カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

美しいことば「高慢」

2015年04月26日 07時04分56秒 | 生き方

「高慢(こうまん)」

どこかの宗教家が言いそうなことですが、このブログ作者には、どこの宗教とも、どこの政党や組織とも、何の関係もごぜーませんですだ(笑)。

これはささやかな矜恃〔きょうじ:プライド〕とするところであります! 


405 高慢はいかなるみじめさとも釣合う。すなわち高慢は、それのみじめなことを隠す。またもしそのみじめさをあらわに示すとするなら、そのみじめさを知っていることを誇る。

407 邪悪の心は自分のがわに道理があると、高慢となり、道理をくまなく明らかに列べたてる。

:P.245 パスカル「パンセ(瞑想録)上巻 津田穣訳」新潮文庫 昭和43年(1968年)8月15日27刷 


「高慢」ゆえに「みじめ」である

パスカル(1623-1662) の言葉です。

パスカルは高名な数学者ですが、神学者としても知られています。後者としての随筆はあくまでもキリスト教的であり、この点に限れば、私が高く評価することはあり得ません。

確かにアジアには、徹底的に宗教を弾圧している国があるかと思えば、徹底的に自国化した偽キリスト教を作りあげた国も、みられます。

ただしキリスト教崇拝者という前提を除けば

パスカルは、いい言葉もたくさん残しており、私たちに何かヒントを与えている、と言えます。

高慢な人は

  • みじめさを知らないまま、そのみじめさを隠す
  • みじめさを知っている場合、そのみじめさを誇る 

高慢な人は

  • いささかでも自分の側に道理があると、それを列挙したがる。これが邪悪な心の持ち主。

400年を経過した現代でも、立派に通用することがあるようです。

高慢」は、「傲慢」、「尊大」、「独善」などと言い替えることができます。

要するに「自分を知らない」「自分のことを棚に上げる」「自らをふり返る習慣をもたない」ということですね。

いま眼病を患っているかたには大変失礼なたとえ話ですが、こういう人たちは視野狭窄(しやきょうさく)」あるいは「視野欠損(しやけっそん)症」なのでしょうか。

まぁ多くの宗教では、これらを厳しく戒めているようです。

東アジア情勢を理解するヒントになりましたでしょうか(大笑)。

参考:「Wikipedia」。