貧々自適

仕事のかたわらデジカメを構えたり
季節のうつろいや人の優しさに触れ感激する
そんな貧乏オヤジのつれづれ帳です

水が足りないくらい…

2005-08-31 23:09:37 | 季節の話題
台風13号が先島諸島に接近し、アメダスによると、与那国島では21時現在、風速38m!の猛烈な風が吹いているようです。
瞬間最大風速は50m超でしょう。
おまけに3~4日遅れで同じようなコースをとっている14号は、予報どおり発達すると13号以上の勢力になりそうで、進路を北に振ってくれないとダブルパンチ。
被害が最小限ですむよう祈ります。

以前勤めていたフェリー会社には、風速・風向計があり、台風接近や冬場の時化のときフェリーへの連絡(入港時の操船が難しいので)によく見ていましたが、瀬戸内ではせいぜい30mくらいまでで、40mというのはほとんど経験がありません。
30mでもまともに歩けない風(特に私みたいな軽量級は…笑)で、岸壁に当たった波の飛沫が7~8mの高さに上がったのを見たことがあります。

与那国島といえば日本最西端、那覇より台湾の方が近いとか、「Dr.コトー」のロケ地として有名ですね。いつか行ってみたいと思いますが、ムリかな?
日本で最後に夕日が沈む(夏至のころなら19:40ごろ)とか、昔日本人の祖先が島伝いに日本へ渡ったとき、最初に上陸した島(今の日本の領土でいうと)というロマンを感じます。
天気がよければ、台湾~沖縄~鹿児島は島伝いに順に見通せる、と何かで見たことがあります。同じことが、朝鮮半島~対馬~壱岐~九州でも。

毎年、本土の我々と違って衰える前の台風の直撃を受ける、という厳しい自然環境で暮らしていらっしゃる人々のご苦労を思うと、ちょっと雨が少なくて水が足りないなんてことくらい、ゼータクなのかも…

原油高

2005-08-30 12:48:48 | 季節の話題
台風13号にゆうべの私の「イヤミ」が聞こえたのか、当地でも今しがたから雨が…
アメダスを見ると、高知県本川・本山にも数mmの降雨があり、まぁちょっとは早明浦ダムにも貯まるでしょう。
もっとも13号は「非常に強い台風」のようで(最大風速50mとか)、先島諸島に接近、被害が心配されます。次の14号も13号の後追いコースを取るのかな?

けさ長男を会社へ送った帰り道に「朝マック」、毎日新聞を読んでいると「原油高」の記事が目にとまりました。
原因のひとつにアメリカの浪費と製油所不足が挙げられていました。
前者はともかく後者は初耳。
まぁ主因は投機的な(価格の)つり上げなんでしょうが、設備投資が高額なうえ建設に長期間かかり、利益率が低い製油所の増設に及び腰、という側面があるそうです。
アメリカは株主・投資家の力が強い(儲からない事業には風当たりがきつい?)みたいですから、政府が助成金を出すといっても動きが鈍いとか。。

片や日本は石油関連商品の価格が上がって、庶民の生活を直撃しようがほっかむり状態。
ガソリン税に対しても消費税をかけてる(=二重取り)くらいですから、上がれば上がるほど増収。選挙対策でいいから、この際価格安定のためにガソリン税や軽油税を下げるとかすりゃいいのになぁ。
あぁ分かった、選挙の費用を捻出するんだ(笑)

銀行の振込手数料に含まれている収入印紙代(印紙税)にも消費税がかかってる、って知ってますか?これも税金の二重取りで、アホらしいから6万未満なら分けたりして(笑)
昔、銀行員に言ったら「そのことは、突っつかないでくださいよ」って、ははは。

(追記)
17:00まで高松は22mmの降水量があったのに、早明浦ダム周辺ではわずか7.5mm…
逆やろ(-_-#)

バイクで転倒(恥)

2005-08-29 22:53:58 | よもやま話
期待の星(笑)台風13号は、沖縄・先島諸島めざし、まっしぐら。
台湾をかすめ東シナ海を西進して中国へ向かうもようで、またも空振りか?と思われますが、四国に近づきつつある秋雨前線を刺激して、少しは降らせてくれるんかいな。
明日の高知県地方の予報は、くもり一時雨(日中60%)で、ちょっと期待(笑)

