犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

香山リカ著 『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』

2008-07-01 20:56:38 | 読書感想文
スピリチュアルとオカルトは似ているが、両者は決定的に異なる。オカルト愛好家は、マニアックでオタク的な趣味の色彩が強く、UFOの写真を集めたり、その目撃体験を自慢し合う方向に走る。これにハマりやすいのは圧倒的に男性である。他方、スピリチュアルの根底にあるのは、「私は何のために生まれてきたのか」「本当の幸せとは何か」という悩みであり、追求されるのはあくまでも個人の幸福である。これにハマっているのは、占いと同じく、女性のほうが多い。

スピリチュアルは、哲学や宗教とも似ているが、やはり両者は決定的に異なる。確かに、「私は何のために生まれてきたのか」「自分とは誰なのか」「本当の幸せとは何か」という悩みは、その形だけ見れば哲学的な思想と同じである。しかし、スピリチュアルは、何よりも現世の幸福を求める(現世中心主義)。すなわち、前世や来世を問題にするのも、すべては現世の幸福のためである。また、スピリチュアルは、何よりも自らの幸福を求める(自分中心主義)。すなわち、他者の幸福を祈ったり、世界平和を推進したり、政治を良くしようという方向には関心を持たない。

霊能者が「自分にはオーラや前世が見える」「守護霊や死者のメッセージを感じ取れる」と述べているのであれば、それを他人が嘘だと断じることはできない。問題なのは、なぜそのような能力がある人とない人に分かれているのか、能力があるとしてもなぜ「その人」にあるのかという点である。これをスピリチュアルで結論付けようとすれば、必ず同語反復になる。ところが、スピリチュアルカウンセラーは、この先を問うことをしない。多くのスピリチュアル本の前書きには、「あなたがこの本を通じて私と出合ったことは奇跡である」などといった文句が並び、読者はそこで思考停止となる。

もともと、宗教に代表される精神主義的な世界は、物質主義や拝金主義への反省として追求されることが多かった。しかし、スピリチュアルはあくまでも現世利益と個人の幸福が目的であり、欲望の追求をむしろ善とする。売れている本を見ても、『恋とお金と夢に効く! 幸せな奇跡を起こす本』や、『ちょいスピ …「幸運グセ」をつけるちょっとスピリチュアルな方法』などのタイトルが並ぶ。すなわち、他人や社会に対する貢献ではなく、自らのお金儲け、仕事の成功、幸せな恋愛と結婚、美容や健康のほうを目的としている。この圧倒的な自己肯定性が、宗教なき日本の現代社会において、スピリチュアルブームを生み出した。

現にスピリチュアルは、病気や死の恐怖を和らげることや、大切な人を失った悲しみを癒すためにも使われている。そして、それを何の疑いもなく信じられる人に対しては、一定の効果を挙げている。その反面、昨年の11月に江原啓之氏のフジテレビの番組で問題点が明らかになったように、霊能者が死者のメッセージを遺族に伝えることに伴うトラブルも必ず起きる。遺族の期待に沿わないメッセージであれば反発が起きるし、逆に遺族の期待に沿うメッセージであれば霊能者でなくても言えるからである。その意味で、霊能者に対して絶対的な解答を求めることは、安易に表面的な癒しに走ってしまう危険性も高い。自己と向き合って考え抜く不可欠な過程を飛ばしてしまえば、いつまでも違和感は残り続ける。