貧々自適

仕事のかたわらデジカメを構えたり
季節のうつろいや人の優しさに触れ感激する
そんな貧乏オヤジのつれづれ帳です

黄砂が邪魔

2014-05-31 23:55:22 | 趣味
当地も真夏日を記録、昨日の30.0℃に続き今日は31.4℃
道理で配達中何度も水分補給を欲したわけだ。
冒頭の写真はそんな蒸し暑かった一日を締めくくる夕日。
先日(5/16)より少し南の海岸から。

仕事を終え、カメラを持って出たのにはわけが。
5月25日に水星が「東方最大離角※」、新月直後の今日あたりなら月がいい目印になるなぁ、と見当をつけ
運よくカメラに収められたら…という淡い期待を持ってGO!。
 ※地球から見て最も太陽の東側に離れること


時間待ちの間にオレンジ色の飛行機雲を。(上空はまだ日没ではない)

ところが夕日の写真でも分かるとおり、大槌島がぼんやりとしか見えないほどの視界不良。
犯人は「中国の黄砂」、高松での視程は5~10キロとのこと。
空の高い位置ならそれほどではないのですが、水星はとても低い位置なのでこれじゃぁダメ。

三日月よりちょっと細い月が明るさを増してきました。

ちょっと分かりにくいですが、中央やや上に写っているのは木星です。
次の水星の東方最大離角は9月21日ごろだそうです。
ちなみに、金星は今年はなくて来年6月だそう。(夕方宵の明星として見られるのは年末ごろから)

春の大三角DX

2014-05-29 22:21:04 | 趣味
春の大三角といえば、うしかい座「アークトゥルス」・おとめ座「スピカ」・しし座「デネボラ」を結んだ三角形のこと。
この時間なら南の空高くに見えています。
とりわけアークトゥルスは、太陽を除く全恒星中4番目の明るさ(およそ-0.04等級)。
はっきりとした目印※があり、すぐ見つかると思います。
 ※北斗七星のひしゃくの柄の孤を伸ばした位置、さらに伸ばすとスピカ
問題はデネボラ、二等星ですが都会では見つけにくいかも…。

ところが強力な代打登場!、それは「火星」と「土星」でクリーンアップも打てる(笑)
スピカをはさむ位置に火星(西側)と土星、並みの一等星より明るいので、都会の街灯りにも負けません。
昨日の深夜偶然見つけました。

ふるさとは今…

2014-05-27 23:47:54 | 想い出話
今から65年前の昭和24年、私は兵庫県尼崎市築地で産声をあげました。
現在と違い、自宅で産婆さんがとりあげてくれたのは言うまでもありません。
聞いた話では、その前年に神戸市灘区から引っ越し、祖父が商売※を始めたらしい。
なので11年前に死んだ姉は、その神戸の家で生まれました。
 ※石炭の販売、私が小学校に入ったころにはやめて、零細運送店に

住んでいた家は木造2階建、1階に事務所があり中庭をはさんで平屋の6畳間と土間の台所、
裏には大きな井戸、風呂と便所がありました。
2階は8畳間と6畳の2部屋に物干し台がありましたが、なにせ子どものころの記憶、
部屋の大きさは?がつきます。(子どもの目には広く感じる)

その家には、私が中学1年の夏休みまで住み、祖父の死をきっかけに廃業、引っ越しました。
以前書いた隣家のおばさんから聞いた話では、私らが引っ越した後2階建部分を取り壊し、
地盤沈下で道路より低くなっていたのをかさ上げしたらしい。
平屋部分は残っていたらしいのですが、空き家状態だった家屋が突然崩れたとか…。

で、母を連れて行って以来5年ぶりに「ふるさと」を訪ねてきました。
といっても、行ったのはこれまた家内の運転手で伊丹に行った3月25日。
直前追突事故に遭った家内に「往復400キロの運転はダメ!」って(笑)

以前の記事でも書きましたが、阪神・淡路大震災で生家のあった街は壊滅状態となり、
区画整理がされて「昔の面影」はほとんど残っていません。

生家のあったあたりから西方向、うっすら写っているのが「ふるさとの山・六甲連山」。
ちなみに、この橋が小学校のころあったら通学がラクだったのにィ!
(学校まで一直線5分で行ける、当時は遠回りで15分以上かかった)

そや、廃線跡は?と思い出して「戎橋」たもとへ。
↑の写真の右岸が旧尼崎港駅のヤードで、住友金属への引き込み線が戎橋のそばを走ってました。
かすかな記憶をたどって、たしか踏切がこのへん…と駅のあった方を見ると「鉄橋の跡」が。

そして道路の反対側には、ゆるやかな左カーブを描いていた線路の跡が…

現在は、遊歩道&緑地になっています。

国鉄尼崎港線(福知山線支線)は、昭和59年に廃線。
長男が生まれた翌年で仕事も忙しく、全く知りませんでした。

過去ログ:再会果たすⅡ海抜0m地帯

まさか私のブログを?

