犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

余命3ヶ月の連帯保証人の話 (9)

2014-02-02 22:39:52 | 時間・生死・人生

 債権回収業者の用いる論理はあくまでも辛辣で、しかも声の質は驚異的にねちっこい。「3ヶ月とか、何チンタラやってんですか? 3ヶ月というのはどのような根拠に基づいて、いつ、どこで、誰からその数字が出てきたのかお宅から説明されなければ、誰だって理解できないでしょう? 3ヶ月後に耳を揃えて全額持ってくるという話なんですか?」。電話口からは、切れ目のない正義の演説が続く。聞き入ってはいけない。

 相手の言葉の切れ目を突いて、こちらも言葉を差し挟む。「3ヶ月の根拠については、依頼人に対する守秘義務の関係で申し上げられないと私は先程も言いましたよね? あなたは人の話を聞いてないんですか? 同じことを何回も言わせないで下さいよ」。双方の言葉がぶつかる。先に黙ってしまったほうが負けである。お互いに相手の話など聞いておらず、ただの屁理屈の応酬である。受話器を置くと、どっと疲れが出る。

 ある人が語る言葉は、必然的にその者の人格を表す。言葉を安売りする人間は、すなわち安い人間であると思う。しかし、組織と呼ばれるものに属し、立場と呼ばれるものに立つとき、どれだけの人間がこの安さから自由になれるのだろうかとも思う。仕事を覚えるとは、自分を殺すことであり、進んで職業病にかかることである。そして、給与を得るということは、社会人としての責任を果たし、与えられた役割を演じることである。

 この債権回収会社の担当者は、非常に仕事熱心で能力の高い社員であると思う。電話口の声だけで表情が想像でき、その内心の悪意まで想像できてしまう。彼は、電話の相手方に徹底的に嫌がられるという役割を忠実にこなしている。そして、「ほとほと呆れ果てて物も言えない」という声を用いつつ、矢継ぎ早に言葉を繰り出し、聞く者を不快にさせるという技を繰り出してくる。私はその瞬間、依頼人の存在を忘れている。

(フィクションです。続きます。)

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