05/7/5海保博之
海保著 培風館 07/2 刊行
認知と学習の心理学
ーー知の現場からの学びのガイド
5章 書く(一部)
5.1 書くのが好き
今でもしっかりと覚えているが、書けなくて七転八倒したのは、はじめての大作「メッシュ化されたカタカナ文字の視認性」という「卒業論文」を書く時であった。
内容は、ごくオーソドックスなもので、わずか400字詰原稿用紙で50枚程度のものであったにもかかわらず、机に向かってうんうんうなっているいた。その光景は今でも周囲の状況とともにしっかりと目に浮かぶ。
フラッシュバルブ記憶である。
それが、書くのが大好き人間になってしまったのである。そのきっかけは、今にして思うと、23年前のアメリカでの在外研究ではなかったかと思う。
英語が聞き取れない、したがって話せないままの10か月はつらいものがあった。そのうさをはらうためであったと思う。アメリカ滞在記録のようなものを書いては学生に郵便で送っていた。週に1,2回は書いて送っていた。それを保管しておいてもらい、帰国してから、それを掲載するための「Compter & Cognition」という裏紙を使ったニューズレターを毎週発行するようにしたのである。そして、その中に、「認知的体験」と称して、自分の頭の中で起こったことや考えたことなどを短い記録として掲載するようにしたのである。
******コラム「ニューズレターのサンプル」
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これによって、文章を書くおもしろさを知った。そして、書けば書くほど書くことが楽しくなることもわかった。
それで勢いがついて、これもアメリカ滞在経験の中で頭にひっかかっていたヒューマンエラーに対する考えの我彼の違いを、講談社の現代新書に書くという冒険に挑んでみた。原稿用紙300枚くらい、研究論文のスタイルとはまったく違った表現への初挑戦をしてみた。
これがいわば、自分の表現のブレークスルーになったと思う。まったく書くことが苦痛でなくなったのである。それどころか、書いていないと不安でしかたないような気分になることさえあった。
滞在記録や認知的体験のような内容の文章は、心理学の研究の世界ではあまり書くことはない。研究論文の文章には、それなりのリテラシー(きまり)のようなものがあり、無味乾燥な文章を連ねればよい。