犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

ある日の刑事弁護人の日記 その28

2013-08-20 23:24:15 | 国家・政治・刑罰

 私は、この世に人として生まれたからには、「食べるために生きる人生」ではなく、「生きるために食べる人生」を送りたいと思う。しかしながら、実際に社会に出て働き、お金を稼いで食べていくことは、本当に大変なことだ。人は食べなければ死ぬという事実を、頭でなく腹で感じることはかなり虚しい。

 金儲けではない仕事のやりがいの重要性は、いわゆる「お金に苦労したことがない人」が語ると、地に足が着いていない空論となる。大前提として、当人の生活感が欠如した論評は、社会の仕組みに対する考察からも乖離し、今までほとんど参考になったことがない。心に響いたこともなく、苛立つばかりである。

 他方で、食べるために稼ぐ理屈に染まることは、人生の名に値しないとの直観が私にはある。法律事務所の経営者は、得てして費用対効果・経費削減の価値基準が強力になるあまり、それ以外の物の見方を失う。この世間の垢に一度まみれると、それ以前の状態に戻ることはほぼ不可能だ。

 弁護士が依頼者や相手方と連絡を取る度に「電話代を損した」「郵便料金が無駄になった」と感じることは、それ自体が相当なストレスである。経営者として至極当然の姿勢は、依頼者や相手方の前では隠さなければならない。この世の中のシステムや約束事を学ぶことは、同時に自分に嘘をつくことでもある。

(フィクションです。続きます。)

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