(モデル学習)である。
才色兼備のシャラポワの活躍もあり、テニスのTV中継もここのところかなり充実している。畳水練と違って、最終的な到達目標だけしか目の当たりに見ることができないのだが、それがうまくなるのに役立つと思って、TV観戦は欠かさないようにしてきた。
言うまでもないが、一流選手のやって見せてくれることは、我々が真似をすることができるようなレベルよりはるかかなたにあるものである。それでも、そうしたハイレベルの技は、自分の技を反省する素材を時折、提供してくれることがある。
攻撃的なボレーのアプローチの仕方、ストロークの配球などなど、「そうか、あのようにすればよいのか」と自得することが多い。それは、コート上でただちに実行できることではないが、いずれどこかでその何分の一かのレベルでと思っている。
さらに、一流の技を見られることで得られるものがある。それは、洗練された「テニス文化」である。本当は、試合場に足を運んで体得するのが王道であるが、TV中継でもそれなりに雰囲気くらいは感じとることはできる。
テニスに限らないが、それぞれのスポーツには、いわく言い難い暗黙の世界がある。挨拶の仕方や勝ったときの仕草、さらには競技中のマナーなどなど、長年かけて培われてきたその競技の文化としか言いようのないものがある。そんなものの片鱗をTV中継は垣間見せてくれる。これは、「気品のある」テニスをするのに役立っている。

  • ずるさで勝負
試合をしていると、確実に身に付くものが一つある。それは、勝つための戦術である。
相手がネットに寄ってきた時は、後方にロブを上げる。サーブ&ボレー作戦でくる相手には足下に球を落とすーーこれはかなり高等戦術。成功するのは一割にも満たないーー。2人の真ん中をねらって返球するなどなど。
戦術についての知識は豊富になる。そのうちのいくつかは、オーソドックスな戦術であるが、我流の戦術のほうが多い。それが成功した時の醍醐味こそ試合の魅力である。

内政干渉

2020-06-30 | 社会
他国の内政にとやかくいうのは、これまでは、内政干渉ということで、
あまり歓迎されなかった。
しかし、これほど世界がグローバル化すると、そうとばかりは言っていられない。
影響が自国にもおよぶからである。

香港事案、絶対反対を表明しておく。
せめて政経分離で、「政」のほうだけでも、日本政府、それなりの見解を表明してほしいもの。
その点(だけだが)、トランプ大統領は偉い。

「参考」
香港国家安全維持法案可決 中国全人代常務委 香港メディア
(NHKニュースより)
香港国家安全法が施行 「一国二制度」が形骸化、歴史的な岐路に
産経新聞 



自転車も怖い!!

2020-06-30 | 安全、安心、
東京の街中ですごした年末年始を挟んだ3か月。
怖かったのは自転車。

電動自転車つきのママチャリ
宅配自転車
高齢者の自転車

が3大怖い自転車だった。
幸い、何事もなく終わることができたが、
法律もできたことだし、運転者も車の運転以上に気を付けて運転してほしい。
保険加入も忘れずに!!



注意を注いでしたことは忘れない」10年前の今日の記事

2020-06-29 | 認知心理学
外出したときに、ガスの栓を閉めたかどうか気になって仕方がなくなってしまい、用事を早めに切り上げて帰宅する。ところが家に帰って確かめると、きちんと閉まっているのを見て安心すると同時に、何か損をしたような気になる。こんな経験は誰でも持っているはずである。
 その他に、施錠や窓を閉めたかどうか、しばしば提出する書類を今回もきちんと提出したかなど、いずれも決まりきったこと、手順化されてしまったことがしばしば気になるのは、あえてそれに注意を払っていないからである。
 逆に言えば、注意を注いでやっていたことはよく記憶できるということになる。先のようなケースを防ぐには、指差し確認や、したことを口に出して復唱すればよい。そうすれば、多少は注意を引くので記憶にも残ることになる。かくして、記憶をよくするには集中せよということになる。 



これはおもしろい!!「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京

2020-06-29 | 心の体験的日記

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京(上) (日本語) 単行本 – 2008/2/29

楡 周平  (著)

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京著者発行日発行元国言語形態コード
楡周平
2008年2月29日
講談社
 日本

