水村美苗『日本語が亡びるとき』は出た当初「これからは英語で論文書かないと読まれない」と警鐘鳴らす本として読まれたけど、ちゃんと読めば日本語を国語として維持するべき、そのためにどうするか、という趣旨なんだよね。「そういう風に読まれた」こと自体がこの本の主張を裏書きしてるように思える
@orengimusume ・・・チケット、もう発売中なんだよな。北芸メルマガで云うてたが。
行きたいのだが、チケットをどのタイミングで買うか、野田地図の「エッグ」やら、時空の旅やら、演劇何とか広島の調整をよりシビアにせにゃならぬ。今まで相当な無理をしていたのだな、自分。
なんでもかんでも「これは良い経験だった」って言って自分を慰めるのも、ちょっと違う気がする。「完全に間違った選択をした」「無駄な時間を過ごした」ってぶった切れる度胸。全てを肯定する必要はない。大間違いは大間違い。消えない過去だけど、ただそこにあるだけ。否定もしないし肯定もしない。
しかも、担架に頭固定して、ザンボニーのところに救急車入れるくらいのことをしないとまずい。下手すりゃ、グランプリシリーズ開催に係る大事になるぞ。 RT @hanayuu: 脳震盪の時に下手に動くとガチで生命にかかわるので、周囲は力づくでも羽生選手を病院に直行させるべきだと思う。
@orengimusume きちんと収入あって、休みも確保できたら全て丸く収まるのだが、金も、休みも無理くり作って、その結果が8月から9月の不調と回復のため10月、11月を使った、その分、と返済の件で絞るところは・・・やもんなぁ。
安倍晋三は「私が責任者だ」「私には責任がある」と責任の所在を勲章であるかの如く、しきりに口にするが、実際に責任を取ったことはまずない。失敗を失敗と認めないからだ。
組合員として一言。グリーンコープは被ばくに鈍感すぎます。北九州市での汚染ガレキ焼却も黙認したし(理事の多数がガレキ焼却に賛成した)
今回はハムやソーセージに使用するチップを、わざわざ九州産から東北、関東産に切り替えるって話まで(怒)⇒twitter.com/deathcabforten…
白票や棄権は自己満足だ、と人は言う。だが、投票は売国行為への加担ではないのか。
一歩引いて考えてみると、これは『ウンコ入りカレー』と『カレー入りウンコ』の究極の二者択一だ。参加しても参加しなくても、結局ウンコを喰わされる。【自分自身になる為の自動ツイート】
七代目劇団そとばこまちオムニバス公演『3~世にも奇妙な欲の物語』客演に石原正一さん嶋田典子さん腹筋善之介さん お迎えしての公演です!2014年11月27日~30日
予約bit.ly/1qVntvO
この現実を見れば見るほど切なくなるわ。 RT @jyonasan1957: 佐藤琢磨や小林可夢偉は良い車に乗せればチャンピオンとってもおかしくないくらい速いんだけど、F1とは人種差別のレースだから、いいクルマに乗るチャンスがない。
@orengimusume すんげぇ大事だ。
バランス良くするには敢えて「情報を入れない」ということも大事だな、と。
で、自分はこれから2月頭まで芸工大のワークショップで演劇作品を作ることになるから、そちらに集中、そしてハンバーグ工場の仕事にも集中。
何度も言うけど、西洋人が植民地を支配するために数百年前から行っているのは、支配する国の内部の民族対立を煽り、国民同士をいがみ合わせるという手法だ。対立している民族の「双方を裏からバックアップし」対立を劇的に演出する事で国民の憎悪心を焚きつけるのである。@francisco_bot
もしかしたら、1969年の東京オリンピックにはすでに壊れていて、それから先は「利子」で何とかなったけれど、バブル終わってからじわじわ壊れて、今完全に壊れた。どう作り替えたらいいか思案に暮れる。 RT @lllpuplll: ニッポンは、ずいぶん前から壊れていたんだよね・・・
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現代社会は、自分の人生や命、将来まで「どうでもいいや」と曖昧にしたい人にとって危険な落とし穴がたくさんある。まちを漂流する10代も自分が知らないうちに落し穴で傷つく。それは不可避の現代の青春。傷から痛みを学び、自分の頭で考え、自立する。それをゼロにできない社会を親世代が作ったの。
@Yoshine_A あと、おにぎり屋も。
福岡中洲の南新地側の入り口におにぎり屋があったが、15年前にタバコ屋専業になったし、磯辺焼き屋は多分、「一代限り」という条件で屋台をやっていたのだろう、そして、諸事情で後を継ぐ人もなく。その代わり中洲にはワッフルとかラスクの移動販売が。
ああ、これが「痛みを荒みにしない」ということか。 RT @conisshow: 現代社会は、自分の人生や命、将来まで「どうでもいいや」と曖昧にしたい人にとって危険な落とし穴がたくさんある。傷から痛みを学び、自分の頭で考え、自立する。それをゼロにできない社会を親世代が作ったの。
あまりにも退屈しきった学校的日常、両親のケンカが絶えない家庭、はみだしっ子に冷たい視線を送る地域社会。「ここ」から離れ、街をさまよう女子高生にとって、知らないオッサンに抱かれて金をもらうことの方が強度や「ここではないどこか」を期待させてしまうことがある。これは個人の問題ではない。
↓ なんか、おっしゃることが、沁みるなあ。この「再生」や「自浄」に期待できないという気持ち、みんなが今国に持っている気持ちだよね。
オイラの子供の頃SMなんてほぼ禁句。。どうなってるんじゃこの国?そういう変態はおkで、モーホだとかズーレは禁句みたいのはどういうこと?三島由紀夫はホモだったことで有名だぞ。人間には同性愛者はある一定の割合で出てくるものなの。そういった基本的知識もなく妙な道徳観言うな!
人間が自らの内に行為の理由を持っていない時、即ちある掟に従わなければならない時、人間はある強制の下に行為しているのであり、ある必然の下に置かれている。その時人間は単なる自然存在であるかのようである。-ゲーテ的世界観の認識論要綱-
「被災者」に対する聖性を感じて、同じ被災者でありながら「震災が起きてよかった」と口に出せない若者も東北には少なからずいた。それだけ震災前の東北は疲弊していたし、若者が自分たちのやりたいことを存分にできるインフラに乏しかった。まちが壊れたからこそ「やりたいことができた」の声もある。
日本で、海の環境問題(生態系を含め)などを専門にやっている環境保護団体や学者、文化人の方々から中国人漁船による赤珊瑚の密漁に対する意見がなかなか聞えてこないのが不思議だ。これはまさに海の環境問題だ。日本には海の環境を守ろうとする団体がないわけではないだろうに。