犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

余命3ヶ月の連帯保証人の話 (7)

2014-01-30 22:41:48 | 時間・生死・人生

 事務所に戻り、所長に結果を報告する。最終的に相続放棄という結論は動かず、しかも債権回収会社にそのことを感付かれてはならない。ここまでの方針については所長の了解が得られた。「依頼人はもうすぐ死にます」ということを隠すのであれば、債権者に対して自己破産の申立てをほのめかして請求を断念させることは、最初から誤信の誘発が目的だということになる。これは、弁護士倫理上の問題を指摘されると面倒なことになる。

 所長の承諾が得られなかったのはその先である。所長は、生きている間はできる限り分割払いを続けるのが当然だと言う。いかにも法律家らしい厳格な結論だと私は思う。法律は客観性を重視する。脳腫瘍があろうとなかろうと、余命が宣告されようと、債務者が債務者でなくなるわけではない。消費貸借契約に関する社会の法秩序は、絶対的なルールである。そして、この常識に従えないような者は、この社会では通用しない。

 私は、所長に自分の意見を述べることは一切しない。社会や法秩序の実在を信じる者と信じない者とが議論したところで、話は噛み合わないに決まっているからである。その代わり、私は実際に依頼人と会ってきた特権を用いて、彼に成り代わってステレオタイプの懇願をする。まず、そんなお金があるならば、もっと大事なことに使いたい。そして、最後の家族水入らずの時間を平穏に過ごせるよう、弁護士先生の知恵を借りたいということだ。

 実際のところ、この3ヶ月という数字は微妙だった。私の経験からしても、債務整理の介入通知から3ヶ月程度は、金融業者に対する方針検討のための引き延ばし工作が可能である。「依頼人は退職して収入がありません」「仕事に戻れなければ破産相当の状態です」と答えておけば、これは嘘ではない。「訴訟をされてもご希望に沿うことは困難です」という返答も同様である。電話を録音されていても、言質を取られることはない。

(フィクションです。続きます。)

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