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京』(ワンス アポン ア タイム インとうきょう)は楡周平による日本の小説。
『小説現代』(講談社)にて2004年7月号から2007年4月号まで不定期に全16回連載された。2010年1月から3月にテレビ朝日系列でテレビドラマ化された。同年3月、ドラマの続編となる「血戦 ワンス・アポン・ア・タイム・イン東京2」が書き下ろし100冊の1作として刊行される。

目次

あらすじ[編集]

1969年、東京大学安田講堂攻防戦に参加した女性活動家・有川三奈と、偶然彼女と知り合った苦学生・白井眞一郎は、互いに愛し合うも、やがて別々の道を歩んでいく。
それから30年の時が流れ、大病院の経営者となった三奈と大蔵官僚から与党の政調会長まで登り詰めた眞一郎は、三奈の息子・崇と眞一郎の娘・尚子の見合いの席で、運命の再会を果たす。







公認心理師も「公認されつつある」

2020-06-29 | 健康・スポーツ心理学
心理職求人情報館

@shinri_class

一宮市職員採用試験【実務経験者_公認心理師】(常勤職員) 8/14締切

@@
臨床心理士が、これまでの心理学の中でよく知られた資格(民間)だったが、
2,3年前から国家資格として別途「公認心理師」制度ができた。
はやくも認められつつあるようだ。
関係者の頑張りに敬意を表したい。
そして、どんどんこうした活躍の場が増えてほしい。

「参考」
文部科学大臣、厚生労働大臣指定試験機関・指定登録機関一般財団法人 
日本心理研修センター  
http://shinri-kenshu.jp/guide.html 








後知恵バイアス」安全・安心の心理学

2020-06-29 | 安全、安心、
05/11/21

後知恵バイアス

           ———後からならなんでも言える
●後知恵はいつも正しい
 何か事が起こってから、その原因に言及することを後知恵という。それにバイアスが付くのは、後知恵には、誤りが多い、あるいは真偽不明のことが多いからである。たとえば、
・自動車事故を起こした。あの時、もっと慎重に運転していれば
 よかった。
・地震で戸棚が転倒した。転倒防止棒を設置しておけば良かった。
いずれもそれなりに納得できる「正しい」原因のようであるが、本当にそうだろうか、と疑ってみると、たとえば、前者については、「慎重に」が心理的用語のために検証不能、後者は、転倒防止棒をしてあったとしても折れてしまって役立たずだったかもしれない。
このように、後知恵は、その真偽を問うことなく、自分自身に対しても、また人に事を解説する時にも、ごく普通に展開される一つの推論である。
自分で自分を納得させる推論としては、実に都合がよい。なにせ、自分の頭の中の知識を使っての推論なのだから。また、ニュース解説者などにとって、TVという情報権威付けのお膳立てもあって、その後知恵解説はすんなりと視聴者には受け入れられやすいし、視聴者にもそれでそれなりに納得してもらえる。
かくして、後知恵推論花盛りとなりがちであるが、繰り返すが、後知恵推論には真偽の確認が出来ないことが多いので、心ある人からすると、「そうは言うけど本当?」となりがちである。さらに、後知恵推論は、既有の知識の枠内に限定した狭い推論をしがちであるため、新奇な事態では誤る可能性が高くなる。
こうした後知恵推論が、事故の原因分析、犯罪の動機分析で使われるとどうなるであろうか。事故や犯罪が起こると、それが大規模かつ特異であればあるほど、どうしてそれが起こったのかを知りたくなるのは当然である。そこに後知恵推論への誘惑がある。

●事故の原因分析
事故が起こると、その原因は何かとなる。警察にとっては事故に関係した人々を裁くための論理を構築するため、一般には、次の事故の防止に役立てるためである。
事故分析は、事が起こってから時間を逆にさかのぼってその原因を探るので、逆問題と言われる。逆問題なので、当然、そこで展開する推論は後知恵となる。ただ、通常の後知恵推論とは違って、事故の場合には、多くの証拠が現場に残されることが多い。これが、後知恵バイアスを防ぐのに役立つ。たとえば、ブレーキ痕の長さから事故時のスピードをかなりの精度で推測できる。これは、後知恵ではなく、れっきとした科学的推論である。多くの事故分析では、こうした保全資料を科学的に分析することで、真の原因に迫る。
問題は、原因が錯綜していたり、どうにもわけがわからない時である。そんな時に使われるのが人為ミス説という後知恵の定番である。これなら、人がかかわる事故の原因としてはほぼ当たりである。これですべてが解明され、事は一巻の終わりとなる。しかし、このような形での人為ミス説は、思考停止のための概念装置でしかないし、次の事故防止のために実効性のある対策もままならない。

