貧々自適

仕事のかたわらデジカメを構えたり
季節のうつろいや人の優しさに触れ感激する
そんな貧乏オヤジのつれづれ帳です

富士山

2005-05-30 10:40:57 | 想い出話
「♪頭を雲の上に出し~」の歌で誰もが知っている日本一の山「富士山」。
ライブカメラ(三ツ峠から)はこちら*。
 *ちなみに今日(5/30午前)は、関東・山梨地方は雨でガスがかかり見えません。

↑は先日の早朝の画像です。
長い間、旧五百円札の富士山はここ三ツ峠かららしい、と思ってましたが違っていました。
調べてみたら少し遠い雁ヶ原摺山(1874m)からだったそうですが、ほぼ同じ方角からで、
なんと戦時中(昭和17年)に撮影された、というのは驚きです。

日本人の「心のふるさと」といわれ、全国に○○富士と呼ばれる山をしたがえ、さながらカリスマ的存在です。
私の住む香川にも「讃岐富士※」と呼ばれる、有名な「こんぴらさん」の本宮わきからも望める山があります。
 ※飯野山(422m)~写真提供「kawa9981」さん
高さは本家の9分の1ほどしかありませんが、本州から四国へ渡る「瀬戸大橋」からも正面に見え、
「シンボル」としての風格はなかなかのものです。
愛媛・高知県境にある伊予富士(1,756m)はいわゆる独立峰ではなく、ちょっとこじつけといえなくも無いですが、
一度登ったこともあるので、ケチをつけるわけではありません。霧氷がきれいでした。

初めて富士山(本物の)を見たのは40年ちょい前、中学校の修学旅行(関東方面)のときで、
東海道線の急行電車の車窓からでした。
事前に下調べ(地理は得意でした)し、どのへんから見え始めるか?と予測して窓の外を食い入るように見続け、
「第一発見者」になったのが今でも自慢です(アホか?…笑)
同じ電車に乗り合わせた大学生さん(田舎の中学だったので修学旅行専用ではなく普通の急行でした)から、
東京方面(上り)に向かって「左側」からだけじゃなく「右側」からも少しの間見える※というのを教わり、
その通り見えたのも懐かしい想い出です。
 ※用宗~静岡間、当時なかった新幹線も併走区間なので同じです

高校卒業後横浜の会社に就職、相鉄沿線にあった独身寮の屋上や研修所(八王子)からの眺めを堪能しました。
関西に戻ってからも旅行時や、その後関東へ転勤し関西へ帰郷するときなど、飛行機や新幹線で通るたびに
「今日はきれいに見えるかな?」と、少年のようにわくわくして窓にへばりついてしまいます。
打率は3割いかないくらいかなぁ…

蝦夷富士(羊蹄山)、津軽富士(岩木山)、出羽富士(鳥海山)、伯耆富士(大山)、薩摩富士(開聞岳)などなど、
旅行のたびに各地の「富士」が見えるルートや、時間帯を組み込みました。
よそ者の私でさえ、それぞれの山の美しさは何年たっても心のアルバムに残っているほどなんですから、
「ふるさとの山」としてお持ちの方の思い入れは、いかばかりか、と…

私はたび重なる引越しで、生まれた家・青春時代を過ごした家どちらもなくなり、いわゆる「ふるさと」がありません。
中学以前の友とはすべて音信不通で、幼なじみのいる家内がうらやましいとも思いますが、
あと5年もすると同級生はみな「定年」を迎えるので、せめて高校の同窓会でも…と考えています。

6/1追記:
朝2日ぶりに「歌詞そのまんま」の姿をみせてくれました。
昼前にはまた隠れちゃったので、見逃した方のために…

癒し

2005-05-25 10:06:15 | 季節の話題
最近「癒し」が何かと話題(特にマスコミ)になることが多いですね。
ストレスを抱えて生活している都会人が「それ」を求め、ペット・ガーデニング・温泉・マッサージなどなど、いったいどれ位あるのか?って思います。
私みたいな生活をしていると、「カネがない」こと以外のストレス(かてて加えてノーテンキな性格とあいまって)をあまり感じることがなく、わざわざ高い料金を払ったりしなくても…と思わないでもないですが、苦しんでいる人にとっては「切実な問題」なのでしょうから、心から同情申し上げます。
ただまぁ、落ち着いて考えると「血統書付きの犬や猫」や「一泊の料金が(ウチの)1ケ月の家賃より高い超高級温泉旅館・ホテル」なんてのがもてはやされるブームというのは、「変なの?」って思うと同時に、それが期待したほどでなかったら、また「新しいストレス」になったりするんじゃないのかな?、って。
血統書つきの犬や猫を飼っている人は、エサを「やる」んじゃなくて「あげる」らしい…ってのは冗談。
素性のわからない捨て犬・捨て猫を育てる、ということでも犬や猫の一つの命に「軽重」があるわけでなし、飼い主が優しい気持ち(=癒しになる?)になれる、ということでは同じじゃあないのかなぁ…

