犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

東日本大震災の保育所の裁判について その1

2014-03-24 22:53:41 | 国家・政治・刑罰

3月24日 毎日新聞より
「園児遺族側が敗訴 仙台地裁、賠償請求棄却」

 東日本大震災の大津波で亡くなった宮城県山元町立東保育所の園児2人(当時2歳、6歳)の遺族3人が「町側が避難を指示しなかったため起きた人災だ」として、町に計約8800万円の賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は24日、請求を棄却した。震災犠牲者の遺族が勤務先や学校などの責任を問う一連の訴訟で3件目の判決で、七十七銀行女川支店(同県女川町)訴訟に続き、遺族側が敗訴した。

 訴訟で遺族側は、町災害対策本部が震災発生直後、園に対し避難の必要がない「現状待機」を指示したために発生した事故だと主張。津波の情報収集にも不備があったとして「自力避難が不可能な乳幼児を預かる保育士と町職員が、適切な行動を取らなかったために発生した人災」と批判していた。

 一方、町側は、保育所が海岸から1.5キロ離れた場所にあったことなどから「津波襲来を予見できたとは言えない」と反論。「現状待機」指示についても「津波を予見できなかった以上、避難を指示する義務はなかった」としていた。


***************************************************

 この裁判や判決の詳細に関しては、全くの部外者である私にはよくわかりません。民事法の専門家は、この判決文を読み込んで過去の判例との整合性を検討し、今後の判例の動向についての研究材料にするものと思います。また、当事者以外の一般的な国民は、マスコミを通じて伝えられる範囲の情報を真実と捉えつつ、裁判所の判断や当事者のコメントに対して、賛成か否かの意見を持つものと思います。そして、数日間ですぐに忘れてしまうのだろうと思います。

 私の仕事の狭い経験からですが、このような問題についての双方の話し合いは、訴訟を回避するよりも、逆に訴訟での激しい争いを避け難いものとするように感じます。すなわち、両者に歩み寄りの意志があればあるほど、それが不可能であることの絶望に直面せざるを得なくなるからです。その意味で「交渉決裂」「裁判沙汰」といった用語は不正確であり、現在の法制度の下では、これを利用しないことの決断には激しい精神の消耗を伴わざるを得ないと思います。

(続きます。)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。