きのう配達中、バイクの前輪がパンクしかかっていたのに気付かず、Uターンしようとして転倒、肩とヒザを打撲してしまいました(恥)
住宅街の裏道で車もほとんど走ってなかったのが不幸中の幸い、ショックと痛みでしばらく起き上がれませんでしたが、なんとかGSまで走って行けました。
肩の骨にヒビでも?とも思いますがたぶん大丈夫でしょう。折れたりしてたら腫れてるだろうし。

きょうの当地は、15時現在の気温30.5℃、北の風3m、湿度45%とさすがに「夏の終わり」を感じさせる、暑いながらも「さわやか」な午後でした。
ついこないだまでの33℃だ、34℃だという猛暑に比べると、31℃でもちょっとは涼しく感じるんですから、人間の感覚ってテキトーやな、って思います。
やっぱり日本の夏の暑さは、湿度が押し上げてるんですねぇ。
バイクで走ると心地よい季節はもうすぐ。

雨、降らず

2005-08-25 22:58:17 | 閉架
期待した台風11号は、当地はもとより早明浦ダムに一滴の雨ももたらさず、伊豆半島をかすめ、関東地方を縦断するコースをとりました。
台風まで東京に憧れとるんかい!(-_-#)
関東地方の「ももさん」「raikaさん」宅に被害が及ばないよう、お祈りします。

また3~4日で貯水率ゼロ、発電用水をちびちび使う耐乏生活。
こうなりゃ、ヤケクソで次の13号(まだ発生してない!って)に期待すっか…

息子の会社(運送会社)でトラックを洗車してると、すぐ自治体の広報車がやってきて「節水にご協力を」って言われるそうです。近所の人が通報するらしい(笑)

昔やはり水不足になったとき、喫茶店で「お水」が出ず、コーヒーも紙コップだったと家内から聞いたことがありますが、マックの先取りかぃ?

台風頼み

2005-08-24 03:12:19 | 季節の話題
ついに貯水率ゼロを切った早明浦ダムが、先日の雨(約100mm)で8%弱(ゆうべ20時現在)まで回復しました。
借りた発電用水を返せたわけですが、とてもとてもという量です。
25~6日に上陸が予想される台風11号が「頼みのつな」という事態は変わっていません。

問題はコースで、進路予想では、紀伊半島から関東沿岸に上陸する公算が高いようです。
台風が四国の東側を通るコースをとるとあまり強い風が吹かず(風による)被害が少なくてすみますが、雨量も少ないのではなかったかなぁ?
南よりの風が四国山地に当たって大雨を降らせる、というのがふつうなので西側を通って欲しいんですが、逆に強風と集中豪雨による土砂災害も懸念されるので痛し痒しです。
今までも国道32号(高松~高知)や33号(松山~高知)の山間部は、集中豪雨でガケくずれが頻発、しばしば通行止めになっていました。

早明浦ダム上流に本川村*という寒村があり、古い知人が「蕎麦屋」を営んでいたとき、よく行きました。 *去年合併して「いの町」になっています。
その知人(酒好きの超インテリ)というのは、住宅公団の職員から転身、高知市内で喫茶店や料理屋を経営、あげくは蕎麦好きが高じて蕎麦屋も、という異色の経歴の持ち主で、地元ではちょっとした有名人。現在は本川村の店は若い人が引き継ぎ、本人は高知市内に戻って蕎麦屋兼居酒屋を営んでいます。

博学多識のその知人によれば、山間部の村が過疎化・高齢化するのはアタリマエで、その理由の最たるものは「仕事=金もうけ」という価値観の変化が根っこにあるそうです。
豊かな自然をベースに生活を営んでいた昔と違い、現金収入を得るための「仕事」が主になったこと(結果的に自然を破壊するような)が今日の衰退を招いた、という見方をしていました。
高齢化が進み、労働力不足から山が荒れ⇒森林の保水力低下⇒土砂災害という悪循環に陥っているという現実があります。

都会並みの生活をするため役所に陳情して国道・県道整備をしても、工事の間は一時的に潤って(いるようにみえるだけ)も終われば車は素通り、若い人はもっと便利な都会へ出て行く、というわけです。
端的にいえば、国道や林道工事の何億何十億というカネもほとんど地元に残らず、都会の企業に還流するしくみになっているので、公共工事をすればするほどみかけの社会資本は充実しても、過疎地対策にはまったく寄与しない、ということです。
これは日本中どこでも、ほとんど同じなんでしょう。
そして町村合併という追い討ちを受け、ますます地方の過疎化・高齢化が進んでいく…