先日子供の高校の懇談会に、いい天気だし…とバイク(片道40分くらい、途中から田舎道)で出かけた道すがら、道路わきのマンションのフェンス越しに3歳くらいの男の子が(私のバイクに向かって)手を振ってくれました。
私も何気なく手を振り返しましたが、あとで考えると昔(大がつく…笑)自分も線路脇で走り去る汽車や電車に向かって手を振ったことがあったっけ、って思い出しました。

あれはいったい「どういう心理」でとった行動なのか?
当然「一期一会」なんて理屈が分かるわけじゃなし、単純に「乗り物」が好きだからというわけでもない。
「乗り物に乗っている人」と「乗っていない自分」との距離感を埋めるためでは?とも思いますが、たまに前を走っているクルマの後部座席からも(後続の)私に向かって手を振られたりすることがあるのでちょっと違うような気もするし。
ただ「相手からも振り返してほしい」というのがあったような遠ーい記憶が…

理由はどうあれ、間違いなく長ければ一日中「ほほえましい気持ち」にさせられます。
まして渋滞しているとき、前や横に並んだ車の中からそういう「メッセージ」を送られたら、さっきまで「なんで混んでんだ?」って毒づいていた自分が別人のように優しい気持ちになれるもんです。
そんな些細なことでも、充分「癒される」んではないでしょうか?
やはり子供は「国の宝」ですな。大ゲサかいな?…(笑)

NHKの受信料

2005-05-20 10:27:41 | 季節の話題
不払いの人が不祥事の発覚以来、増え続けているそうですね。
ちなみにウチは、BSのアンテナをあげたあと(衛星の契約にきた人に)文句*をいったことはありますが、「ま、いいか」と払っています。
 *前の家に住んでいたときの話で、山のカゲで地元局が受信できず、海をはさんだ隣県岡山のを視ていたのに高松から契約にきたので、「岡山から来たの?」って…へ理屈ですよね、ははは。UHFの中継局はありましたが、2方向(民放はすべて岡山から)のアンテナの混合調整が難しく、きれいに映らなかった(私の基準が高すぎる?)ので断念しました。自分でやったので数千円ですみましたが、業者さんに頼むともう1ケタは確実…

払わない、っていう理由の一つに「視ないから」というのがあります。
不祥事がけしからん!と払わない人と違い、いちおうスジは通っているようにみえるので難しいところですが、電波の特性上(電話線やケーブル=有線と違って)視ない人の所へも届いてしまうんです。
いつかは技術開発されて、視ない人を選別できるようになるかもしれませんが、固定電話の基本料より高いのが変といえば変です。
ウチの場合、電話が1,610円/月なのにNHK(2ヶ月払い)は2,290円/月なので、視ない人にとっての割高感は否めません。
もちろん、かければかけるほど高くなる電話と違い、何時間視聴しても同じという違いはありますが…

料金の一部が、不祥事を引き起こした連中の私腹を肥やすためや、職員の厚遇(上から下まで高給だそうです)に費やされているのはハラがたちますが、過疎地や離島に住む人たちへ電波を届ける「設備投資の負担金」と思って、たぶん私はこれからも払います。よく視てるしね(笑)

JR同様、民放(NHK以上に高給らしい)も利益(=視聴率)第一主義で突っ走ってるでしょうから、過疎地や社会的弱者への娯楽・情報提供という役割が後退する懸念があります。全てとはいいませんが。
スポンサーにペコペコして、刑事ドラマで犯人が乗るクルマは必ずライバルメーカー(スポンサーの)にするよう台本を書き換える、という笑い話があります。
もっともトヨタの独り勝ち状態だから難しくなってるかも…

人の死が不浄?

