貧々自適

仕事のかたわらデジカメを構えたり
季節のうつろいや人の優しさに触れ感激する
そんな貧乏オヤジのつれづれ帳です

浜西のおばあちゃん

2014-07-05 11:32:18 | 想い出話
「誰?」って言われそうですが、しばらくお付き合いを。
尼崎時代や姉のことと一緒に、ある「おばあちゃん」の想い出が…。

およそ55年前、ウチの家はいろいろガタガタしていて、祖父とオヤジの折り合いが悪く、
祖父の商売もうまくいっていないようでした。
オヤジはサラリーマンとして家を支えるつもりだったので、家業を継ぐつもりはなく、
明治生まれの頑固広島県民だった祖父は、何かにつけ腹立たしかったのでしょう。

そんな尼崎時代の日々の中、ウチに半年~一年サイクルで来てくれる3人の女性がいました。
一人目は去年母方の祖父母の五十回忌で再会した従姉「サチコ姉ちゃん」で、当時20代前半だったかな?
父方の祖父と母方の祖母は兄妹ですから、ウチの親からすると直系の姪になるし、
子どものころ不遇※だったので、ウチの親たちも気遣っていたようです。
 ※両親が離婚、母親が早く亡くなり祖父母に育てられた
神戸で働いていたので休みの日に日帰りや泊りがけで来てくれていました。
特に病弱な姉のことを妹のようにかわいがってくれた記憶があります。

二人目は、5年前母を連れて知人を訪ねたとき再会した枚方在住の「ヒデコ姉ちゃん」。
ウチの家族とのいきさつは前回書いたので省きますが、やはり姉にやさしくしてくれ
結婚してからもご主人と一緒に来てくれていました。

そしてもう一人が当時(私と姉が小学生)70歳前の「浜西のおばあちゃん」。
ウチとの関係(親戚ではない)は、今となっては分からないし、知っている人もいないかも…
ただ「小柄でやさしい」姿は今も心の片隅に残っています。
どういういきさつでウチに来るようになり、「おさんどん」までしてくれていたのか不明ですが、
神戸の息子さんやお嫁さんとの折り合いが悪かったフシもあります。
特に姉が発作で寝込んだりしたときは一ヵ月くらいいてくれた記憶があります。
寝たきりだった祖母が死んだころですが、妹二人は幼少で手がかかり手伝ってくれたのでしょう。
ものごころついた頃から寝たきりだった祖母のピンチヒッターみたいな感覚だったかも。
そのおばあちゃんの楽しみは「タバコ」、キセルで「ききょう」を吸ってたっけ(笑)

神戸時代、まだ健在だったおばあちゃんを母や姉と訪ねた記憶があります。
長田の山の上にあった息子さんの家で、さらに一回り小さくなった姿を見たのが最後。
息子さんはウチにいい印象を持っていなかったのか、葬式の通知も来なかったような…

他の人との人間関係はどうあれ、私らにとって「やさしいおばあちゃん」だったのは事実。
そんな記憶を書きとどめることも私の役目です。

【おまけ】
・おかげさまで腰痛もほぼ回復、一昨日から仕事にもどりました。
・W杯、予想が早くもはずれブラジルが勝ち抜け、エースの負傷欠場でチームがまとまり
 優勝の目が出てきました。南米決戦かぁ?

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