ラジオのニュースで、ひょっとすると予想より早く、わが国は「人口減少」に転じたかも?って聴きました。いよいよ始まったか…

地図の「立体視」から脱線(笑)

2005-08-19 23:19:41 | 想い出話
お気に入り(ブックマーク)に入れている「国土地理院」のホームページで、2万5千分の1の地図が「立体視」できることに気付きました。
早速、富士山や黒四ダムなどを立体視してみました。
赤・青メガネがないので交差法(平行法はコツを忘れた)でですが、感想は「リアル!」
狭い範囲ではありますが、富士山の火口や黒四ダムの高低差があたかも「鳥」になったように見られます。
やはり2次元と3次元は違う(笑)

高校生のころ自宅周辺の5万分の1の地図を姫路の書店で何枚か買い求め、登山やサイクリングの計画を立てたりしました。
今みたいにコピー機がどこにでもある便利な時代ではなく、汚さないよう大事に使った記憶があります。
XEROXみたいな便利な機械が発明されたおかげで、逆に図面や書類を雑に扱うようになった、といえなくもありません。
コピー機メーカーが悪いという意味ではありません。もちろん使う人間の問題です。
使い捨てという言葉が日常的になった、いろんな容器がプラスチックになった、というのがほぼ同じころ(コピー機が一般化し始めた)だったんではないかなぁ…

私が小学生の頃は、豆腐は行商のお豆腐屋さんから、肉は肉屋さんで竹の皮で包んでもらって、というのが日常の風景でした。
肉屋の店員さんが竹の皮の端を裂き紐状にして縛る慣れた手つきを「すっ、素早い!」と感心して見ていた記憶があります。
りんごや卵のクッションは「籾殻」でしたね。
八百屋さんでは野菜や果物を古新聞に入れてくれ、竹の皮や古新聞は七輪やお風呂の焚きつけに重宝していましたっけ。現在の新聞や広告と違い、きれいに燃えたんです。
薪も近所で家を解体した廃材を分けてもらったりして。
そうそう駅のホームの屋根の柱は古レールだったり、線路脇の塀というかフェンスは枕木の廃材だったり…

何かで見聞きしましたが、人間が「ふつうの生活」を営む(食事の煮炊きや暖房という意味で)ために木材(炭にしたとしても)や石炭・石油を燃やしても、人間の経済活動に起因する「地球の温暖化」は進まないとか。
やっぱり自動車のガソリンを筆頭に、使い捨てやゴミにしている分は「過剰消費」なんでしょうね。

話がずいぶん横道に逸れました。ま、いつものことです(笑)

続編

2005-08-16 23:17:14 | よもやま話
余りにも内容が異なるので、分離・加筆しました。

その1
我が母校は「甲子園」初戦敗退(T_T)。
勝って校歌を!との願いは届かず「夏の一勝」はまたおあずけ。
試合開始までに球場に着かなかったので、アルプススタンドが満席になってしまい、隣の特別内野席で観戦しました。
↓証拠写真(笑)

対戦相手の山形県代表・酒田南高は、打線はいい振りをしていたし、ピッチャーもナイスピッチング(12三振)で、ほとんどつけ入るスキがありませんでした。脱帽!
その酒田南高が2回戦で対戦した沖縄尚学高は、母校が二度目のセンバツに出場したとき(二男と甥っ子を連れて観戦にいきました)対戦して敗れた相手で、因縁を感じます。
(追記)
8/16に3回戦で山口・宇部商に敗退、また甲子園に来いよーっ!

その2
当地は、7月初旬からまたカラカラのお天気が続き、早明浦ダムの貯水率は10%を切り、今週中(あと4日ほどでゼロ)には「夜間断水」が必至です。
発電用の水を水道用に転用させてもらうという案まで出てます。
涙ぐましいというか、てんやわんやというか…
「もうちょっと分けてーな」っていう香川県の要望に対し、徳島は「県民の合意がいる」だとか。
合意をとらず、しょっちゅういろんなことを決めてんじゃないの?ってやっかみも(笑)
こうしている間にも吉野川は滔々と流れてる…
まぁ、河口から7~80km上流の池田ダムのあたりでも海抜80mほどなので、流量が減ると海水が満潮時に逆流し、被害が出るのかな?とは思いますがね。

(追記)
発電用水を分けてもらえるので、自主水源+節水効果で、夜間断水が回避できるかも…
選挙カーより一足早く、市の広報車が「節水」の連呼(笑)
こっちは多少うるさくても腹が立たない…