2005-05-19 11:01:10 | 季節の話題
以前読売新聞(ずいぶん前です…笑)をとっていたころ、今でも憶えている読者の投書があり、息子さんを交通事故で亡くされた方が、「ウチの子が死んだことが不浄とは?」という内容でした。
悲しい出来事ではあれ、不浄なことであるはずが無い、と書かれており、誰かから「死=穢れたこと」というようなことをいわれ、(心の)傷に塩を塗り込むような「物言い」をされたのでしょう。
悲しくて悔しくて、と結ばれていました。

教えて!gooでもよく関連した質問(例えばこれ)が出され、人の死を穢れたことと扱い、神社の参拝の制限や葬式のときにもらって帰る「お清め塩」など、枚挙にいとまがありません。
さる専門家(宗教関係者か学者?)の回答で「神道は…・仏教は…」とまことしやかな説明をされていたのを別の質問でも見ましたが、長年の風習や慣習で「そうなってる」ってことのようです。
前述の質問に対する回答の参考URLにも同じような説明があります。

しかし、そもそも生きている(生かされている)人間はおろか、死んでからも面倒をみてくださる「神様や仏様」がそんなセコイことをいうはずがなく、それよりなにより狭量な人間じゃあるまいし「縄張り争い」をする神様や仏様なんて信じられますか?
遺族や周りの人たちに余計な負担をかけさせないための「取り決め」なら分かりますが、自分達の宗教・宗派が正しいと主張して絶対視させるため、また排他的につくられた「あれはダメ・これもダメ」が多いんじゃないの?って思います。
当地にある有名な「こんぴらさん」の鳥居が国道32号線(高松~高知)にかかっており、喪中の人でも通勤・通学や日常生活を営む上で通らざるを得ないのですが、どうすりゃいいのか説明を…(笑)

一方で日本人は宗教に対して「無節操」という批判があります。
初詣に行き、神社や教会で結婚し、葬式や法事ではお坊さんにお経を読んでもらうという。
しかし日本人(の社会)はもともと混血(DNAレベルでいうと半分は中国・朝鮮系の末裔、アイヌ・沖縄系が1/4だそう)なんだからアタリマエで、いろんな宗教を受け容れ、しかも融和させてきたという結果でもありましょう。
為政者が「利用した」という側面もありますが。
とはいえ、幸いなことにどっかの国のように宗教・宗派の対立で戦争・内紛になった、という歴史は「島原の乱」はともかく、ほとんどないはずです。
それとても宗教の対立が直接の原因ではないでしょう。

私自身の宗教心は、若い頃山で滑落したとき登山道途中にある神社にカスリ傷ですんだ感謝をしたり、姉が亡くなる直前に家とはちがう宗派のお寺に行ったとき、
「寿命ならしかたありませんが、せめて(死ぬ間際は)苦しまず、痛がらず…」とお願いしたぐらいのことです。
まったく典型的無節操な「日本人」ですなぁ(笑)

姉の喪中(50日間?は過ぎていましたが)の間に親孝行のつもりで母をお伊勢参りに連れて行き、松坂牛のすき焼き(目が飛び出るほど高かったけど、最初で最後!?と…笑)を帰りに食べてきました。
ホントなら(バチがあたって)母も私(家族を含め)も不治の病に冒されるか、事故かなんかで親父や姉のところへ行ってるハズですが、ピンピンしてます…

冒頭の投書を読んでから、清め塩を使わなくなりました。

薫風

2005-05-08 22:39:38 | 季節の話題
きのう(5月7日)、当地は実にさわやかな一日でした。
雨上がり(たいして降りませんでしたが)ということもあり、
お昼ごろの気温21.7℃、湿度53%、西よりの風5m/s(気象台の観測データ)という、実にすごしやすい気象条件で、山は新緑に覆われて、いかにも「五月だなぁ」という一日でした。
「きょうは薫風が吹いて…」と言うと「?」という反応が多くなり、季語が死語になりかかっているのかも知れない、というのがちょっと寂しい気がしますが、かくいう私もえらそうなことはいえません。

改めて「薫風」を二つの辞書で調べてみると、
gooの大辞林:
初夏、若葉の香をただよわせて吹いてくるさわやかな南風。[季]夏。
広辞苑(パソコンの付録):
①、南風。温和な風。かんばしい風。南薫。
②、青葉の香りを吹きおくる初夏の風。青嵐アオアラシ。薫る風。[季]夏 。
とあり、厳密にいうと薫風ではなかった(?)ようです。風向きが…

メール便配達先の花々も様変わりして、今はツツジが盛りでチューリップもきれいですね。
中には牡丹or芍薬(園芸が趣味ではないので見分けがつかない…恥)や「すずらん」も。
すずらんは高原の花だそう(北海道では水芭蕉同様、平地で咲く?)ですが、国産種の自生地の南限は奈良県だそうですから、私が見たのはドイツ種の園芸用らしいです。
植物図鑑はこちら

昔から美人の例え*に用いられる牡丹は、図鑑によると「低木」だそうですから明日配達時に確認してきます(笑)
 *立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花 ←これも死語か?

