「高慢(こうまん)」
どこかの宗教家が言いそうなことですが、このブログ作者には、どこの宗教とも、どこの政党や組織とも、何の関係もごぜーませんですだ(笑)。
これはささやかな矜恃〔きょうじ:プライド〕とするところであります!
405 高慢はいかなるみじめさとも釣合う。すなわち高慢は、それのみじめなことを隠す。またもしそのみじめさをあらわに示すとするなら、そのみじめさを知っていることを誇る。
407 邪悪の心は自分のがわに道理があると、高慢となり、道理をくまなく明らかに列べたてる。
:P.245 パスカル「パンセ(瞑想録)上巻 津田穣訳」新潮文庫 昭和43年(1968年)8月15日27刷
「高慢」ゆえに「みじめ」である
パスカル(1623-1662) の言葉です。
パスカルは高名な数学者ですが、神学者としても知られています。後者としての随筆はあくまでもキリスト教的であり、この点に限れば、私が高く評価することはあり得ません。
確かにアジアには、徹底的に宗教を弾圧している国があるかと思えば、徹底的に自国化した偽キリスト教を作りあげた国も、みられます。
ただしキリスト教崇拝者という前提を除けば
パスカルは、いい言葉もたくさん残しており、私たちに何かヒントを与えている、と言えます。
高慢な人は
- みじめさを知らないまま、そのみじめさを隠す
- みじめさを知っている場合、そのみじめさを誇る
高慢な人は
- いささかでも自分の側に道理があると、それを列挙したがる。これが邪悪な心の持ち主。
400年を経過した現代でも、立派に通用することがあるようです。
「高慢」は、「傲慢」、「尊大」、「独善」などと言い替えることができます。
要するに「自分を知らない」「自分のことを棚に上げる」「自らをふり返る習慣をもたない」ということですね。
いま眼病を患っているかたには大変失礼なたとえ話ですが、こういう人たちは「視野狭窄(しやきょうさく)症」あるいは「視野欠損(しやけっそん)症」なのでしょうか。
まぁ多くの宗教では、これらを厳しく戒めているようです。
東アジア情勢を理解するヒントになりましたでしょうか(大笑)。
参考:「Wikipedia」。