●犯罪者の動機分析
事故分析の人為ミス説と似たような後知恵の定番が、犯罪者の動機分析である。
こちらのほうは、たとえば、証拠にもとずいて殺人がどのようにおこなわれたかを完全に解明でき犯人が検挙されても、ひつようにおこなわれる。場合によっては、それによって、罪が軽くなることさえある。
犯罪の動機探しは、ほとんど証拠のない逆問題解きになる。「むしゃくしゃしていたから放火した」「無視されたから殺した」などなど。もっぱら犯人の自供からからーーこれも後知恵なので真実とは限らないことがあるーー、その動機を推論することになる。それが衆目の納得のいくものであれば、それで終わり。納得がいかない動機説明(供述)がなされると、最悪は精神鑑定となる。

●後知恵バイアスを克服する
後知恵バイアスと名を打ったために、後知恵が悪者のような話になったが、しかし、後知恵にもそれなりの利用価値があることは確かである。。
まずは、後知恵を無造作に使ったり、その真実性を頭から信じてしまうようなことがないように注意すること。そういうこともあるかもしれないが、別の可能性もあるかも、としれないと常に疑いの
心を持つ。
2つは、後知恵は、自分の既有知識を使っての推論である。したがって、知識の質を良質なものにする努力を怠たらないようにする。そうすれば、後知恵にも理ありとなる。
 3つ目は、あいまいさ耐性をつけること。浅薄な後知恵が展開されるのは、ともかく早くわかってしまいたい、何が何やらわけがわからないのはいや、との気持ちが強い時である。訳がわからない状態であれこれと思いをめぐらすことをを楽しめるくらいになれば言うなしである。
最後は、検証マインドである。事実や証拠による検証がなされるまで事の真実を納得しないメンタリティも必要である。科学的思考と言っても良い。(K)



8章 コンピュータ・ゲームで楽しむ」認知と学習の心理学

2020-06-28 | 認知心理学

05/11/6海保博之


8章 コンピュータ・ゲームで楽しむ

8.1 書斎でのひそかな楽しみ
●一人こっそりマージャンゲーム
●昔覚えた遊びの復活

8.2 手軽さ
●遊ぶのに努力がいる
●遊びの面倒さこそ大事
●コンピュータゲームは子供にさせるな

8.3 即応性
●反応があるのはうれしい
●人間になじむ即応

8.4 上達する
●仕掛けを知る
●頭の使い方の上達

8.5 コンピュータゲームに熱中させるもの
●達成感
●」挑戦心
●集中力
●コントロール感

********
8章 コンピュータ・ゲームで楽しむ

8.1 書斎でのひそかな楽しみ

●一人こっそりマージャンゲーム
書斎に入ると、まずは、コンピュータを立ち上げる。そしてまずやることは、HPにその日の「認知的体験」を書くことと、麻雀の一人ゲームである。
1回およそ10分。これで頭をならしてから、おもむろに仕事にかかる。しかし、書斎を出るまでに、1回のゲームで済むことは、実はまれで、原稿が書けなくなってしまったような時、一段落ついて次の仕事にかかる時などにも、つい、ゲームのファイルをクリックしてしまう。時折、家内に見つかり、ばつの悪い思いをすることもある。

●昔覚えた遊びの復活
麻雀は大学生時代に覚えた遊びである。今考えると、よくあれほど暇な時間があったものと、びっくりする。しかし、友人4人とのゲームは実に楽しかった。さすがに、就職してからこれまでは、まったくしなくなった。時間もないし、仲間もいない。
それが、ある日、大学院生からコンピュータで麻雀ができることを教えてもらってからは、ほとんど日課の遊びになったのである。
いつでもどこでもできる一人麻雀ではあるが、それでも、自分なりにルールを決めて自己規制はしている。そうしないと、際限がなくやってしまう不安があるからである。そのルールは、「半チャン一回だけにする」「特定のパソコンだけでする」である。
それでも、このルールを破りたい誘惑にかられてしまう。ルール破りをして自己嫌悪に陥ってしまうことも、これまで何度となくある。
 それほどまでしてやってみたいと思わせるコンピュータ・ゲームの魅力はなんであろうか。3つ取り上げて、分析してみることにする。

