心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
わかりやすい表現
ヒューマンエラー、安全
ポジティブマインド
大学教育
老人心理

● 学力を支える生活習慣を形成するための6つの勘所

2009-02-11 | 教育
● 学力を支える生活習慣を形成するための6つの勘所
ここでは、保護者が小学生の低学年の子どもに学力を支える生活習慣(一部、学習習慣も含む)を形成させることを想定したときの勘所を6つ提案してみたい。
「勘所その1」時間ベースの習慣が基本
 起きるべき時に起き、食べるべき時に食べることが生活の基本である。これが習慣化されないと、ほかの習慣形成もおぼつかない。
大事なことが3つある。ひとつは自然な時間の流れにそった習慣になっているかどうか、もう一つは、いつもの時間でいつものことをする習慣になっているかどうかである。この両者は、子どもでは一致しているのが望ましい。
 自然な時間の流れとは、たとえば、起床時間。日の出と一緒に起きるのは農耕社会ならいざ知らず、学校へ行く子どもでは早すぎて不自然である。子どもが学校に行くために家を出るまでゆとりを持ってあれこれできる時間あたりが自然な時間になる。
 時間には、時計時間、脳(体内)時間、気象(太陽)時間、そして心理的時間の4つがある。その間にあまりに齟齬があるのは自然ではない。たとえば、睡眠時間をたっぷり10時間とっても、気象時間を極端に無視すれば、無理が生じてしまう。あるいは、一心不乱の遊びを15分しか許さないのは、心理的時間を無視していることになる。
 もう一つの、規則正しい習慣とは、時間とすることとが決まっていることである。要するに、定常的なスケジュールに従って生活していることである。低学年は小刻み、高学年になるほど大まかスケジュールが基本である。
 なお、自然で規則正しい時間ベースの習慣作りに際して大事なのだが忘れられがちなのは、心理的時間への配慮である。たとえば、つらいこと、いやなことは、心理的時間が長く感じられるので、習慣づけの最初の頃は、時計時間は短くしなければならないといった配慮である。
 時間ベースの習慣形成に関して大事なこととして挙げておかなくてはならない3つ目は、タイムリミット感覚とワークリミット感覚の問題である。言うまでもなく、時間ベースの習慣形成は、いついつまでに何をする(タイムリミット)感覚に依存する。この感覚が養成されないと、習慣形成はおぼつかない。
そのことは大事なのだが、生活すべてにわたってのタイムリミット感覚の養成をめざすのは危ない。生活領域によっては、むしろ時間を忘れてやりたいだけやる、満足できる水準までやる、というワークリミットの体験も入れる必要がある。そこには、子どもの創造性を発揮させる場が用意されるからである。たとえば、本を読む、工作をする、絵を描く、スポーツをするなどなどの領域では、ワークリミット、あるいは大まかなタイムリミットでいくべきである。
「勘所その2」状況を活用する
 家庭生活のように、状況が比較的安定しているところでは、状況を活用した習慣形成ができる。その状況になったらするべきことが自然にできるようにすることである。
たとえば、勉強する場所である。かならずしも、静かな個室である必要はない。しかし、勉強場所だけは、いつものところに決めておく。そこに座ったら、勉強する行為が自然に出てくるように習慣化しておく。最初は、勉強しない時はその場所を使わせないくらいまでしてもよい。
状況には、場所以外にも、家族メンバーが作り出す雰囲気のようなものもある。団らんでのTVを消すことや全員が知的活動をするとかといったことである。ごく自然にその雰囲気作りに参加することで好ましい生活習慣を身につけさせることができる。
「勘所その3」手順化する(シェーピング)
 習慣形成は一気にはできない。時間をかけて徐々にしていくことになる。とりわけ、スキルの上達が必要な習慣形成では、この点は大事である。
入学したての子どもが、朝起きて、きちんと準備をととのえ時間になって家を出るまでを考えてほしい。それが習慣化してしまった大人にとってはどうということのない(あたかも一つ行為であるかのごとき)膨大な数の要素行為をこなさなければならない。それに対する配慮を欠いて「早く、きちんと」を繰り返して無駄である。
 これができるようにするには、子どもがするべき課題を要素に分割して(鈴木ら、1998)、それを系列化しておくことが必要である。つまり、何をどの順序でするかを決めることである。
「朝の起床」「着衣」「身だしなみを整える」―――といった課題に分割し、それを系列化するのである。
そうすることによって、どこで子どもが習慣形成につまずくのかを見極めることができるし、どこを手助けすればよいかもわかる。
なお、課題分割は、学習の進捗に伴って、次第におおまかに(マクロ化)していくことも大事である。微に細にわたっての介入をいつまでも続けるのは、子どもの自発性という点から好ましくない。




