素人ユーズであり、心理学の研究者としての立場から、20年間、マニュアル制作者へメッセージを発信し続けてきた。
ユーザに向けて発信したのは今回が初めてである。その間、実は、ユーザに対しても発信したいと思ったことがなかったわけではない。しかし、それを言ってしまってはおしまい、との思いも強くあった。ユーザ側に努力を期待してしまうことは、マニュアル制作者、インタフェース設計者の側でのさらなる努力を削ぐことになってしまことを懸念したからである。 事実、メーカーでインタフェース設計をしている人から、こんな嘆きを聞いたことがある。
「新しい技術なのだから使いにくいのは当たり前と主張してはばからない 技術者がいて、インタフェースの重要性をわかってもらえない。」
確かに、人はどんなことにも慣れる。最初は不便だと感じていても、慣れるとなんとも感じなくなる。インタフェースも同じだと言うわけである。
しかし、はさみや金槌の使い方の話ではない。 コンピュータの使い方にかかわる話である。慣れるまでの努力の量も質も桁違いである。そこを問題にしているのだから、インタフェース問題は疑似問題(問題のようであるが本当は問題ではない)と言ってしまうわけにはいかない。
「しかし」である---はなはだ煮え切らないが---。
「技術者--機械--ユーザ」は、三位一体である。努力の総体を一定とするなら、それぞれがもうちょっと努力することで、それぞれが少しづつ楽になる。インタフェース技術がここまできたら、ユーザもちょっと努力をしてみようよ、と言ってももよいかなとも思う。
「みんなでよりよいマニュアルを作りましょう」との小学生的檄を飛ばして本書を閉じる。