先週末に、親父の49日の法要と納骨を済ませました。
一つの区切りを終え、少し気持ちに余裕ができたでしょうか・・・
「今日はお父さんの誕生日だよ。」と家人に教えられ、記事を書く気になりました。
沢山のお供えをいただき、仮祭壇の前は賑やかでした。
49日の法要の前日に、それらを分けて袋に入れます。
納骨などを儀式が終わってから、順番にそれぞれの家へお届けしました。
初七日から七七日までの毎週金曜日にご住職のお参りがあり、お経の後にご住職と参加者で雑談をします。
生前の親父のことが話題で、あれこれと話していると幼い頃の思い出がよみがえってきました。
自転車に乗せられた時の親父の煙草と仁丹の混ざった臭い、風呂好きの親父と手を繋いで銭湯巡りをしたことなど、これまで記憶の隅に追いやられていたことが懐かしく思い出されます。
「融通の利かない頑固もの」としか思いつかない親父のイメージでしたが、毎週話をしていくうちに徐々に変わっていくのが分かります。
優しかったところや部屋の隅でうなだれて落ち込んでいた姿などが鮮明に浮かんでくるのです。
感謝の気持ちを伝えることや、子供たちを心配する想いを表に出すことができない世代なんだと思うようになりました。
法要は亡くなった人のために行うものだと理解していましたが、残された家族が故人を偲び記憶を整理する期間なのだと考えを改めました。
両親がいなくなって、兄弟同士の付き合いが減るのは寂しいことです。
長男であるあっしが中心となり、法事だけでなく日頃から交流する機会を作るつもりでいます。
困ったとき、一番頼りになるのは家族であり兄弟なのですから・・・。
的確な言葉ですね
整理された記憶は心に反映されます
偲ぶことで気持ちが落ち着いてゆきます
直に初盆です
暑い夏の記憶を辿って偲びましょう
うちも、先日義母亡くしましたが、7日7日は自分たちでアンして、35日切り上げ予定で、本来来年の初盆も今年にしようと思っています^^;
浄土真宗は「即日成仏」なので、49日きっちりしなくて良いってお坊さんがww
嫁の家族って、皆考えバラバラ(それぞれ自分勝手)なので、私が常識の範囲で決定して、「それに都合合わなければ来なくて良い」って事にしてます^^;
ちなみに、義父は葬儀に参列してませんし、35日法要も「都合悪いから行けない」って^^;ハハハ
物の価値観、家族の関係、人との繋がりなど、自分の考え方が一番正しいと信じきっていて、お袋、長女、次女、あっし、弟の順番に個人攻撃的に厳しく躾けられました。
そんな親父でしたが、年齢を重ねるごとに優しい表情へと変わっていきました。
子供の頃から現在にまでを通して親父を振り返ることができ、良い思い出が作れました。そうですね、初盆には兄弟で親父を偲んでみます。
法事は変わりませんが、出席への考え方が変わってきているように思います。
あっしも、節目以外は参加自由としました。
お袋が亡くなった年から、5年連続で法事があります。
祖母の50年の法事を迎えられることが有難く思える歳になりました。