犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

余命3ヶ月の連帯保証人の話 (11)

2014-02-03 22:36:36 | 時間・生死・人生

 依頼を受けてから2ヶ月が経過した。依頼人夫婦からの連絡はなく、私からもあえて連絡を取らない。他方で、債権回収会社から事務所への催促の電話は続き、担当者の声のトーンがさらに厳しくなっている。事態が進捗しないことについて、彼は上司からの叱責を受け、板挟みの状況になっていることがわかる。このような切羽詰まった担当者は恐ろしい。何十分も執拗に食い下がられ、私は凄味の込もった嫌味の矢面に立たされてクタクタになる。

 担当者は、「これ以上誠意が見られないのであれば遅延利息は1円もカットしませんよ」と言い放つ。そして、最後の1日までたっぷり利息を付けることと、今この瞬間にも利息が膨れ続けていることを強調する。「日一日」という部分に力を込める担当者の言葉に、私の意識は、日一日と残された時間が減っているはずの依頼人のほうに瞬間的に飛ぶ。なぜ、利息が刻一刻と増えることと、生命の残り時間が刻一刻と減ることが、同じ「今」なのだろう。

 人間の余命は、医師から宣告されようとされまいと、生まれた瞬間から減り続ける。ところが、3ヶ月という期限を切られていない私は、その意味を脳で考えているに過ぎない。貸金の遅延利息とは、人間の脳が生み出す幻想の典型だと思う。しかし、利息の発生が時間の経過に従っているなら、時間も人間の脳が生み出す幻想ではないのか。ただ、依頼人の時間が「家族で過ごす最後の時間」になるのであれば、これはゆっくりと流れなければならない。

 人間の脳は、自分の脳内の腫瘍の発生をも自分の脳に知らせることができない。そして、他人に開頭してもらわなければ、それが良性か悪性かも知ることができない。電話口から、「人の話を聞いてるんですか」と担当者が苛立ったように問うてくる。私は「聞いてません」と答え、「こちらから申し上げられることは、あと1ヶ月はかかります、ということだけです。同じことを何回言えばわかるんですか?」と即座に続け、強引に電話を切ってしまう。

(フィクションです。続きます。)

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