危険な過激派にもいろいろな種類があり、共通しているのは、「政治闘争・権力争い」。腕力で権力を奪い取ろうとすることでしょうか。
- 宗教関係
仏教過激集団、イスラム過激派、カトリック過激派アイルランド共和軍(IRA)、プロテスタント過激派
- その他
江戸幕府末期の過激派〔尊皇攘夷派・新撰組〕、共産党過激派〔日本赤軍・革マル派〕、IRA〔アイルランド〕、イスラエルやイランの強硬派などなど
現在その暴力性で話題になっているのがイスラム過激派。イスラム教との関連に程度差があるものの、次のようなのを挙げることができます。
- タリバン〔アフガニスタン・パキスタン〕
- アルカイダ〔広域暴力団か〕
- IS〔ISIL:シリア~イラク〕
- ボコ・ハラム〔ナイジェリア〕
- ヒズボラ 〔レバノン・トルコ〕
- アル・シャバブ〔アッシャバーブ〕
その他、無数。
最後の組織は、先日〔2015/04/02〕ケニアの大学で銃乱射したと犯行を認めているとのこと。
これらの多くは
おそらく「イスラム教の堕落」に反発して強硬に至っているのでしょうが、その「イスラム教の堕落」が問題で、何が「堕落」なのか。
- イスラム教が世俗化するのが堕落なのか
- イスラム教が西洋化するのが堕落なのか
- イスラム教が共産化するのが堕落なのか
イスラム教を時代に合わせて変質させようとする試みが多様化して混乱しているため、これらは全て「堕落」であり、これを暴力・テロで打倒するするという姿勢です。
ここで大切なのは、
イスラム教の指導者が声を上げること
でしょう。
「イスラム過激派はイスラム教とは関係がない」、だけでは不信感はぬぐえない。
イスラム過激派がこれほど暗躍する時代に、イスラム教関係者が何もしないのは、いただけません。
ただしイスラム教には、大きく分けてスンニ派とシーア派とがあるようで、どちらかが何かを言えば、それに呼応して反対声明が出されるだけなので、接点が必要かも知れません。
もしも
「組織が何かを発言すれば、組織内部で反発する派閥が出てきて組織が混乱する」などという理由で沈黙を守っているとすれば、「イスラム教の組織そのものが腐敗しているのではないか」と判断される恐れがあります。
イスラム教の組織が腐敗しているということは、
組織が大きくなりすぎて身動きができなくなっている、ことを意味します。広域化を目指すあまり方針の違いを乗り越えてきたことの歪みが、今になって表面化したのでしょうか。
銀行の合併後にも、合併以前の集団同士の対立が消えず、深刻な弊害が残る場合もあるとのこと。
私は、多彩な過激派勃興の発端が、米ソの冷戦崩壊にある、とみています。それ以前にもありましたが、冷戦で抑圧されていて表面化しませんでした。
- とはいえ、米ソの軍事競争時代がよかった、と主張しているのではありません。
- ソ連が崩壊し、ロシアにとって代わられ、そのロシアが体質的にソ連共産党時代を引きずっており、事実プーチンがソ連KBG〔秘密警察〕出身であることは知られています。冷戦構造はけっして崩壊してはいなかったのです。
- しかし米ソの暴力的な枠組みが崩れたため、各国の独裁者による締め付けの「たが」がはずれます。特にイスラム諸国で独裁者が民衆によって排除され始めましたが、「民主化に向うならば、いいではないか」と受け取る人が多いようでした。
- しかし、それまで弾圧されていた人たちが自由を得たときの多くの問題点が浮き上がってきました。今までなかった自由が急に得られたため、それぞれの国の社会で大きな混乱があり、その混乱を鎮めるためにはイスラム教の「弾圧」しかないのではないか、という声も出はじめ、その混乱に乗じてイスラム過激派が台頭してきた、と思われます。
- シリアの場合は別で、まだ独裁者が健在。よってシリア国内では、政府系・反政府系・イスラム過激派(シリアとイラクにまたがる)が三つ巴の争いを繰り返しています。反政府系もまたいくつもの派閥に分断されているようで、もう三つ巴どころではなくなっています。そこに強引に引かれた国境線への疑問が沸騰しています。
- 一言でいえば、各部族が自分たちの立場をよくすることにしか興味がなく、それを狡猾に利用する組織との果てしない争いが続いております。
とにかく私が感じる解決策は、これはきわめて困難で現実的ではないように見えますが
一神教をやめましょう
の一言に尽きます。
難しくても宗教色を弱めるしかないのです。
キリスト教やユダヤ教やイスラム教が国家を運営しないことです。こう言うと、ほとんどの国家が含まれるため、大変困難なことは承知していますが、これしかないと信じています。
人間が、必要に迫られてあみだした一神教でしたが、この「対立を宿命とする一神教」が国家運営の基礎にある限り、この地球上に安寧はなさそうです。
一神教だからこそ、他を認めず攻撃し、暴力の連鎖が続きます。このままだと地球上が、キリスト教系とイスラム教系の2つに分断されてしまい、地球上の人間があみだした宗教によって地球上が崩壊してしまいます。
信教の自由の解釈でも
- 大統領の宣誓式でキリスト教の聖書に宣誓する人が出て来るアメリカ←何をしようと自由なのか? そこには宗教の自由はない。「自由(じゆう)の国」ではなく「銃(じゅう)の国」に成り下がってしまう
- 宗教の自由を尊重するがゆえに公の場所でのイスラム教徒のブルカ着用を禁止するフランス←反論が多いかも知れませんが無知な宗教人が多い場所では必要かも
という決定的な違いがあります。
どちらも日本人である私には、違和感のあることでした。
その違和感は、「対立し、互いを敵とみなす宗教が国家運営に携わっていること」に起因すると思われます。宗教は存在してもいいと思うのですが、個人の心の中にあるべきで、それが表明面に出てはいけません。
なぜ2000年もこういった宗教が盛んになったのか
- 私などには把握しきれないほど複雑な理由があるでしょうが、しょせんは金儲け・権力争い・派閥闘争、に過ぎないか。
- 情報の伝達が決定的にゆがめられていた時代に作られた宗教に対して、今の時代の人が自由に意見を述べ改善することができず、これに束縛されていること自体に、問題の根源があると思うのです。
- もちろんあみだされて100年程度の共産主義も宗教の一種であり、例外ではありません。
こういった一神教は、自分が一番正しい、他は間違っている、これが基本なので、対立は避けられず、一神教が国家運営をする限り、永遠に続くでしょう。
「民主国家」を標榜する国家の多くが
キリスト教(プロテスタント・カトリックを問わない)を前提にしてなり立っている
というのは、現代のブラックジョークですね。そんな国に宗教の自由はない、と言えます。