宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」(その2):《 (A)対象意識、(B)自己意識、(C)(AA)「理性」》の回顧!《(BB)精神、(CC)宗教、(DD)絶対知》の史的叙述!

2024-07-17 13:27:09 | Weblog
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」(その2)(221 -224頁)
(52)ヘーゲル『精神現象学』後半、《 (C)「理性」:(BB)「精神」(Ⅵ)、(CC)「宗教」(Ⅶ)、(DD)「絶対知」(Ⅷ)》は、「歴史的順序」に従って解説する:金子武蔵!
★ヘーゲル『精神現象学』はがんらい、彼の哲学への「認識論的序説」であって「歴史哲学」ではない。しかしヘーゲルの「精神」の概念には「社会性」と「歴史性」がふくまれており、このことは『精神現象学』後半の《 (C)「理性」:(BB)「精神」(Ⅵ)、(CC)「宗教」(Ⅶ)、(DD)「絶対知」(Ⅷ)》において顕著になってくる。かくて「精神」のこれらの諸段階については、次のような「歴史的順序」に従って解説する。(金子武蔵)(221-222頁)
★ヘーゲル『精神現象学』後半、《 (C)「理性」:(BB)「精神」(Ⅵ)、(CC)「宗教」(Ⅶ)、(DD)「絶対知」(Ⅷ)》:「精神の史的叙述」!(222頁)
1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、
2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、
3「現代(あるいは絶対知)」(222頁)

★ヘーゲル『精神現象学』後半の始点は《 (C)「理性」(BB)「精神」(Ⅵ)》である。(223頁)

(52)-2 ヘーゲル『精神現象学』前半についての回顧:《 (A)「意識or対象意識」(Ⅰ感覚、Ⅱ知覚、Ⅲ悟性)、(B)「自己意識」(Ⅳ「自己確信の真理性」)、(C)(AA)「理性」(Ⅴ「理性の確信と真理」)》!
★さて《 (C)「理性」(BB)「精神」(Ⅵ)》に到るまでのヘーゲル『精神現象学』の前半について回顧しよう。(223頁)
★(A)「意識or対象意識」は「感覚」から「知覚」をへて「悟性」にいたるが、「悟性」の把握する「内なるもの」は自体的にはすでに「自己」である。かくて「悟性」の「無限性」からみれば、「対象意識」は「自己意識」に転ずる。(223頁)

Cf. ヘーゲル『精神現象学』目次(抄)(A)「意識or対象意識」:Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
Cf.  金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』目次(抄)(一)「意識(対象意識)」1「感覚」、2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」

★(B)「自己意識」は、最初は1「欲望」であるが、「欲望」の満足はただ「他の自己意識」との関係においてのみ得られるという理由によって、「対物関係」は「対人関係」に転じる。ここに「承認」を得るための生死を賭する戦いが展開されて2「主奴関係」が成立する。しかし「主は奴に、奴は主に転じる」ことによって「自己意識」は3「自由」を得る。この「自由」は「ストア主義→スケプシス主義→不幸なる意識」として展開されるが、最後の段階(「不幸なる意識」)において「自己意識」にも、徹底した「否定」の必要であることが自覚される。かくて「自己意識」は「対象化」され「普遍化」(※間主観化)され、ここに「対象意識」にもその意義が恢復される。かくして(C)(AA)「理性」が生じる。(223頁)

Cf. ヘーゲル『精神現象学』目次(抄)(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」
Cf.  金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』目次(抄)(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」

★(C)(AA)「理性」は、最初はおのれの内部における「対象意識」の側面を展開するものとしてA 「観察(観察的理性)」であるが、その最後の頭蓋論の「無限判断」において、「理性の主客統一」は「理論的」に見出さるべきものであるよりも、むしろ「自己意識」において「実践的行為的」に実現されるべきものであることが想到される。かくてA「観察的理性」はB 「行為的理性」(「理性的自己意識の自己自身による実現」=「行為」)に移る。(223頁)

★しかしB「行為的理性」の最後の段階(c「徳と世路」)において、「『理性』がすでに『世路』のうちにむしろすでに実現されている」ことが自覚されて、「個人」はC 「社会」のうちに安住しうるようになる。(C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」=「社会」!)(223頁)
☆だがC 「社会」のうちに安住しうるようになった「個人」にもまだ「主観的個別性」が残っているが、それはb「立法的理性」およびc「査法的理性」によって一応、払拭され、かくして(C)「理性」(BB)「精神」が成立する。(223-224頁)

Cf. ヘーゲル『精神現象学』目次(抄)(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)、
Cf.  金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』目次(抄)(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」

《参考1》「観察的理性」:「理性が物であり、物が理性である」!ヘーゲルは「精神物理学」的立場や「唯物論」にもその意義を認めようとしている!「唯物論」(or「頭蓋骨論」or「精神や理性が物である」)は「結合」の一面だけを見て、「分離」の面を全然、忘れている!(186頁)
☆(A)「『観察的理性』は『頭蓋骨』において『精神』の表現をみる」。「頭蓋論」(「骨相術」)は、根本的にいうと「理性が物であり、物が理性である」ということにその根拠を持つ。この根拠によって立つものが「観察的理性」にほかならないのだから、「頭蓋論」は「観察的理性」の極限であり完成だ。(186頁)
☆(B)「理性が物であり、物が理性である」というときの「物」は、「からだ全体」であってもよいし、また「物質的生産力」のごときものであってもよい。ここでヘーゲルは「精神物理学」的立場や「唯物論」にもその意義を認めようとしている。(186頁)
☆(C)しかし「精神や理性が物である」のは「無限判断」の「肯定面」において成立することにすぎない。「無限判断」には、もう一つ「否定面」がある。「無限判断」は「肯定判断」であると同時に「否定判断」だ。(186頁)
☆しかも「結合」においても「分離」においても「無限」だ。(186頁)
☆「否定面」からすると、「精神・理性・自己」に対する「物」、その極限としての「骨」は、「分離」したものだが、この「分離」の面を「頭蓋骨論」(「骨相術」)は忘れていると、ヘーゲルは言う。(186頁)
☆即ち、たしかに「唯物論」(or「頭蓋骨論」or「精神や理性が物である」)も成り立ちはするが、それは「結合」の一面だけを見て、「分離」の面を全然、忘れている。(186頁)

《参考2》ヘーゲル『精神現象学』の目次!
(A)「意識」:Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」A「真実なる精神、人倫」(a「人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男性と女性」b「人倫的行為、人知と神知、罪責と運命」c「法的状態」)、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」(a「教養と現実の国」b「信仰と純粋透見」)・Ⅱ「啓蒙」(a「啓蒙と迷信との戦い」b「啓蒙の真理」)・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」(a「道徳的世界観」b「ずらかし」c「良心、美魂、悪とその赦し」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」A「自然宗教」(a「光」b「植物と動物」c「工作者」)、B「芸術宗教」(a「抽象的芸術品」b「生ける芸術品」c「精神的芸術品」)、C「啓示宗教」、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」

《参考2-2 》金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次!
(一)「意識(対象意識)」1「感覚」、2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、3「現代(あるいは絶対知)」
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