犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

木嶋佳苗被告の刑事弁護 その3

2012-04-16 00:02:15 | 国家・政治・刑罰

 民事事件を受任した弁護士は、依頼者に対し、裁判所に対しては嘘を言っても構わないが、自分だけには事実をありのままに話してもらうことを望みます。ここで嘘をつかれると、裁判所に対して嘘を言うことも含め、弁護方針の見通しが立たなくなるからです。そして、弁護士と依頼者との信頼関係が崩れやすいのがこの部分だと思います。弁護士が依頼者の話を聞く際には、「真実の中に微妙に嘘を混ぜている」「ほぼ真実だが一部に誇張がある」といった形でその言葉を捉えます。ここでは「嘘」という言葉をめぐる定義のズレが生じています。

 依頼者が弁護士に嘘をつくとき、そこには本当も嘘もないのが通常のことと思います。ここで問題なのは、自身の記憶に従ったところの事実、すなわち世間的には真実と言われるものを語ることができないというそのことであり、この部分が依頼者にとって最重要の真実です。すなわち、苦悩・恐怖・矜持といった複雑な心情が言葉にならず、真実を語ろうとして嘘を語ってしまうため、まさにこの嘘を語るために弁護士に頼んで争わなければならないということです。ここで、弁護士が依頼者との信頼関係を確立できるか否かを左右するものは、法律の知識ではなく、人生の経験値だろうと思います。

 これに対し、刑事事件の依頼者である被告人が罪状を否認する場合、弁護人に対しても罪状を全面的に否認するのが通常です。被告人が弁護人に対してだけは自身の犯行であると打ち明け、以後の弁護戦術を託す、という事態は少数だと思います。弁護人としても、民事事件の場合とは異なり、技術的に表と裏を使い分けることは難しいと思います。但し、弁護士として多数の事件に携わり、何千人もの人間に接していれば、人はある程度の場合分けの技術を身につけるものと思います。すなわち、濡れ衣を着せられた者、見に覚えのない疑いをかけられた者に特有の「心底からの叫び」が聞こえるかどうかの判定です。

 この叫びが聞こえない場合、あるいは弁護人よりも被告人のほうが役者が上であった場合、弁護人はとりあえず「被告人は無罪である」と主張することになります。この部分の思考は、民事事件の被告側の答弁書において、とりあえず「原告の請求を棄却する」と陳述する場面と同様だと思います。依頼者は嘘ばかりつくものだとすれば、弁護士はその嘘を前提としつつ、「この嘘こそが真実なのです」と裁判所に訴えるのが仕事となります。そして、民事事件との違いは、無罪の推定の理論に守られている限り、弁護人は被告人の言葉を信じても、裁判所や検察官の前で恥をかく心配がないということです。

(続きます。)