くらぶアミーゴblog

エッセイを綴るぞっ!

谷中・根津を歩く

2010-01-11 12:11:26 | まち歩き

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 正月明けの連休にまち歩きをしてきた。
 JR山手線の鶯谷駅から西へ出て台東区谷中へ。まずは言問通りを歩いてみる。




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 岡埜栄泉(おかのえいせん)という和菓子屋さん。
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 ここの豆大福が有名らしいが、この日はすでに売り切れていた。
 しかたもないので、別の種類を6つチョイス。
 これがうっとりするような美しさなのだ。
 さすが老舗の和菓子司であります。




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 番地表示のプレートが、古くて懐かしい。




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 Y路地の真ん中に巨大な銀杏の木。
 下から見上げると、生い茂った枝のあいだを電線が走っていた。




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 人だかりがあると思ったら、ネコがいたのであった。
 下町散歩にネコは欠かせないのだ。
 ここはネコグッズを売るお店のようだった。




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 警備は“ネコム”に任せているとのこと。
 細かいとこまで凝ってますなァ。
 この辺りの路地には古い民家が多いが、そこに新しく移り住んできた人々が、イベントスペースや飲食店、ギャラリーを開いている。そして、それを目当てに人も集まってくる。
 だから、一見して何でもない裏路地なのに、人通りが多くて活気があるのだ。




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 不忍通りに出ると、住所は文京区根津となった。
 不動産の看板一つとっても味があって、ちょいと魅力的に思えてしまう。
 ここから再び言問通りを西に向かうと、道は上り坂になる。ここを弥生坂という。




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 そしてこれは弥生土器の出土地付近を表す碑。
 つまり弥生土器とは、文京区弥生の地名にちなんで命名されたんであります。
 ここでつかの間、我が国の古代史に思いを馳せながら、弥生坂を上り切って本郷通り(国道17号)を左折する。
 この17号を北上すると中山道となり、その先をずっと西にたどれば、やがて滋賀県の草津へ続いていくのだ。
 しかし本日は旅支度をしていないので、そっちとは反対に本郷通りを南下する。




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 門をくぐると、そこは東大であった。
 正面に見えるのは、かつて全共闘と警視庁機動隊が闘った安田講堂だ。
 こうして僕は東大の敷地に入ったことになる。
 これを省略すると、
「僕は東大に入った」
 ということになる。
 他意のある表現ではあるが、言葉としては間違ってないと思う。
 もっとも、入ってから出るまでの時間はわずか数分と、超超短期入学であった。




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 最後に東大の赤門を写真に収めると、早くも冬の日は傾いていた。
 ここはもと加賀藩前田家の上屋敷だったそうな。
 江戸時代の地図を見てみると、その加賀藩上屋敷の敷地はすべて、現在の東大本郷キャンパスに収まっていることが分かる。
 それどころか、お隣の水戸家の中屋敷までもキャンパスになっているのだ。
「さすが東大!」
 と言わねばならない。
 赤門の向かい側には専門書店がずらりと並び、またしても
「さすが東大!」と思わせられる。
 しかしその合間には、いかにも学生たちが好みそうなカレー屋、ラーメン屋などがひしめいていたので、僕は安心して帰途についたのであった。