退院して10日、食欲旺盛の上に微熱もおさまり、入院前の状態に戻りつつある母。
今日は入院していた病院へ診察に連れて行きました。(内科・皮膚科・泌尿器科)
車イスに乗せて玄関を入ったとたん受付の女性が、
「まぁ~、元気になってよかったわねぇ。顔つきもしっかりしてるし…」。
いきなりだったのでビックリしましたが、入院中にどこかで見て下さっていた方らしい。
入院中は、食事中以外ほぼ終日ウトウトしてたらしいので、そりゃ寝ぼけ顔だったことでしょう。
デイサービスでいろいろ刺激を与えてもらっているせいか、話しかけに対する反応も改善。
もちろん、私らの名前を呼んだり、大声で笑ったりするわけではありませんが…。
以前も書きましたが、母は苦労人。
小学校卒業後すぐ、広島の田舎から神戸の伯父(母方の祖母の兄=私の祖父)に引き取られ、
女中代わりにこき使われたらしい。
青春時代は太平洋戦争の真っ最中で、戦後復員してきたオヤジと無理矢理結婚させられ…。
そんな生活が染み付いたのか、生活態度はきわめて質素。
神戸から引っ越すとき、押入れから真新しいタオル(粗品のような)や石鹸がどっさり。
それもビニールの袋や箱に入ったまま保管されていて、「何年前のや?」と家族一同大笑い。
いわゆる『物喜び』する人ですから、もらい物でも大事に残していたのでしょう。
そして、食事は何でも「おいしい、おいしい」と食べるし、ちょっとしたことでも「ありがとう」。
デイサービスの職員さんも「お世話のしがいがある」って仰ってくださってます。
ごはんが硬いだの、味付けが薄いだの文句をいうお年寄りもいるらしい。
こっちには知人がいないので、人の悪口は言わないし、歩けないから徘徊の心配もない(笑)
というわけで、配達中にあちこちから「おばあちゃん元気?」と声をかけられます。
半生は苦労の連続で恵まれなかったかもしれないけど、晩年は気楽で幸せなんじゃないか?
認知症が進行して、本人が「たくさんの人が自分のことを気にかけてくれている」という幸せを
意識できていないだろうことはかわいそうですが、無意識でも生きる原動力になっているはず。
母の穏やかな顔を見ているとそんな気がしてきます。
今日は入院していた病院へ診察に連れて行きました。(内科・皮膚科・泌尿器科)
車イスに乗せて玄関を入ったとたん受付の女性が、
「まぁ~、元気になってよかったわねぇ。顔つきもしっかりしてるし…」。
いきなりだったのでビックリしましたが、入院中にどこかで見て下さっていた方らしい。
入院中は、食事中以外ほぼ終日ウトウトしてたらしいので、そりゃ寝ぼけ顔だったことでしょう。
デイサービスでいろいろ刺激を与えてもらっているせいか、話しかけに対する反応も改善。
もちろん、私らの名前を呼んだり、大声で笑ったりするわけではありませんが…。
以前も書きましたが、母は苦労人。
小学校卒業後すぐ、広島の田舎から神戸の伯父(母方の祖母の兄=私の祖父)に引き取られ、
女中代わりにこき使われたらしい。
青春時代は太平洋戦争の真っ最中で、戦後復員してきたオヤジと無理矢理結婚させられ…。
そんな生活が染み付いたのか、生活態度はきわめて質素。
神戸から引っ越すとき、押入れから真新しいタオル(粗品のような)や石鹸がどっさり。
それもビニールの袋や箱に入ったまま保管されていて、「何年前のや?」と家族一同大笑い。
いわゆる『物喜び』する人ですから、もらい物でも大事に残していたのでしょう。
そして、食事は何でも「おいしい、おいしい」と食べるし、ちょっとしたことでも「ありがとう」。
デイサービスの職員さんも「お世話のしがいがある」って仰ってくださってます。
ごはんが硬いだの、味付けが薄いだの文句をいうお年寄りもいるらしい。
こっちには知人がいないので、人の悪口は言わないし、歩けないから徘徊の心配もない(笑)
というわけで、配達中にあちこちから「おばあちゃん元気?」と声をかけられます。
半生は苦労の連続で恵まれなかったかもしれないけど、晩年は気楽で幸せなんじゃないか?
認知症が進行して、本人が「たくさんの人が自分のことを気にかけてくれている」という幸せを
意識できていないだろうことはかわいそうですが、無意識でも生きる原動力になっているはず。
母の穏やかな顔を見ているとそんな気がしてきます。