「人はなぜ働くのか」という古典的な問いに対しては、それなりの模範解答が用意されている。労働は苦痛よりも喜びであり、仕事は世のため人のために行うものであり、労働の目的は金儲けでないという正論である。綺麗事は綺麗事である限り、その存立を否定されることはない。
現在の厳しい経済情勢の下でも、法律事務所という言わば特殊な職種においては、この正論は辛うじて生き残っている。そして、「お金の問題ではない問題」に向き合う精神は、常に消耗を強いられる。1つの案件を無事にやり遂げたときの依頼者の安堵の言葉は、確かにそれまでの疲労を吹き飛ばしてくれるものである。
それだけに、交通死亡事故の依頼を目の前にしたときには、このような短絡的な正論は破壊される。「お客様の笑顔が何よりの仕事のやりがいである」「依頼者に尽くすことが職業人の生きがいである」といった決まり文句は、あくまでも貨幣の交換価値に頼りつつ、その価値の否定を装う場合にしか説得力を持たない。
法曹倫理の学問的な体系化は、依頼者に対する誠実義務と、客観的真実を前提とした真実義務との対立を明示する。私は現場の最前線で、このような抽象論の無意味さを思い知る者である。誠実義務の遵守と利益相反行為の禁止を両立させてしまえば、人が働いて報酬を得ることの意義が単純化し、それに対する考察が欠落する。
(フィクションです。続きます。)