コラム「麻雀救国論」*******
日下公人氏は、文藝春秋(05年8月号)のコラムで、「麻雀には運と理論とスピード(リズム)とがある」として、その効用を論じたあとに、こんな提案をしている。
1)少子化対策には麻雀を
 結婚しないのは伏せてあるパイをあくまで測定しようとするから婚期を逃してしまう
2)理論倒れを防ぐには高校から麻雀を
 理論やデータが集まってからでは遅い。運にかけることも必要。
3)公務員試験にも麻雀を
 自分がプレーヤーになってやってみなければわからない。
4)政策立案者はリズムがよい人にせよ
 物事を決めるには、待ったや早あがりなど複雑なリズムがある。
******


8.2 手軽さ

●遊ぶのに努力がいる
4人麻雀で一番苦労するのは、4人目を誘うこと。不思議に3人までは簡単にそろうのだが、4人目を見つけるのが難しいことが多い。遊びたい一心であちこちに頼み込むことになる。
ところが1人麻雀には、こうした煩わしさがない。やりたいときに誰になんの気兼ねもなくできる。
努力しなければならない遊びも世の中にはたくさんある。人集め もそうだが、わざわざ一定の場所までいかなければできない遊び、精巧な道具をそろえなければならない遊びなどなど。
それにくらべれば、コンピュータ・ゲームのこの手軽さは驚くべきことといってよい。

●遊びの面倒さこそ大事
話がいきなり飛ぶが、この手軽さ、遊びに入るまでのさまざまな面倒が障害になって遊びに消極的になりがちな高齢者には、うってつけの遊びの環境を提供している。高齢者の持っている残存能力の維持にも有効だと思う。ポルノ映画を見せて元気づけるのもよいが、こうした知的ゲームで頭を使ってもらうこともぼけ防止の対策としてあってよい。なぜ、ゲームメーカーはもっと高齢者向けのゲームソフトを開発しないのだろうか。市場としてはこれからどんどん拡大一方なのに。不思議でならない。
脳の活性化と称して、毒にも薬にもならない単純計算を高齢者にさせて喜んでいる現状にはなんともはがゆい思いである。

●コンピュータゲームは子供にさせるな
それに対して、子供がこうした手軽なコンピュータ・ゲームで遊ぶことにはまったく賛成できない。全面禁止にしたいくらいである。
遊びに友達をさそう。ことわれれる。落胆する。それでも別の友達に声をかけてみる。そうした過程で培われる社会的スキルは、子供が将来生きていくには必須である。
ゲームをする中でのさまざまな社会的交流も、遊びならではのものがある。勝負を競う遊びなら、勝つ喜びと同時に、負けた相手を思いやる気持ち、相手を出し抜く戦略を編み出すための知力も陶冶できる。
すべて手軽ではない。しかし、子供にとっては、この手軽でないさまざまな面倒こそ、学びの恰好の機会であり素材なのである。
こんな懸念もなんのその、ゲームメーカーは次々と新手のゲームを開発しては、子供の心を虜にしている。こんなことをしていると日本の将来が危ういとさえ思ってしまう。杞憂にすぎないことを切に願うものである。

8.3 即応性

●反応があるのはうれしい
クリックすると、ただちにコンピュータのほうからの反応がある。その反応速度は、人間の時間感覚からすると、はるかに速い。その早さに促されるようにして次の手を打つ。いつもコンピュータのほうから反応を催促されているような焦燥感さえ感じてしまうほどである。
オペラント条件づけの原理を応用したプログラム学習を開発したスキナーは、いくつかの学習原理を提案している。その一つに、即時強化の原理がある。学習者が何か回答したら、それに対して即座に正しいか誤っているかをフィードバック(強化)せよ、という原理である。
コンピュータ・ゲームには、意図的か否かはわからないが、この即時強化の原理が実に巧みに作り込まれているのがわかる。
相手が当たりパイを捨てれば、ただちにロンと表示される。その瞬間がたまらない。これが、捨ててからロンまで何秒かたったらどうであろうか。気が抜けてしまう。
即時強化の原理には、学習、遊びを継続させる強い力がある。次の強化を得たいがために次の反応を、そしてまた次の強化を得たいがために次の反応を、−−−−−という、継続性のある反応を促す強力な仕掛けになっている。