2014-05-26 23:54:37 | よもやま話
4年あまり前、「とうり」か「とおり」かという記事をUPしました。
まぁイチャモンをつける気はなかったのですが、半月ほど前ブログの下に表示される「人気記事※」に突然登場。
 ※どういう基準でランキングされてるのか説明がないけど、たぶんアクセス数なのでしょう

なんで今頃?と思ってましたが、何気なくリンク先の歌詞部分を見てみると「とおり」に直されてました。
まさか私のブログをみて管理人さんが直した?、なんてことはないよな(笑)
ちなみに、無意識に「連用形」って書いてましたが、「ら・り・る・る・れ・れ」のラ行五段活用です。
えっ?、「ら~れ」だったら四段じゃん、と思って調べてみたら、二つ目の未然形というのがあり、
「(動詞)~う」に続く語のときに「ろ」を用いる、とありました。
 【例】走る⇒走ろう、刈る⇒刈ろう
習ったとしても50年以上前、憶えてるワケない
古典の文法は苦手だったし…

【おまけ】~テレビに映るかも?
今度は何をやらかしたの?って言われそうですが、マジメな話です(笑)
当地のNHKのローカル番組で、「ゆう6かがわ」というのがあり、視聴者からの投稿写真コーナーがあります。
大体は「風景」「花」「ペット」で、『ダイアモンド讃岐富士』とか『名付けて「鳥雲」』という貴重なショットも。
以前、花の写真を差し上げたお宅の人から「NHKの夕方の番組に出したら?」と言われたことがありましたが、
そのときはその気にならず、私くらいのレベルでは…と思っていました。
でもまぁ、「参加することに意義がある」と考えて、先日の夕日の写真を投稿しました。
局の担当者の目に留まれば、ほんの数秒間ですが「香川県限定」で。(放映日は、月・火・木曜)
不採用でも「通知」は来るのかなぁ…

上京(番外編)~乗り鉄

2014-05-21 12:52:58 | 趣味

予告に書いた、「『鉄』をちょっとやりたい…」。
まぁ、上京の目的が目的だけに(旧知の人に会う)、写真をパチパチというわけにもいかず、
今回撮った写真は冒頭の一枚のみ。(内房線・五井駅にて、155M)
結局「乗り鉄」に徹しました(笑)

乗ったのは、
5/9
  高松⇒岡山…本四連絡線・マリンライナー
  岡山⇒東京…新幹線(N700系)
  東京⇒御茶ノ水…中央快速線(E233系)
  御茶ノ水⇒飯田橋…総武・中央緩行線(209系500番台)
  九段下⇒三越前…半蔵門線(東急5000系)
  三越前⇒神田…銀座線(1000系)
  神田⇒御茶ノ水 (略)
  御茶ノ水⇒水道橋…総武・中央緩行線(E231系0番台)
※後日訂正:手書きメモはとってませんでしたが、にメモしてました。

5/10
  水道橋⇒新宿…総武・中央緩行線(E231系0番台)
  新宿⇒目白⇒品川…山手線(E231系500番台)

5/11
  五井⇒蘇我…内房線(209系2000番台※↑)
  検見川浜⇒東京…京葉線(E231系5000番台)
  東京⇒岡山…新幹線(N700系)
  岡山⇒高松…マリンライナー(JR西・223系5000番台)
   ※内房線の209系は2000番台・2100番台でどちらか?は不明
初日はメモもとらなかったので記憶のみです。

まぁ、四国のローカル列車を見慣れた私にすれば、ワクワクの連発!ってとこでしょうか(笑)
だいたい長くて4両編成(コトデンも)、寝台特急「サンライズ瀬戸」の7連が一番長いのかな?
五井駅で見た小湊鉄道のディーゼル車両が、こっちのアタリマエの風景です。
ちなみに、内房線の「元祖省エネ電車」209系は座席が改造され一部がセミクロスシートになっていて、
「4扉≒ロングシート」が当り前の外観に比べちょっと違和感。

