憩う、楽しむ 広島・湯来通信 

広島市中心部から1時間。新たな交流・体験エリアである湯来地区の最新情報。天然温泉と豊かな自然が皆様をお待ちしています。

湯来に伝わる民話「志井の天狗」

2010年09月24日 07時09分34秒 | 民話
9/24(金)15℃晴れ

 おはようございます。
 湯来の今朝6時現在のの気温は15℃。目覚めたときには、寒く感じてジャージの上を羽織ってしまいました。
 寒暖の差が少しずつですが大きくなってきましたね。
 昨日は「彼岸」ということもあって、義父等のお墓参りに行って来ました。山間にある妻の実家に行く途中はすでに秋色が濃くなっていてが咲き誇ってました。

 その中でも特に、秋を感じる彼岸花が田んぼ法面の一面を真っ赤にしていて、数がそろえば一団ときれいさを増すことを実感しました。
                     
 私の知り合いに、ビデオ撮影がとても好きだし上手な方がいて、季節の話題を記録に残したりマスコミに取り上げてもらおうと同じポイントを撮影しおられました。他にもたくさんの撮影ポイントがあるのに、同じところを選ぶ私たち。皆さんに、ぜひ見ていただきたいポイントとして
思っていてもいいんでしょうか。 もしも、行って見ようかなと思われる方は「国道488号線・広島市佐伯区湯来町多田・志井」で検索してみてください。今週から10月第二週が見頃かな?
 彼岸花がきれいに見えても「白い汁」が体に付くとかゆくなったり、腫れたりすることがありますので十分ご注意ください。

 秋分の日はどんな日でしょうか
1.太陽が真東から昇り、真西に沈む日
2.昼と夜の長さが同じ日
3.お休みの日(祝日)
 1.太陽が真東から昇り、真西に沈む日

   先ほどからたびたび登場する涅槃の世界を、「西方浄土」と呼ぶことがあるとおり、阿弥陀仏の極楽浄土は
 「西」にあるとされています。そのため、真西に太陽が沈む春分の日、秋分の日は夕日が極楽浄土への道しる
 べとなると考えられたのだそうです。
  この日沈む太陽が示す極楽浄土への道を「白道(びゃくどう)」といい、仏の示してくれたこの白道を信じて進
 めば必ず極楽浄土に至ると言う信仰が生まれました。この信仰は、浄土思想が盛んになるのと軌を一にして
 広がって行き、現在に至っています。

 2.昼と夜の長さが同じ日
  仏教の説くところの「中道」の精神を昼夜を二分すると言う点で、春分の日・秋分の日があらわしていると考
 えました。
  (春分・秋分の日の日の出から日の入りまでの時間を計算してみると、実際は同じにならないそうです。

 3.お休みの日(祝日)
  主旨はそれぞれ、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」と「祖先をうやまい、無くなった人々をしのぶ」と書かれ
 ています。特に秋分の日の趣旨は、まさに現在の彼岸そのもの。
  彼岸の中日を祝日にしたと言ってもよいようです。

 4.春分と秋分は、農耕と言う観点から眺めると、
   春分:種苗の時期
   秋分:収穫の時期
  と言うことで、我が家も昨日は午前中に脱穀、午後5時から稲刈りをして、とりあえず屋外の作業を終えるこ
 とができほっとしているところです。

 5.彼岸と墓参りの習慣
  これまで書いてきたような様々な要因が混交し、江戸時代頃から彼岸に墓参りをすると言った風習が起こっ
 たと考えられています。


 今日の湯来に伝わる民話はこの彼岸花の咲いている機粋に伝わる「志井の天狗」です。

 むかし、むかし、志井の山奥に、いたずら好きの天狗が棲んでおり、村人たちを困らせていました。
 ある日、二人の若者が、狩にこの山に入りました。夢中になって、うさぎや、きじを追っているうち、二人は離れ離れになりました。
 「おーい、おーい」
 と声をはると、
 「おーい、おーい」
 と声がします。
 「どこの山で、どうしたんか」
 「こっちの山で、こうしたんよ」
 と声の相手が天狗だとは知らない若者は、面白がって言いやいこをしていましたが、しまいには天狗が腹を立てて、その若者を崖から突き落としました。
 もう一人の若者は道に迷って、回り道をして夜遅く帰ってきました。
 「山に入って、大きな声を出すと天狗が出るぞ」
 と言って恐れられていました。
 ある日、木を板に引き切る木挽きさんが、大きな鋸(のこぎり)を背負って山に入り、山小屋を作って仕事を始めました。木挽きさんは、ただ、黙って「ズッコイ、ズッコイ」木を引き切って板を作っていました。
 「ズッコイ、ズッコイ」
 鋸を引く音に合わせるように、山の上から「カラカラ、カラカラ」と音をたてて石ころが転がってきました。それでも、木挽きさんは仕事を止めませんでした。
 「ズッコイ、ズッコイ」
 今度は大きな石が「ゴロゴロ、ゴロゴロ」と音をたてて転げ落ち、とうとう山小屋が押しつぶされてしまいました。
 木挽きさんは、天狗の仕業だと恐ろしくなり急いで村に帰りました。
 そんな話を聞いた考え深い爺さんが、
 「わしが一つ、天狗退治をしてやろう」
 と言って、一人で山に登って行きました。お爺さんが、
 「おーい、おーい」
 と大声で叫ぶと
 「おーい、おーい」
 と天狗の声が聞こえてきます。天狗の声が近くなると、お爺さんは石を拾って大きな板に「ゴツン、ゴツン」と叩きつけます。天狗も負けないように、「ゴツン、ゴツン」と返してきます。お爺さんは一生懸命に石を叩きつけました。
 そのうち、天狗の音がだんだん小さくなって、しまいには音がしなくなりました。
 次の朝、お爺さんは昨日天狗が音を出したところに行って見ました。天狗は頭を岩にぶつけて死んでいました。
 「この山へ、釜を持って行き、茶を焙じるととてもうまい味がすると言う話じゃ。なしてかのぅ」
 と近所のお婆さんがつぶやいていました。

 何でか=どうしてなのか皆さんの考えをお知らせください。

 
 暑さ寒さも彼岸まで-- 今朝の気温の低さを体感するとこの言葉を改めて実感しました。


 今週も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
 体調管理には十分お気をつけください。
 週末は寝た集めしてみます。何か取り上げて欲しいことがありましたらご連絡をお願いします。

 では、また来週。
コメント (1)
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