5月9日追記
今日、証拠写真(笑)を撮りにいきましたが、やはり「牡丹」だったようです。
ところが花が一輪もない(!?) 多分摘み取ってしまわれたのでしょう。
となりの畑の片隅に、「芍薬」と思われる花があったので撮影(写真・左)
牡丹は赤紫のとてもいい色だったんですが…
すずらんは写真・右です。



5月11日追記
別の畑に五分咲き(?)の芍薬があったので、パチリ(笑)
それにしても「デジカメ」が欲しい…




緩み

2005-05-05 10:02:56 | 季節の話題
福知山線の事故で亡くなられた方の家族(お兄さんだったと思います)が、テレビのインタビューに対して答えられていた言葉が印象的だったので少し…

「この事故は、運転士・JR西日本はもとより、我々の社会全体に拡がる『緩み』がひきおこしたものではないか?」
誰かを責め(もちろん気持ちは痛いほどわかります)ても、亡くなった肉親や友人・同僚が戻るわけではないという、一種「あきらめ」にも似た心情もうかがえたお答えでした。

事故の原因究明はまだ行われていますので(私個人としての)断定は控えますが、70km制限のカーブに100kmのスピードで突っ込むと「危ない」ということは、車やバイクを運転する人なら皆一度や二度は経験していることです。
原因のかなりの引き金に「それ」があった、ということは否定できないでしょう。
私は電車の運転は「電車でGO!」しかない(?)ので、車(乗り始めて35年、結構スピードを出す方)での経験しかありませんが、普通の車で普通の路面状態なら、カーブの制限速度の「せいぜい2割増しのスピード」でないとちゃんと曲がれません。設定されている制限速度には理由があります。(若い頃、何kmなら走れるか試したことがあります…笑)
雨やつんつるてんのタイヤだったりすると、当然限界速度は下がります。
では何故無謀運転に近い速度で突っ込んだのか?が解明されることと、その再発防止策がとられることを望みます。

この事故に関するブログをいろいろ読んでいて、いいこと書いてるなぁというブログの中に「利用者が利便性を要求するのはあたりまえ」という文脈があり、がっかりしました。他のたくさんの「いいこと」がだいなしです。
人間の欲望には「きり」がない、とはよくいわれることです。
乗換に10分の接続では待ち時間が長すぎる、5分にしろ、いや3分だ…の行き着く先が30秒?では私からみると「マトモではない」要求です。
その要求に応えるため、ひいてはライバル私鉄との競争に勝つためのダイヤ編成(停車駅や到達時間を含め)を最優先に組んだ「フシ」が見え隠れします。
その1分そこそこのために「守らなければならないルール」を守らなかったことが事故の伏線にあったとしたら、繰り返しますが「神様」の側にも責任の一端がないとはいえません。

冒頭の「緩み」が、事故をひきおこした側、絶え間ない利便性を追求した側双方にあったのではないでしょうか?

伊丹駅での「オーバーラン」の際、一両目(マンションの駐車場に突っ込んだ)の乗客で「何やってんだ!」って言った人がいた、と奇跡的に救出された人が語っていたのを数日前の毎日新聞で読みました。
思わずそう口走った人(まさか数分後に、あんなことになるとは思わなかったでしょうから当然ですが)は、助かったのか亡くなったのか…

昔からラッシュアワーの満員電車や渋滞(もちろん私もその一員だった)を冷めた目でみていた「もうひとりの自分」を意識していました。そこまでして(ストレスをかかえたままで)会社や役所へ行ったって「いい仕事」ができるのかなぁ…と。
極論でしょうが、勤務時間や休みを揃え、効率化を徹底することが経済発展に欠かせない、というふうになってしまったんじゃないか、満員電車で通勤せざるをえない「世の中のしくみ」そのものを変えていかないと「豊かな世の中」にならないのではないか?とも思っています。
前に書いた「東京一極集中」にも関連しますが…
自宅から歩いたり、自転車で通勤するのがふつうの風景の「社会」にしていっても、経済の活力がなくなったり、国際競争力が低下するかどうか、やってみないと分かりません。