今回の上京で、改めて『会いたい人に会っておく』ことの大事さを痛感。
福島・郡山の「同期入社」、鹿児島の「元同僚」が次の目標です。
いずれも若かったころの、「遠~い想い出」に尽力してくれた恩人と言っていい存在。
「いつまでも忘れず、感謝している」、という思いを伝えておかなければ…。


【おまけ】~孫太郎の初節句
娘がメールで送ってきた子供の日前後に撮った写真↓

左の「五月人形」っていうか兜は、買わされました
思い起こせば30年前、亡き義父もウチの長男に買ってくれたっけ。(弁慶だった)
ずっと出したままにしてたので、女性のお雛様同様「未だに嫁が来ない?」、ってことは、ないよなぁ…(笑)

27⇒26

2014-05-17 22:14:48 | よもやま話
何の数字?、とお思いのことと存じますが、コレ私の歯の数。
昨年末から下の前歯の歯茎が痛みだし、いつもの歯医者さんへ。(押さえると痛む)
虫歯を治療し、レーザーを当てたりしましたがちょっとマシになったくらいで、
歯医者さんも「なんでかねぇ…」
ところが連休中の6日、その歯のかぶせ物がポロリと取れ、とたんにグラグラ
およそ55年ぶりの「歯のグラグラ感」にたまらず連休明けに行くと、「抜かなきゃダメねぇ」。
あっという間に抜かれてしまい、長年連れ添った前歯と

「あら、やっぱり割れてたのね」、抜いた歯を見せてもらうと真っ二つに折れてました。
それがレントゲンを撮っても写らない方向だったため、痛みの原因が特定できなかったみたい。
なので現在は笑うと「ウケる」面相になっとります
28本⇒27本になったのが高校生の時、歯並びの悪い奥歯の一本を虫歯になったのを機に抜き、
それからは親知らず以外、歯を抜くなんて縁がありませんでした。
ちなみに、入れ歯にしないとダメなのでおよそ一ヵ月先までこのまま…(歯茎が落ち着くまで)

気を取り直して昨日(16日)のきれいな夕陽を。

左の船影は小豆島行きのフェリーです。
うまい具合に大槌と女木島のあいだにスッポリ。

おっ、グラデーションがイイ感じになってきた…

最後の一枚のデータ:F10・1/160・ISO100・200ミリ

追記:家内の昇段試験の結果は残念ながら「不合格」だったそう。来年がんばって!

上京Ⅲ(5/11)

2014-05-15 23:40:15 | よもやま話
【前回までの補足】
1.富士山の写真
  時速200キロ以上で走行する「のぞみ」の車窓から写すのは実際には難しい。
  (架線のポールが写り込んだりする)
  で、久しぶりに「連写」を使いました。3枚のうち2枚はそれなりに写ってました。
  ちなみに、右の淡い線はデッキの灯りが窓に映ったもので、窓ガラスに密着させると
  ブレてしまうおそれがあったのでやむを得ません。
2.Suicaのエラー
  Suicaは、入場券としての使用ができないそうです。
  なので「あ、間違えた!」と出ようとしても、「入場券と同じ扱い」にされたみたいです。
  まぁ、東西線に乗って日本橋乗り換えでもよかったんですけどね。

さて、3日目は私の「メインイベント」、元同僚と上司との再会を果たす、です。
市原の友人宅から同じ市原市内に住む元同僚に「上京しているので会いたい」と電話しました。
その同僚は私より10歳下、私が転勤(昭和55年)した情報処理部門の前年の新入社員。
コンピュータはド素人(IBMのテキストで勉強)だった私に、いろいろ教えてくれました。
転勤後結婚するまでの一年あまりいた独身寮も同じで、朝晩一緒に通勤した仲。
私が退職して高松に移ってからも毎年欠かさず年賀状を送ってくれ、いつか必ず…と思ってましたが
3年前の大ドジのせいでそのときは果たせず、今回やっと。

彼と電話していると「スギさん、会いたいって言ってた元同僚ってM原さんなの」。
『えっ?、知り合いだったの?』、ふたり声をそろえて「お世話になって、よく知ってる!」。
泊めてくれたA藤氏とM原くんは、営業所向けオンラインシステムの関係でよく顔を合わせていたとか。
何度も会っているA藤氏とその辺の話をしたことがなく、全く知らなかったのでした。
「明日の朝、出かけるついでに五井駅まで送って行くから、蘇我駅で待ち合わせれば?」

