貧々自適

仕事のかたわらデジカメを構えたり
季節のうつろいや人の優しさに触れ感激する
そんな貧乏オヤジのつれづれ帳です

香川県一号店?

2013-02-27 18:47:17 | よもやま話
年明けすぐにネタにした「セブンイレブン」。
ウチから歩いて100メートルほどのサンクスがくらがえ、明後日オープンらしい。
店舗外装だけか?と思いきや、駐車場の舗装工事までしたのでびっくり。

写真では分かりにくいのですが立地は信号のある交差点の角、「駐車場内をショートカット」する輩多数(笑)
カメラを構えていると近所のオッサンのBMWが、オープン前なので設置されている車止めのわきをスルリ…。

ちなみに、オープンは店名どおり「朝7時」だそうです。

【おまけ】
満中陰、いわゆる四十九日が「三ヵ月」にまたがるのはよくない、という俗説あり。(特に高齢者がよく言う)
それこそ「ヘンなの?」です。
ウチの母みたいに30日に死んだら、よく行われる「三十五日で忌明け」すら三ヵ月目になります。
月の10日以降に死んだ人はほとんど三十五日でやんなきゃいけないし、25日以降に死んだらムリ。
(月によって変わる、1月と2月だと3日違う)
矛盾だらけの俗説、ウチはお坊さんも何も言わないし「無視!」(笑)

春野菜ときのこのスパゲッテイ

2013-02-23 23:53:57 | よもやま話
月一の料理教室、今回は「春を先取り」と称して、
「春野菜ときのこのスパゲッテイ」「キャベツのサラダ」「玉子と野菜の炒め物」↑

例によってタマゴをモタモタして焼いていると、講師から『焼きすぎ!』(笑)
ケチャップで私が作った目印に×(ペケ)を
玉子をフワフワに焼くのってむずかしい…。

キャベツは、ほとんどすべて外側の硬い部分を使いました。
スーパーで裕福そうな奥様が、何枚もめくって捨てているのを見かけるたびに
「もったいない!、食べられるのに…」
硬いったってたかが知れてるし、どうしてもダメなら茹でればいいのにね。

日本で捨てられる食材は「何千万人もの飢餓の人を救済できる量」と何かで見ました。
食べ残しや売れ残り(=過剰供給)を減らすこと、それが「豊かな食生活」にもつながります。

義理チョコ

2013-02-14 20:52:02 | よもやま話
配達中の休憩場所にしているコンビニ、缶コーヒーを買うと『コレ、どーぞ!』。
冒頭の写真の「義理チョコ」でした
手に取ってみると、昔懐かしい「コインチョコ」じゃないか?
「小学生の頃、確か1コ5円か10円だったよ」『???』
ちなみに、店員さんは40歳くらいで、我々とは10円の価値観が違う(笑)

森永や明治など大手メーカーも出していたように思いますが、普通の板チョコが20円の時代。
近くの駄菓子屋で買った記憶が間違いなくあります。
やはりその頃ロッテだったかグリコだったか忘れましたが、アーモンドチョコレートが発売されたとき
「こんなウマイもの、初めて食った!」
50年以上経った今でもその感動が忘れられず、たま~に買います(安上がりなオッサンや

【訂正】
「コインチョコレート」というのは、「登録商標」だそうですロック製菓
なので、子どもの頃10円玉を握りしめ、駄菓子屋で買ったのは↑の製品かどうか不明です
ちなみに、38ミリφで1コ22円(税別)だそうです。

後始末

2013-02-07 10:38:32 | よもやま話
母が死んで一週間、溜まっていた配達を片付け、いわゆる「後始末」を開始。
オヤジが死んだ33年前も、「6日目にすべて終わった」という記憶があります。
 ※社員が喪主の場合、忌引休暇は1週間だったので休暇の間にすべて終わらせた
どなたか家族に不幸があり「後始末」をされた方はご承知の通り、面倒でたいへん(笑)
役所など何か所も回って、書類を何枚も書いて、というわけです。

オヤジのときは、遺族年金や恩給受給(母に移る)手続きもあったので、除籍されるまで
開始できないものがあったのですが、今回はそれがないのでちょっとラク。
とはいうものの、ウチにはちょっと手間のかかる事情が。
本籍地が現住所にあれば、大半の手続きは市区町村役場一か所で終わりますが、
後始末をする私の本籍地は千葉県のまま。

早速、年金事務所(旧社会保険事務所)で「息子さんの戸籍謄(抄)本を」と言われ、
『なんで(私の)戸籍謄本を取り寄せなきゃいかんの?』
「親子であるという証明に父母名の記載がある戸籍謄本が必要なんです」
『住民票(母の除票、世帯主である私との続柄)に書いてあるやん』
とゴネましたが、テキもさるもの、あっさり却下(笑)
まぁ、手切れ金(最後の年金)を渡すんだから、それくらい用意しろ!ってことか。

こういう「申請第一主義」で永年やってきたからか、なかなか行政改革が進まないし、
あげく「消えた5千万件」かい!、なんちゃって。
(3年前、私の年金受給手続きのとき、戸籍謄本を提出したから援用しろ!)

