犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

裁判員で急性ストレス障害に 女性が国を提訴 (1)

2013-05-17 22:14:17 | 国家・政治・刑罰

5月8日 朝日新聞ニュースより

 強盗殺人罪などに問われた被告に死刑判決を言い渡した裁判で裁判員を務めた女性が7日、公判に提出された証拠によりショックを受け急性ストレス障害と診断されたとして、国に慰謝料など200万円の賠償を求めて仙台地裁に提訴した。

 提訴したのは、福島県の60代の女性。3月に福島地裁郡山支部で、同県会津美里町で夫婦を刺殺したなどの罪に問われた無職高橋(旧姓横倉)明彦被告(46)の裁判に参加した。訴状によると、女性は多くの刺し傷のある遺体のカラー写真を見たり、119番の音声記録で被害者の悲鳴を聞いたりしたことが原因で、急性ストレス障害に悩まされるようになった。

 女性は今も食欲がなく体重も減ったまま戻らないという。提訴について女性は「裁判員をしてストレスを受けるのは自分で最後にして欲しい。裁判員制度に対して問題提起をしたい」と話しているという。女性の担当弁護士は、裁判員法の規定について「国民の幸福追求権を定めた憲法13条、苦役からの自由を定めた憲法18条などに違反する」と主張している。


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 このニュースの報道では、素人の裁判員とプロの裁判所職員の差異が当然の前提とされていましたが、私は元プロの立場として何とも言えない気持ちになりました。私自身はこれまで、恐らく300人前後の遺体のカラー写真を見てきたと記憶しています。正確な人数については、他の裁判所職員と同じく把握していません。そして、この麻痺の仕方は、職業病に正しく罹患した結果であろうと思います。

 元裁判員の女性が受けた衝撃は、私にも想像がつきます。300人前後の写真を見てきても、「最初の1人」の衝撃は頭から離れないからです。それは40代の主婦の方でした。近所のスーパーに買い物に行った帰り、横断歩道でトラックに轢かれました。私は、彼女の顔を直視できない自分に気がつき、それまで自分なりに考えてきた「瞬間」や「永遠」という概念について、何も知らなかったことを思い知らされました。

 その後、私が数年間にわたり淡々と職務をこなしてきた際の心理操作は、それほど単純なものではありませんでしたが、それほど複雑なものでもありませんでした。少なくとも、裁判に携わるプロの実務家において、その権限がないことについて考察を深めることは職業倫理にもとるという点は明らかでした。すなわち、「罪と罰」「過ちと償い」「生と死」といった哲学的な問いについての考察です。

 私が裁判員制度の導入に賛成していたのは、裁判員の方々にとっては人生で1回のみの経験となる以上、哲学的な問いについて考えることが許されるからです。本来考えるべき問題をプロが考えることが許されないとなれば、せめてプロでない方々に託さなければ、この問いを考える者は誰もいなくなります。裁判員制度がもたらすものは、人間社会がなすべき義務として正しい方向を示しているとの直観が私にはありました。

 私は、多くの刺し傷で原型を留めなくなった被害者や、頭から脳が飛び出ている被害者や、全身が焼けて人間だか何だかわからない被害者の写真に向き合うたびに、一瞬の気持ち悪さに取り付かれ、その後は名付けようのない葛藤に襲われ、繊細さと鈍感さが混沌となった心情を抱えつつ仕事をしてきました。ここで、元裁判員の方に「最後にして欲しい」と言い切られてしまうと、最後のその後はどうなるのか、また妙な問いが沸き上がってきます。

(続きます。)

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