蘇我駅で昭和61年以来「28年ぶり」で再会した彼は、まだあどけなさの残っていた面影が…
それから5時間以上!、お茶を飲んで、稲毛海浜公園を散歩したあと遅いお昼を食べるまで、
積もる話を長い空白を埋めるかのように…
私はともかく、彼は3年前退職してからとても苦労したようです。
『家族が皆元気で仲良く暮らしていれば、なんとかなるよ』と私。

食事をしたあと、元上司に『今稲毛海浜公園のそばに来てます、お目にかかりたいのですが…』。
「なんだ、すぐ近くじゃないか、車で迎えに行くよ」との返事。
ものの10分でお元気そうな姿を見せてくださいました。
元上司とは、前に勤めていたフェリー会社の「ディズニーランド研修」以来、およそ15年ぶり。
来年は80歳になられるそうですが、とてもそんなお年には見えませんでした。
その「元上司」といっても、一緒に仕事をしたのは40年前(神戸時代)のわずか一年たらず。
なのになぜ私が慕っているのか?、というのは「初めて出会った減点主義でない上司」だったから。
「スギ○クンは仕事の虫みたいなヤツだから、やりたいようにやらせりゃいいんだよ」
と伝え聞き、上司からそう言われて頑張らない部下はいません。

ご自宅(美浜区)にお招きくださり、奥様とはおよそ30年ぶりでしょうか。
神戸時代、ご長男を出産されたので「神戸には出産のために行ったようなものねぇ」って。
お子さんの結婚式の写真やお孫さんの写真を見せてくださったり、楽しいひとときを過ごし、
家内との待ち合わせに間に合うようにおいとま、6時すぎの京葉線に乗って東京駅へ。
夕暮れの中、電車の窓からスカイツリーも見えました。

家内の試験場は錦糸町の近く、「東京駅のどこで…」という連絡はなかったけど『子供じゃあるまいし』
京葉線地下ホームから新幹線乗り場まで延々と通路を歩き、ホームに上がると先頭に見慣れたオバサン。
『(試験の)首尾は?』「やるだけのことはやった、あとは祈るのみ…」
とまぁ、こんな調子で充実した3日間も終わり、意義深い初夏の休日を過ごせました。

もちろん、「番外編」もあります。

上京Ⅱ(5/10)

2014-05-13 01:10:37 | よもやま話
冒頭の写真は、朝ホテルの窓から見えた「東京タワー」。
「東京のシンボル」の座をスカイツリーに明け渡したものの、高層ビルが林立する今でも存在感は健在。
少し右に目を向けると、新宿方向の高層ビルの中に都庁も↓。

新宿西口の高層ビル群、関東時代にIBMの講習会で何日か住友三角ビルに通ったことがあります。

友人との待ち合わせにたっぷり時間があり、ゆっくりホテルで朝食(バイキング)。
ふと見ると非常口の前に何か置いてあったので、
消防署の立ち入り検査があったらチェックされるでぇ~
バイキングといえばいつも気になるのが「食べ残し」。
私らの隣の席にいた親娘連れ、20歳前後とおぼしき娘はスマホとにらめっこ、皿には大量の食べ残し。
食べきれんのやったら、初めから少なめに持ってこい!

前夜の「散歩」のとき、水道橋駅の発車メロディに「ン?」
JR水道橋駅は、プロ野球読売ジャイアンツの応援歌「闘魂こめて」です。
そういえば、JR高田馬場駅は「鉄腕アトム」となにかで聞いたことがあり、『行ってみよ~』
新宿で山手線外回りに乗り換え、二代目歌奴師匠の名調子で有名な新大久保の次が高田馬場。
高田馬場は、就職した同期で仲良くなった元同僚の兄さんがいて、一緒に訪ねたことがあります。
早稲田大学が近いので学生の住むアパートが多く、「食堂が安くて量が多い」と仰ってました。
袖ヶ浦へは、品川からアクアラインの高速バスに乗ることにしていたので山手線内回りでバック(笑)
ちなみに、運賃計算は「最短コース」なのでこんな乗り方をしても水道橋~品川の運賃が適用※。
 ※代々木~目白間が重複乗車になるので違法は違法です

品川駅東口のレストランでお昼を食べ、ガラガラの高速バスに乗って28年ぶりの首都高1号線。
羽田空港のそばを通って東京湾の下へGO!

