犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

余命3ヶ月の連帯保証人の話 (6)

2014-01-28 22:05:58 | 時間・生死・人生

 「解決するんですか」と彼が唐突に問う。結論から言えば、この問題は間違いなく解決する。夫婦の自宅は賃貸であり、彼名義の預貯金は今回の医療費等で底を突いてしまった。従って、彼には守るべき財産というものがない。すなわち、相続人の全員が相続放棄をしてしまえば、連帯保証債務の問題は自動的に消失する。法律論から言えば、「あなたが亡くなれば問題は解決しますので、安心して亡くなって下さい」ということになる。

 彼の質問に対する解答は、もちろんこのような話ではない。人生の最後になるかも知れない時間の心配事や安心感が、連帯保証債務の問題でよいのかということである。法律や経済の論理は、「自分が生まれる前に世界は存在した」「自分が死んだ後にも世界は存在する」という社会常識を前提として成り立っている。しかし、これが共同幻想であることは、余命を宣告されて違った世界を見ている者には瞬間的に見抜かれる。

 私はこれまでの仕事で、相続に関する多数の相談に携わってきた。法律的なアドバイスは、「遺言書を書いておけばいつ死んでも安心です」「死後に相続争いを残すのでは死んでも死にきれませんよ」ということで一貫している。この論理は「自分の死」を論じつつも、これと正面から向き合うものではない。自分は死んだらどうなるのか、一切が無になることの恐怖から逃れることのうちに、法律的な相続の問題がある。

 人は生きている限り、死のことはわからない。私が彼から託された職務は、彼にとっての死後の世界の話であり、それは彼が行くべき天国や地獄ではなく、ましてや来世のことではなく、あくまでこの唯一の世界の話である。余命の宣告を受け、目の前の死の恐怖と闘っている彼の姿を、私は同じ人間として畏れている。ならば、私がなすべき仕事は、一切のお金の心配事をこちらで引き受け、余計な言葉の侵入を防ぐことだけだ。

(フィクションです。続きます。)

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