●人間になじむ即応
しかし、4人麻雀でのゆったりしたり、あせったりといった、あの人間的な時間のオーダーは一人麻雀にはない。次々とパイを捨ててはその結果をみるだけである。楽しみは、ほんのわずかな戦略上の工夫と偶然性の妙だけである。麻雀はそれだけでも充分に楽しい。
それはそれで結構なのだが、即応性にも怖いところがある。
コンピュータ・麻雀では自らの手を決めるまではどれほどの時間をかけても文句は言われない。それはそれでありがたい。問題は、ひとたび行為をすると、それに対してただちに反応があることである。その「ただちに」は、コンピュータの時間オーダーであるナノ秒(10億分の1秒)とはいわないが、ほとんど瞬時なのである。
人間に備わっている時間オーダーでは、瞬間とは20ミリ秒(1000分の秒)程度である。20ミリ秒ずらして、左右に何かをみせると、両者がほぼ同時に出たかのように見える。
実際は、何かの反応をしてから(継時的に)次の反応が出てくるのが自然なのだが、反応するとほぼ同時という感じでコンピュータが反応してくるのは、非常に不自然である。したがって、疲れる。
しかし、考えてみると、我々は、果てしなくスピードを追求してきた。

**図
  歩くよりも速い馬、馬より速い蒸気機関車、それより速い
  飛行機 エスカレータの速度
*****

コンピュータもまったく同じである。かつては、反応が遅くていらいらさせられた。因子分析という複雑で大規模な計算は、一晩がかりだった。それが、今は、秒単位で結果が出てくる。
速いことはそれほど悪いことではない。むしろ、うれしいことのほうが多い。しかし、コンピュータとのつきあいをより人間的なものにすることを志向するインタフェース設計では、人間の時間感覚のオーダーにコンピュータの反応のオーダーを合わせることがあってもよいかもしれない。コンピュータ側に少し待ってもらうくらいのインタフェースである。そんな時代になったのである。

8.4 上達する

●仕掛けを知る
コンピュータ・ゲームの魅力のその3は、上達である。
麻雀ゲームは、基本は、乱数ベースで全体が進行しているようであるが、その中にも、プログラマーによるいくつかの仕掛けがあるらいしきことがわかる。たとえば、捨てパイがおしくなる配パイがなされるとか、かんちゃん待ちのあがる確率が高いとか。こうしたシステムのくせがわかってくると、あまり負けないですむ。したがって、今では、3回に1回くらいはトップになれる。
もちろん、こちらの戦術上の進歩もある。いずれにしても、ゲームをすることでゲームに上達しているという感覚を持てるのはうれしい。それがさらなるゲームの継続を動機づける。かくして、いつまでたっても止められない。止めるつもりもない。

●頭の使い方の上達
上達には、運動技能の上達の意味で使うことが多い。しかし、目に見えないため、そして、無意識の世界で事が進行しているために見落とされることが多いが、認知技能(頭の使い方)の上達もある。麻雀ゲームの上達はこちらのほうである。
 運動技能の上達については、次章「テニスが上達しない」でじっくりと考えてみる。むろん、両者には共通するところも多いが、ここでは、覚えたり、考えたり、判断したりといった認知技能の上達について考えてみることにする。
 
コンピュータの麻雀ゲームは、自分の場合は、すでに4人ゲームで腕を磨いていたので、特別に上達したということはない。せいぜい、コンピュータ側のいくつかの仕掛けに対して対応することができるようになってきたに過ぎない。
しかし、4人でする本物の麻雀ゲームは、パイの名称から始まって、ルール、点数の数え方などまずは膨大な量の基本知識の記憶が必要とされる。にもかかわれず乱暴なことに、ごく基本的な事だけを教えてもらうとただちに実践である。当然、負ける。それがバネになって寝ても覚めても麻雀のことばかり考えている。したがって、上達も速い。ともかく、勝ちたいの一心である。動機づけは上達の原動力である。
そして仲間との実践(遊び)の中で学ぶことの凄さ。仲間とのやりとりの中で、その時その場で必要な知識を頭にたたき込んでいく。わからなければ聞く。教えてくれない時は場の中で自得する。そして最終的には、相手をたぶらかす言動などかなり高次の技能まで一気に自得することになる。
たかが遊び、されど遊びである。ここで習得した知識と技能を列挙してみたらゆうに一冊の本ができるのではないか。
その知識は、世の中にでても陰に陽に役立っていると思っている。

