犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある日の刑事弁護人の日記 その32

2013-08-27 23:44:20 | 国家・政治・刑罰

 「この国の法曹界は腐っている」「刑事裁判は茶番劇だ」と内心で憤慨するとき、私は批判だけで何もできない評論家になっている。実際のところ、私は今、心の底で何を考えているのか。現場で時間に追われている状況では、とても大局的な見地に立っている余裕はない。批評家目線で肥大化した自我は、現場では一瞬にしてしぼむ。

 私は今、この依頼者について執行猶予の判決を確実に得ることで頭が一杯である。判例及び実務の量刑相場からは、禁錮2年、執行猶予3年といったところである。それだけに、これよりも重い判決は、弁護人が与えられた職務をしっかりと履行しなかったことを意味する。厳しい批判と嘲笑は免れない。

 私が何よりも怯えているのは、判決宣告の瞬間の裁判官の口である。私は全てをそこから逆算し、保険会社には何回も電話で示談交渉の進捗状況を聞き、裁判官にアピールする証拠を確実に集めている。執行猶予を取れずに依頼者や家族から非難されるのが怖い。多忙な状況の中で控訴審までしていたらパンクする。

 人が被告人であるということは、1つの特権である。現代社会において、真面目さはそれだけでは価値がなく、人柄の良さなどという価値基準は役に立たない。しかし、刑事法廷に立つ被告人においては、真面目さと人柄の良さは最重要の事項である。すなわち、「この人は善人なのです」という印象操作の勝負になる。

(フィクションです。続きます。)

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