皆さんも見送る親がいたら、本籍地を現住所に移しておいた方がいいですよ。

家内奮闘

2013-02-03 02:33:44 | 家族のこと
暮から体調不良の家内にダブルパンチどころかトリプルパンチ。
ホントなら、今日(3日)は「カニ食べ放題」のバスツアーに出かけるはずだったのですがキャンセル。
(高校時代の剣道部5人組で年に一回温泉などに出かけている)
通夜が終わってヤレヤレと一息つき、くつろぎかけたとたん家内の携帯に着信。
家内のなぎなたの先生が亡くなった、との報せでした。

中学生の頃から指導を受け、娘の結婚式の主賓でもあった家内にとって最も大切な大先生(範士8段)。
全国トップクラスのその先生は、家内の実家近所にお住まいで大正15年生まれ。
もちろん、私らの結婚式にも家内側の主賓として出て下さったし、ウチの母を引き取ったときにも
「知り合いが誰もいないだろうから、私と同じデイサービス施設に」と誘ってくださいました。
母は30年近く前に一度会ったきりの先生を憶えていなかったろうし、名前も憶えられなくなっていたけれど、
雰囲気(家内の近しい人という)で分かったのかよく話しかけていたそうです。

その先生が年末から脳梗塞で入院、家内が見舞いに行っても分からない状態でガックリきていましたが、
10日ほど前に消化器の病気も併発「手の施しようがない(余命数日)」と宣告されていたとのこと。
家内は『ウチのばあちゃんより先生の方が長生きしそうと思っていたのに…』と。
ところが母が先に逝き、逆転したなぁと話していた矢先の訃報。

結局同じ日に二人とも…となって『ばあちゃんが独りじゃ寂しいからと引っ張ったのかも…』。
「そやなぁ、三途の川の渡し舟の席を取っとくで~、ってゆーとるかも」
ちなみに、先生は夜遅くに亡くなられたので1日お通夜・2日葬儀の日程※となりましたが、
葬祭場も同じならフロアも同じ、ついでに遺影の額縁も同じピンクだったそう。
 ※ウチも同じ日程を打診されたが、当初の日程にして正解でした
結局、家内は4日連続喪服を着用、同じ葬祭場へ通う破目になりぐったりして帰ってきました。
日曜日は「何もしなくていいから、ゆっくり休養したらいい」と慰労しときましたよ。

【おまけ】
夕方から娘が来て、会葬者名簿のパソコン入力を手伝ってくれました。
一段落して娘の手土産のケーキを食べよう、と紅茶やコーヒーを二男が淹れてくれた途端、
食器棚の食器が崩れお皿がパリン!(取り出したときズレたらしい)
娘が『おばあちゃんが、自分らの分だけか!と怒っとるんやぁ』(オカルトか!)
あわてて母の分もお供えしましたよ(笑)

孫全員集合

2013-02-01 02:07:38 | 家族のこと
速報でお報せしたとおり、『今日は卆寿の誕生日やで』とノンキにかまえていたわずか数時間後、
まさかこんなに急な別れがくるとは…。
携帯の着信履歴に残る病院からの一報はちょうど4時。
15~20分後に病院に到着すると、心臓マッサージ・人工呼吸を先生と看護師さんがしてくださっていました。
おそらくその前からもと想像され『もういいですよ…』と言おうとしたら先生が手を止め「残念です…」。
3時ごろの病室の巡回時には異常がなく、次の4時前のときには呼吸をしていなかった、とのことで
死亡診断書に記された死因は「急性呼吸不全」でした。

病院から葬祭場へ運び、その日のうちのお通夜、翌日葬儀の日程を決めました。(2月1日は友引)
さてどれぐらい来てくれるかな…と思っていましたが、一番嬉しかったのは「10人の孫全員集合!」、
みんな仕事を休んで駆けつけてくれ、口々に「小さかった頃、おばあちゃんには世話になったから…」。
ひ孫1・2号(小学生)・3号(幼児)の親の姪は特にその思いが強かったのか連れて来てくれて、
とかく湿っぽくなりがちな場をやわらげてくれ、いわばみんなのアイドル(笑)。

『いっぱい管を繋がれてまで生きながらえたくない』と常々言っていたのは皆知っていたし、
「ある日ポックリ」という本人の希望していた通りの死に方だったんじゃあ、と。
呼吸不全とはいえ、苦悶の表情じゃないから眠るように死んだんだろう、とも。
誕生日の翌日が命日という、憶えやすい日を選ぶとはさすがは「ウチのばーさん!」。

金目のモノなんてまったくないけど、「ちゃんと育った立派な孫10人」が母の残した最大の財産。
あっちで待ってるオヤジや姉も喜んでいることでしょう。
姉との約束が果たせたのかなぁ…

【追記】
「遺影」は以前から決めていた娘の成人式の日に私が撮ったスナップ写真を。('08.1.14付コメント欄)
家内は髪がボサボサって言ってましたが、さすがはプロ「美容室帰り」みたいに修正(笑)