8月15日

2005-08-15 23:16:49 | 季節の話題
6日・9日とくれば、今日15日に触れないわけにはいきませんな…
60年のあいだ、ただの一度も他国と戦火を交えることなく、曲りなりにも平和国家としての体裁を整えてこられたのは、昭和20年8月15日という日があったからでしょう。
書きたいことはいっぱいありますが、今日は「鎮魂」の日です。
何もいわずに、第二次大戦の何千万人ともいわれる戦争さえなければ「死ななくてよかったはず」の人たちに思いを…

昭和天皇の「終戦の詔勅」がナマ放送ではなく、レコードに録音されたものだった、というのを高校生だったときに観た映画「日本の一番長い日」で知りました。
ポツダム宣言受諾に至るまでの御前会議や軍部の混乱などが、モノクロの映像でより緊迫感を醸しだしていた「いい映画」でした。
出演者の中には既に亡くなられた方も多く、時の流れを感じます。

8月9日

2005-08-09 10:54:52 | 季節の話題
8月6日だけが特別な日というわけでなく、今日9日は長崎の原爆記念日です。
改めて原爆で亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、後遺症に苦しみ、また肉親・友人を失いその後の60年を歯を食いしばって生き抜いてこられた多数の方々にお見舞いと敬意を…

また1945年8月9日は当時の「ソ連」が旧満州に侵攻し、日本の「ポツダム宣言受諾」を加速させたきっかけになった日でもあります。
日本政府の淡い期待(こともあろうに和平の仲介をソ連に打診していた)が裏切られ、文字通り世界の中で「孤立」した決定的な一日という言い方もできましょう。
長くなるので、参考になる情報を2つだけ。
・文春ビデオ「太平洋戦争・失敗の研究(6)」 ←廃盤か?
「そのとき歴史が動いた」 ←再放送があります
前者はNHKの特番がビデオ化され、私も市の図書館で借りて何度も視ました。
作家の半藤一利氏が解説されており、(3)だったかの「インパール作戦…」も強く印象に残っています。
検索してみましたが、ヒットしなかったので(市の図書館にも1と6のみ)…
ひょっとすると、NHKアーカイブスで視聴できるかも…

長崎には2回しか行ったことがありません。
そのうち平和公園へは一度きり、心からお詫びします。
いくら広島とは縁が深いとはいえ、軽く扱っていたわけではありませんが…
死ぬまでに必ずまた行かせて頂きますので。

靖国神社に祀られている方々だけが戦争の犠牲者ではありません。
今の平和を謳歌している若者のおじいちゃん、おばあちゃんもほとんどが「その一人」のはずです。
君たちの言葉で言う「ウッソーッ?!」というような「青春時代」を過ごした人たちです。
くりかえしますが、「理解しろ」とはいいませんが「憶えておいて」と思います。



8月6日

2005-08-06 20:31:15 | 季節の話題
きょう8月6日は、60回目の広島原爆記念日。
広島の平和公園で平和祈念式典が行われ、そのあと甲子園の開会式をNHKのテレビで、見るともなく視ていました。
広島は祖父・母の出身地であり、お墓もあるし子どものころから夏休みなどに何度も訪れ、「第二のふるさと」といっていい思い入れのある土地です。
一昨年死んだ姉も、夫の転勤で十数年住んでいました。
直系の親族に原爆で亡くなった人はいませんが遠い親戚にはおられたようで、叔母に連れて行ってもらった家で、今夜は「灯籠流し」だ、と話しているのを聞いた記憶があります。

甲子園の開会式がくしくも「その日」と重なり、開会式の式辞でも触れられていました。
60年以上前の先輩達が、戦争のため大会が中止になり出場できなかったばかりか戦争中に亡くなった人も多く、今の平和をかみしめて全力でプレーしてもらいたい、との思いを改めて強くしました。

25年くらい前の週刊ベースボールに、「最後のキャッチボール」という記事(題は?)が載っていて、今でも憶えています。
野球をやりたかったのに戦争のため断念、特攻で出撃前に最後のキャッチボールを「どんな思い」で戦友としたのか?
記事は「その人の『思い』を理解しろとは言わない、ただそんな『野球が好きだった青年がいた』ということを憶えておいてほしい」と結ばれていました。