コラム「頭の中の知識の分類」***************
認知の科学は、知識の科学でもある。どのように知識を獲得し、貯蔵・更新し、さらに活用するかの科学である。
そこでは、知識を次のように分類している。

宣言的知識(——についての知識)
 ・意味的知識(一般性のある知識)
 ・エピソード的知識(いつどこで何があったについての知識)
手続き的知識(何かが出来ることーー技能——を支える暗黙の知
  識)
******************************

8.5 まだあるコンピュータゲームに熱中させるもの

  • 達成感
コンピュータゲームの制作者は人の心を読む天才ではないかと思うことがある。こうすればユーザが喜ぶということを知悉しているかのごとく、ユーザを夢中にさせる仕掛けを次々と繰り出してくる。
 それはさておき、さらにコンピュータゲームに夢中にさせる心理的な特性を挙げてもう少し考えてみる。この1割でも、教師が教材開発で使えたら、教室で子供はもっと授業に夢中になってくれるかもしれないとも思うからである。もっとも、子供はゲームでたっぷりとそうした趣向を経験ずみなので、ちょっとやそっとでは食い付いてこないかもしれないのだが。
さて、まずは、達成感から。マージャンゲームでも、「今日は勝つぞ」「今回は勝つぞ」という達成目標を立ててやる。一人マージャンでも自分にそう言い聞かせてからはじめるのがおかしい。
そして勝てば、してやったり、で気分が良くなる。負ければ気分は良くない。つい、もう一回、となりがちである。
ゲームやギャンブルには、勝ち負けという目標を立てられるので達成感も敗北感も簡単かつしっかりと味わうことができる。これが人を夢中にさせる。
さらに、敗北感が達成感をより一層際立たせる。負け続けてもそれはより高い達成感を味わうためのスパイスに過ぎない。かくしてギャンブル狂への道まっしぐらとなってしまう。
仕事ではこれほどはっきりとしかも短時間で達成感を味わうことはできない。へたをするとそれをまったく感得することができないままに終わってしまうことさえある。それを安易に補償するような機能がゲームやギャンブルにはある。

●挑戦心
達成感と挑戦心は、セットである。何かを達成しようと挑戦するからこその達成感である。挑戦心が強いほど達成感もある。
あまり達成目標が高かったり、あいまいであったりすると、挑戦心も湧きにくい。世の中の仕事の目標にはこんなものが意外と多い。しかし、コンピュータゲームでは、そのあたりが、実にうまく細工されている。
最終的な到達目標を知らせた上で、そこにたどり着くまでの目標に段階をつけるのである。まずは、ここまでがんばってみよう、というものをはっきりと見せるのである。それがクリアできたら次のより上位の目標をはっきりと示す。これなら、挑戦心もわく。
実は、これも、スキナーのオペラント条件づけから派生してきた行動形成の原理(逐次形成の原理)なのである。

図 逐次形成の過程

学校に行けない子供に、まずは、朝起きることができるようにする、次は食事をする、次は鞄に教科書などを入れる、次は、———というように、下位目標を一つずつクリアさせながら最終目標まで子供を導くのである。挑戦心と達成感とを巧みにコントロールする原理である。
この原理の巧みな点は、すぐそこに見える目標を達成するために挑戦心を刺激して、達成感を味わわせ、有能感をも高めるところにある。

