犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

京都府舞鶴市 女子高校生殺害事件

2009-04-08 23:51:30 | 実存・心理・宗教
京都府舞鶴市の高校1年生、小杉美穂さん(当時15歳)殺害事件で、京都府警舞鶴署は中勝美受刑者(60)を殺人容疑などで逮捕した。


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● 某検察官の見解
目撃証言や物証が少ない殺人事件では、容疑者が自供しないことを想定して、慎重な手法を採ることが必要になる。(まあ、私は殺されずに生きているので、こんなことも言えるんですが。)証拠の真実性をめぐって争いになると、公判が長期化する恐れが出てくる。(まあ、殺されたのが私の娘だったら、こんな悠長なことは言ってられないんですけど。)今後は、容疑者の取り調べ過程を録画し、供述の任意性と信用性を確保することが重要になるだろう。(まあ、人命の重さの前には全ては負けるとか、そういう話はこの際考えないということで。)

● 某評論家の見解
物証が乏しい中で、情況証拠を固める高度な立証が捜査当局には要求される。(まあ、私は殺されずに生きているので、こんなことも言えるんですが。)裁判員制度では、取り調べで作られた調書よりも法廷での供述が重視されるようになる。(まあ、殺されたのが私の娘だったら、こんな悠長なことは言ってられないんですけど。)今回の捜査手法は、自供の獲得に力を注ぐよりは、間接的な証拠を綿密に積み上げる方向に力を注いでいるように見える。(まあ、人命の重さの前には全ては負けるとか、そういう話はこの際考えないということで。)

● 某弁護士の見解
過去の冤罪事件では、まず疑わしい者を逮捕して無理に自供させ、その後に捜索に入る例が多かった。(まあ、私は殺されずに生きているので、こんなことも言えるんですが。)弁護人による捜索のビデオ撮影を中止させたのは、捜査の可視化という観点からは好ましくない。(まあ、殺されたのが私の娘だったら、こんな悠長なことは言ってられないんですけど。)過去には密室での捜索で証拠に作為が加えられた事例がいくつもある。(まあ、人命の重さの前には全ては負けるとか、そういう話はこの際考えないということで。)

● 被害者の母親のコメント
「突然すぎて心の整理がつかない」