「最後の夏」と称して書き連ねた、私の「青春まっただなか」の子ども達に対する「思い」の原点はこの記事だったのです。
青春時代、自分の好きなこと、やりたいことが、国家の都合や世の中の情勢とかで制限されたりできなかったり、というのは不幸です。
だから「今のそのとき」をせいいっぱい頑張れ!、と応援しているのです。
私らは戦後生まれとはいえ「戦争のカゲ」をかろうじて感じながら育った世代ですから、自分の青春時代に感じた「なんでもやれそうな幸せ」を守る責務がある、と思っています。

ちなみに開会式の入場行進の、プラカードを持って選手達を先導する女子高校生は、市立西宮高校の生徒で(参考)、彼女達にとっても一生の想い出となることでしょう。プラカードを持ってくれた女子生徒と結婚した、っていう猛者もいたとか(笑)
そっちの方も頑張れよ!

それにしても開会式の政治家の挨拶って、いつ聞いてもつまらんなぁ。ちょっとは頭を使って気の利いたことを喋れよ!、ってか?

(追記)
検索したら、週刊ベースボールに出ていたエピソードの人が分かりました。
東京ドームの石碑に刻まれているそうです。
こちらにもう少し詳しく。作家の山岡荘八氏が立ち会っていたらしい…

最後の夏(3)

2005-08-05 11:33:03 | よもやま話
続編が多いな…(^^ゞ

ニュース等でご承知のとおり、高知県の代表校「明徳義塾高校」が部員の「不祥事」で、本大会直前(甲子園球場で練習し、組み合わせも決まったのに)になって出場辞退となり、物議を醸しています。
ブログもかまびすしいこと、かまびすしいこと…
不祥事に関わっていなかった選手達には同情しますが、明徳へ行ってレギュラーになれたら「甲子園」も夢じゃない!と他県から来た選手がかなりいるはずなので、まぁ微妙でもあります。

くりかえしになりますが明徳義塾高校といえば、星陵・松井に対する5連続敬遠はやっぱり「異常だ」、といまだに思います。
私は「高校野球は教育の一環」とキレイごとをいうつもりはありませんが、ただ何度も「最後の夏」を書き連ねて(元々考えていたことではありますが)、
「より練習したものが勝利を掴む」という真理と同時に、彼らの「青春」そのものを表現できる場所の一つ、という思いを強くしています。
グラウンドで戦う選手だけでなく、控え・マネージャーに始まりスタンドで応援する(地区大会1回戦でも)ブラスバンドや応援団もみんな同じ青春の1ページを共有しているはず。
もちろん野球以外の他の部活や学校行事、はては大学受験勉強だって同じでしょう。
他の余計なことを考えず「全エネルギー」を集中して、その「一瞬」をがんばっている子ども達がたくさんいるわけで、そういう貴重な「限られた時間と舞台」にやはり敬遠は似合いません。

松井自身「あのことは気にしていない」と語っていますが、そのあとの神宮大会(?)で勝負してもらえ(たしか相手は香川県代表)、ホームランを打って3塁ベースを回るとき、相手ベンチにヘルメットのひさしに手をやって一礼したのをニュース画面で見ました。
そんなスーパースター(当時はその卵)と甲子園で戦った、という経験(=想い出)を選手に積ませてやらなかったのは監督、いや人生の先輩として失敗だった、と私は思います。
私が松井を「スーパースター」と思ったのは、巨人最後のシーズンで本塁打を50本打ったからだけではなく、「中学のころから『人の悪口』を言ったことがない」という信条を伊集院静氏に語ったのをNHKの特番で視てからです。ヒントは以下のページの中にあるような気がします。

↓こんなページを拾い読みしてみました。卒論にしてる人もいる(笑)
『明徳義塾戦…5打席連続敬遠』
すぴゃろぐ
「選手にやらせたらええ」逆境から悟り、馬淵監督
「五打席連続敬遠事件」

愛車の廃車(2)

2005-08-02 22:59:52 | 家族のこと
7/22に息子が事故った愛車の最期の姿です。
廃車のための書類を整え、リサイクル料金と廃車手数料を払えば「永久」にさようなら…

私が乗っていたときは、車の中にいらないものやゴミは、ほとんど積んでなかったのに、息子が乗り出してからヒドイ状態で、かわいそうなことをしました。
私物を降ろし、ホンダのディーラーの人に「もう廃車手続きにかかってもらっていい」と言いに行く前に、「長い間ご苦労さん」と肩を叩いてやりました。