ちょっとタイミングが遅れて、よく分からない写真になってしまいました。
袖ヶ浦BTにそれぞれの友人が迎えに来てくれ、『バイバ~イ』(笑)

市原の友人宅はおよそ15年ぶり、リフォームしてとても快適な住まいになってました。
定年退職後、奥さんと始めた社交ダンスにはまり、楽しい日々を送っているそう。
「刑事ドラマ(主人公が私と同姓のアレ)のダンスシーンにエキストラ出演したのよ」と奥さん。
もっとも、朝から晩までいて、映っているのはたったの4秒間!(笑)
「でも水谷豊と挨拶できた」って奥さん結構ミーハーだったりして
89歳になられる彼のお母上も病気・手術を乗り越えお元気そうでよかったです。
彼と私のクサレ縁、以前書いた私の妹と彼の奥さん・妹さんの名前が同じということ以外に
どちらも親父が60歳で死んだんだっけ…
お互い元気で親父のトシを超えられ、「しあわせなことだよなぁ」としみじみ…     ~つづく

上京Ⅰ(5/9)

2014-05-12 12:00:45 | よもやま話
9日お昼過ぎの瀬戸大橋線・快速マリンライナーで岡山へ、新幹線で上京してきました。
冒頭の写真は、弾丸ツアー時の埋め合わせとばかりに姿を見せてくれた冨士。
 ※富士川橋梁通過時、前回は夜の飛行機&雨で全く観えず

今回の上京の目的は、
 ①家内の昇段(教士七段)試験
 ②千葉在住の元上司・同僚との再会
の二つ。
ホントなら家内だけ、せいぜい一泊でもよさそうなものなのですが、
「金・土も練習したいし、荷物持ちが…」

結婚直後の松戸時代、千葉県代表として家内と全国大会に出場した袖ヶ浦の知人が、
『ウチに泊ってくれたらいいし、練習パートナーにもなってあげる』
そう連絡してくれたとのことで、
「おとーさんは、市原のA藤さんと会ってくれば?」'11年に高松に来て再会した
連絡すると『ウチに泊ってくれたらいーよ』
とまぁ、親切な二人に恵まれ、「ほんじゃオレも行こうか…」となった次第。


岡山駅で昼食を摂った時見えた駅前の桃太郎像。
イヌ・サル・キジのお供以外にハトもいたっけ?(笑)
今回の「格安チケット」は、ディズニーランド観光用ホテル一泊プラン。
 ※ディズニーランドのパスは別途、新幹線往復は指定列車のみで途中下車等一切不可
値段は、ホテル一泊(朝食付き)がタダになるくらいの割引率でした。
カラクリは、出発後新幹線の「乗変※」ができないので、JRは絶対ソンをしないということ。
 ※早い列車に変更不可、乗り遅れたときもすべて乗車券・特急券は買い直しになる

ホテルは、水道橋・飯田橋から徒歩10分たらず、格安チケット…としては
東京駅で中央線快速に乗り換え、荻窪で練習するという家内と御茶ノ水で別れ、私は飯田橋へ。
駅をおりてすぐ翌日からの移動に備え「Suica」を購入。
驚いたのは、駅構内のパン屋さんでも使えた!、この時点で「お上りさん」バレバレ
重い荷物をかかえ、ホテルまでトコトコ歩いてチェックイン(水道橋からの方が近かった…笑)。

家内は9時頃まで練習すると言ってたし、ひとりで晩メシというのもなぁ…
水道橋あたりまでブラブラすっか、と外に出たものの道を間違え九段下まで(笑)
縁起でもない!と思い出したとたん、何も考えず地下鉄東西線の改札を通ってしまった。
半蔵門線に乗るなら、一旦改札を出なければいかず、Suicaをタッチしたらエラー(笑)
駅員さんに解除してもらって、半蔵門線で三越前、銀座線で神田、駅前のルノワールでお茶。
中央快速で御茶ノ水、中央・総武緩行で水道橋とぐるっと一周。

水道橋といえば「東京ドーム」、巨人は甲子園で阪神戦だったので閑散としてましたが、
テレビで映るその外観を観たのは初めてでした。(昭和63年竣工、関東時代は工事中)
ちなみに、2回の関東時代には「後楽園」「神宮」「横浜」各球場はもちろん、「川崎球場」へも
プロ野球観戦に行ったことがあります。

水道橋からホテルの間に「ラストオーダー22:30」という中華料理店があり、ここならOKと思って
荻窪から戻る家内に水道橋で降りるよう連絡。
まぁ、900メートルの差(飯田橋~水道橋)で荻窪からの運賃が90円高いというのを知らなかったので、
家内が自動改札機でマゴマゴしたのはご愛敬(笑)
そんなこんなで一日目の夜は更けていきましたとサ…        ~つづく