  • 集中性
即応性のところで、何かをするとただちに何かが起こる仕掛けについて述べた。この仕掛けは、集中力の持続にも極めて効果的である。

コラム「注意の3x2特性」******
人の注意の特性には、次に示すような特性がある。

○選択 
 「自己コントロールができる」(能動的側面) 
   例 ラジオの音声に耳を傾ける
 「自己コントロールができない」(受動的側面)
   例 大音響のするほうを思わず向く
○配分
 「自己コントロールができる」 (能動的側面)  
   例 BG音楽を聴きながら勉強する
 「自己コントロールができない」 (受動的側面)
   例 携帯の内容のほうに注意が引き付けられる
○持続
 「自己コントロールができる」 (能動的側面)  
   例 眠くなってきたので喝を入れて注意を持続する
 「自己コントロールができない」 (受動的側面)
   例 同じ作業を長時間すると注意が持続しない
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誰しもが悩まされるのは、注意が持続しないことである。仕事をしていても勉強をしていても、不本意に注意の集中力が低下してきて、能率が上がらなくなってしまう。
とりわけ、仕事や勉強が強制されたものであったり、興味関心がないものだったりすると、集中力はすぐに枯渇してしまう。
学校の1校時は、小学校では45分、中学高校だと50分、大学だと90分が普通である。授業を聞くような仕事だと、だいたいこのあたりが、注意集中の限界なのかもしれない。
しかし、コンピュータゲームでは、注意を絶えず引き付けておく仕掛けがあれこれたくさんあるので、飽きを感じないで済む。
その一つが、即応性である。何かするとすぐにそれに対する反応がある状況は、注意水準を絶えず高く保つのに効果的である。
2つは、画面の動き、変化である。絶えまなく何かが動き、新しい状況が出現する。それをとらえるのに、注意が必要となる。
3つは、動きと変化の偶然性である。予想しない動き、変化が注意をとらえる。
4つは、色彩の多彩さである。色は、原色や対比によって目立ちやすさを演出できる。目立つものには注意が引かれる。
コンピュータゲームが注意を集中させる仕掛けを挙げてみた。これにユーザのゲームに対する興味関心が加われば、おのずと注意が引き付けられて長時間にわたりゲームに熱中できる。
こうした仕掛けは、たとえば、教室で子供の注意集中を持続させたいような時に使うこともできる。ただし、これについては、コラムのような異論もある。

コラム「子どもに穏やかな学びの環境を」**********
ハーリー著「コンピュータが子どもの心を変える」(大修館書店)
よりの一節である。

———学習は確かに楽しいものであるが、同時に努力を伴うものであるということを忘れてはいけない。---色鮮やかなマルチメディアの世界に浸って「学習せよ」と子どもたちを奨励するのは、集中力と根気に欠ける精神を育成せよと言うに等しい。————
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さらに、不本意に注意を持続させると、ストレス状態になることもあるので要注意である。かつて、テクノストレスというのが話題になったことがある。コンピュータで仕事をする人々があまり長時間にわたり集中した状態で仕事を続けたために、気がついたらストレス状態になってしまったのである。ゲームだけでなく、コンピュータそのものが注意を集中させるものになっていたのである。
今では、コンピュータを使った仕事の労務管理が徹底してきて、強制的に休憩を入れるようになってきている。

コラム「ネット依存症」******************
 オンラインゲームやチャットというのがある。自分ではしたことがないが、これにはまってしまい、四六時中それをしたり、
それが頭をはなれなかってしまうらしい。ネット依存症と呼ばれている。
 朝日新聞(05/12/2付)によると、中国・北京での約1万5千人の若者についての大規模な調査によると、ネット中毒の徴候のある者は23.5%にのぼっている。
中毒症状がひどくなると、「現実よりネット上でより幸せを感じる」ようになり、遅刻、欠勤など日常生活に支障をきたす。
みずからで使用時間と場所に制約を課す以外に方策はない。
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  • コントロール感
 キーを押してもマウスをクリックしても画面がまったく変化しないようなことが、筆者のコンピュータでは実によく発生する。再起動をかければ現状回復ができることを知ってはいるが、つい、あれこれキーを叩いては画面変化を期待してしまう。
何かをしても何も起こらない環境は実に気持ちが悪い。
人間の行為は、環境を変えるための道具である。したがって、行為をしたらその目的に従って環境の変化が起こってくれないと、気持ち悪い。
何かをしたら何かが起こる環境を、応答的な環境という。子供の有能感を育てるのに大事だとされている。泣いても誰も応答してくれない。すばらしいことをしても誰も誉めてくれない。悪いことをしても誰も叱ってくれない。こんな環境は考えただけでもぞっとする。
コンピュータゲームには、過剰なまでの応答的な環境が用意されているのは、これまでに述べてきたことからもおわかりと思う。

