犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

余命3ヶ月の連帯保証人の話 (26)

2014-02-26 22:43:01 | 時間・生死・人生

 最初の日から4ヶ月半が経過した。依頼人の妻からの連絡はない。所長が示す不快感はますます強くなり、私の焦燥感も、所長が有しているそれに引き付けられてきた。すなわち、「依頼者が1年も2年も生きてしまうことのリスク」である。社会人である以上、自分の意見のみを押し進め、リスク回避を考えず、対案や次善の策を提示しないというのでは、そのことに対する責任を負わされる。善意が空手形を切る不祥事となって苦しむのは自分だ。

 私が進めている仕事は、哲学的な探究ではなく、「債権管理回収業に関する特別措置法」第18号8項に基づく法的事務である。ここでは、あくまで「債務整理をしようと思っていたら途中で死んでしまった」という話でなければならない。所長は、当初より、引き延ばし工作が長くなることの法曹倫理上の問題を懸念していた。私は、俗世間の交通整理に「倫理」の語が用いられることを憂えていたが、向こうから襲い掛かってくるものは拒めない。

 所長からの圧力に耐えられず、私は初めて自分から依頼人の妻に電話をすることになった。形の上だけでも自己破産の申立てをするのが本筋であること、「人生の最後が破産者で終わる」などと堅苦しく考える必要はないこと、医師の診断書があれば依頼人が裁判所に呼ばれる可能性はないこと、何もしないままでは依頼人の自宅に債権回収会社からの訴状が送りつけられる可能性があることなどについて、私は不本意ながら事前に伝達事項を確認する。

 私の予想では、依頼人の妻は疲れ果てているか、溜まっているものを吐き出して来るかであり、私は本題を切り出すタイミングに苦慮するはずであった。しかし、電話口で長い沈黙を保つ依頼人の妻は、全く別の世界にいた。それは、私の限られた語彙では、神々しさや気高さとしか表現しようがない。私は、自分が語り始める前から、本題を察知されていることを直観した。こちらから電話をしたということは、現状報告を求める催促に決まっている。

(フィクションです。続きます。)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。