図2 学習の進行に伴う要素課題のマクロ化
***編集者の方へ、2個の白枠□そのものは、無視してください。学習という文字はいきです
図全体は、小さくしてください

「勘所その4」学習習慣作りは保護者の介入が必要 
 低学年の子どもにとっては、生活習慣と学習習慣とは別物くらいの認識が必要だと思う。基本的な生活習慣は、幼稚園あたりでほぼ形成されるが、学習習慣となると、保護者の側からのかなり強力な介入がどうしても必要となる。
 まずは、学習の時間ベースの習慣作り、さらに学習の仕方にかかわる習慣作りも、手取り足取りの介入が、少なくとも最初の段階では必要である。
「勘所その5」習慣形成の意義を意識する
 小学校低学年の子どもに、ひとつ一つの生活習慣を形成することの意義を説くことは無用であるが、保護者側には、意義の自覚は必要である。そうすることが、子どもにとってどうして良いことなのかきちんと自覚しておくことは、習慣形成への介入の度合いを左右するからである。
 その点で、「学力は生活習慣が支えている」との言説や事実がこれほど流布されるようになったこの時期、子どもに習慣形成をつけようとする保護者にとって、その意義をあらためて自覚してほしいものである。
「勘所その6」悪習慣を除去する
 ここまで、学力を支える生活習慣を意図的に形成する勘所を述べてみたが、それを壊す生活習慣も形成されていることにも注意が必要である。こちらのほうは、保護者にも子ども本人さえも気がつかないうちに形成されてしまうことが多い。しかも、子どもの楽しみにかかわっているものが多いので始末が悪い。
 たとえば、コンピュータ・ゲーム。ゲームそのものが学力形成にとって悪かどうかはさておくとして、その習慣が学力形成を支える生活習慣、学習習慣を破壊してしまうところに問題がある。とりわけ、中毒性を帯びてしまうと、始末におえない。場合によって、徹底的な排除や隔離といった荒療治も必要となる。


●終りに
 学力を支えるインフラとなっている生活習慣について考えてみた。そのインフラの形成は、もっぱら家庭に任されているところが、教師にとってははがゆいところでもある。ある調査では、教師の約7割が、「食習慣の指導」をしているとのことだが、できることは限られている。
 しかし、それでも、子どもの学びには、学校まかせにしないで家庭もこうした面でかかわってほしい(かかわるべきだ)というメッセージを学校から出し続けることは大事だと思う。
編集者の方へ、行数が多い時は、以下は削除でも結構です。ただし、末尾の文献は、入ります

4月17日付朝日新聞「青鉛筆欄」で、「秋田に学べ」と題して、2007年実施の全国学力調査で小6全科目日本一になった秋田県の教育標語「朝食をしっかりとる」「早寝早起き」を進学塾がコピーとして使用している話が紹介されている。そして、落ちは、県教委のコメント「都会では、家庭のことまで進学塾がやらねばならないのですか」。

文献
鈴木宏昭・植田一博・堤江美子 (1998) 日常的な機器の操作の理解と学習における課題分割プラン。認知科学, 5, 14 - 25

(児童心理 2008年掲載より)

習慣は心にもあり

2009-02-11 | 健康・スポーツ心理学
「習慣は心にもあり」
朝起きてコーヒーを作り、炊飯器にご飯をセットして、コーヒーを持って書斎へ。パソコンの電源を入れて、ブログを立ち上げて、アクセス数をチェックして、―――
といったところが、朝起きてから仕事にかかるまでの習慣である。
習慣というと、だいたい、こうした行動の習慣のことを言う。そして、そのレパートリーは、広く多彩である。
しかし、よくよく考えてみると、実は、心にも、行動の習慣と似たものがあることに気がつく。たとえば、
・ パソコンに向かうと、がぜん、やる気が出てくる
・ 寝る前に、難しい本を読むと眠くなる
・ 海をみると、心が晴れ晴れする
・ 悩みごとがあると、ミスばかりする
・ ついつい、悪い方へ悪い方へと考えてしまう

こうした心の習慣と呼ぶにふさわしいものによって、日々の気持ちや思考や、はたまた行動までもが支配されていることが多い。その中には、行動の習慣がそうであるように、好ましい習慣も、好ましくない習慣もある。
 好ましい習慣なら、大いにそれに従って、生活も仕事もいきいきとこなせばよい。しかし、好ましくない習慣にとらわれると、日々、うつつと過ごすはめに陥ることになる。

漢字検定ビジネス

2009-02-11 | 心の体験的日記
資格ビジネスで大成功したものの一つ
公益法人でなければ、
なにも問題ない
ここまで育て上げたのは一体だれ!!
利益を上げてはいけない組織なんて一体なんなの?
利益があがりそうになったら、「公益」をはずせばよい



知の衰退からいかに脱却するか

2009-02-11 | 心の体験的日記
大前節 健在
これからの日本、「ポルトガル」になってしまっていいの?
という警告
「知」をキーワードに
経済と教育に切り込む
グローバル化を前提に
そこでの勝ち組になるための処方箋を提供

ちなみに、内田樹はまったく逆の主張
1億2千万相手の閉じた世界で
そこそこ生きていければいいではないか
という

現実認識としては、両者一緒
大前氏のほうは外へ
内田氏のほうは内へ

高齢化社会はどうしても
うち志向になるが、
それでは、若者の20年後が心配