コラム「熱中体験」****
チクセントミハイ、Mの熱中(flow)体験をここで紹介しておく。フロー体験とは、慶應大学教授・鹿毛雅治氏によると「時の経過や体の疲れなどを意識せず、その活動以外のすべてを忘れ、その活動に完全に没頭するという主観的な状態」である。その特徴は次のように整理される。
      ・時間を忘れさせる ・迅速なフィードバック
      ・技能のアップ   ・集中
      ・統制感      ・自己意識の喪失 
      ・自己目的化    ・時間感覚の喪失
まさに、コンピュータゲームに熱中している状態が、これであることがわかる。これをゲーム以外の勉強や仕事で体験できたらすばらしいことになる。
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過払い金請求CM

2020-06-28 | 社会
法律事務所の手数料?ビジネスのCMだと思うが、
それにしても、こんなにCMを打てるほどのビジネスなのかなー
と思ってしまう。
カード会社が法律違反でもしているのかなー

そうそう、国への損害賠償請求ビジネス?のCMもかなりしつこく流される。
要件を満たして請求すれば補償するということなのだろうが、
なんだかCMには違和感がある。

「参考」yafooニュース
ハンセン病患者の隔離政策で家族が受けた差別被害に対する国の責任を認めた熊本地裁判決から、28日で1年。新法に基づく補償が昨年11月に始まったが、支給が決まった家族2587人(5日現在)は厚生労働省が推計する対象の10・8%にとどまる。識者は「差別や偏見を恐れ、申請をためらう事例が多い」とみている。

まーいずれも、自分には、幸いなことに無関係だが。

まさに降りなんとする!

2020-06-28 | 認知心理学
お昼頃、猛烈な雨予想。
それを予兆するようなどんよりとした、これまでみたことのないような雨雲。
このコロナ禍のおり、なにもなければよいのだが。

「後日談」
ほとんどふりませんでした。
青空もみえています。
よかったです。




そばが食べたい!!

2020-06-27 | 心の体験的日記
ちょうど、1時間に一本のバスの時間。13時。
210円かけて駅へ。
駅そばやで鴨そばを食す。
これがうまいのだ。
コンビニで
夕食のサンドイッチ
日経
大福
を買って、
2時発のバス
滞在1時間の食付き散歩。
これから入浴。


0:45 / 10:52 海保博之の心を元気にする習慣づくり「第1回」」you tube にあり

2020-06-27 | ポジティブ心理学
いつ頃、撮影したものか、
10年くらい前かも。
入試広報の方にお願いされて作成したものです。
なんの工夫もない講義ですが、全10回。
若き頃、元気な頃の私の姿です。
なつかしいです。笑い

そうそう、思い出した。
なぜ、こういう動画を作成したか。
当時の上司・国分大先生の動画を作成し、
それが大好評だったあとを受けて、恥をしのんで作成したものでした。
「國分康孝の談話室 第1回 「人生の目的」(東京成徳大学)」
その大先生の講義動画も、you chubeで見ることができます。



◆行動主義

2020-06-27 | 心理学辞典
◆行動主義(behaviorism)
生後10カ月の乳児が泣きわめいているとする。このとき、たとえば、「この泣き方は、空腹のときの泣き方だ。もう3時間もたっているから」と考え、ミルクを飲ませるとする。このように、ある行動を引き起こしている原因を、環境のなかにあって、しかも制御できる刺激状況(ミルクを与えなかった時間)に求めるべしとするのが、行動主義である。1913年に、J・ワトソンによって主張され、20世紀前半の心理学の主流となった。S(stimulus 刺激)‐R(response 反応)心理学とも呼ばれる。ベルの音を聞かせて餌を与えることを繰り返すとやがてベルの音だけで唾液が出るようになるI・パブロフの古典的条件づけと、何かをしたら強化(賞罰)を与えてその行動がもっと自発するようにするB・F・スキナーのオペラント(自発的)条件づけが、行動主義心理学の基盤となっている。意識、意図、欲求、認知といった心的活動を、科学的な研究対象ではないとして、徹底して排除した。




目がダメになったか、眼鏡がだめになったか?

2020-06-26 | 癌闘病記
ここのところ、眼鏡をかければ、文庫本も読めた。
パソコンは、眼鏡なしで大丈夫だった。
それが昨日あたりからなんとなくしっくりしない。

5種類くらいある老眼鏡を試しているが、
うまくいかない。
となると、目のほうかなー
まさか、副作用ではないだろうなー