カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

沖縄の米軍基地問題

2015年04月09日 07時07分56秒 | 社会

とにかく今必要なのは

沖縄の人が、できるだけ多くの日本人を味方にするような言動をとること

だと思います。もう一つは、

賛成か反対か、という二者択一を迫らないこと

です。そんな低レベルのことは、朝鮮半島人に任せたほうがよろしい(笑)。

今回新しく沖縄県知事になった翁長雄志と安倍晋三には、妙に似たところがあります。

  • 選挙で大勝した安倍晋三は、沖縄の基地問題で、普天間基地を近く閉鎖する代わりに新しく空港をつくろうとしています。日本全体で言えば、沖縄の反対は少数派であることから、自民党に少ししか投票しなかった少数派を無視して、強引に「新しい基地を作る」方向で押し切ろうとしているように思われます。
  • 選挙で新しく沖縄県知事になった翁長雄志は、前の仲井真が悩んでいたのと正反対で、反対票があったけれども過半数を得票して知事に当選したためか、翁長雄志に投票しなかった少数派を無視して、強引に「新しい基地を作らせない」方向で押し切ろうとしているように思われます。
何のことはない、翁長は、自分が一番反対している安倍と同じ行動をとっている、ということです。これは冷静に見ているとよくあるパターンでして、それほど賢明そうには見えない翁長が、これに気付いているかどうかが心配です(笑)。

対立の原点として
  • 安倍日本政権が「新しい基地を」という信仰のもとに進めている、と反論する人がいる
  • 翁長沖縄政権が「新しい基地には反対」という信仰のもとに進めている、と反論する人がいる
つまり、

「普天間返還の代替施設としての辺野古埋立て」を安倍が強調するのに対して、翁長は「普天間は返還」「新辺野古基地は認めない」の両方を主張し、一切交渉しないという姿勢です。

公平に見るところ、

翁長が、普天間の基地を返還、新しい基地は認めないと一方的に過ぎ、どうやら、すれ違っているようです。

かつて米大統領ブッシュが

「敵か味方か」論調で批判されたように、今もまた、新しい基地に「賛成するか反対するか」の論調が批判されていいと思います。

一番の問題は、翁長が
  • 公約を「死守する」ように行動していること
  • 「中国の暴力性について、いっさい触れない」まま知事に就任したということ
この2つだと思います。

公約を「守りたい」気持ちはよく分りますが

しかし「死守」はいけません。成田の暴力的な反対を連想するからです。成田の場合、当初は明らかに佐藤内閣側に問題があったようですが、革マル派などの連中が介入したため内分裂し、しかも暴力に走る連中が出て、国民の支持を得られにくくしました。

翁長が、選挙民が自分のすべての公約に賛同したから選ばれた、と思うのは、あまりにも尊大に過ぎますが、過激派が介入してきて成田同様に内部分裂してしまうのでしょうか。

衆議院の場合

いくら自公が大勝したとは言え、厳然とした反対勢力があり、かろうじて健全性を保っています。

が、一方沖縄では、反対する勢力が見られず、これはどうも不自然。言論の自由が沖縄には欠けていると思われてもやむを得ないでしょう。沖縄の人がみな自分と同じことを考えている、とする翁長は、不遜に過ぎ、まるで人の話を一切聞かない朝鮮半島や中国そっくりですね。

私が沖縄を見ていると

ちょうど韓国を見ているような気がするのです。趨勢に反対するようだとこの社会では生きていけない、言い替えると、言論の自由を許さないという点で、どうしても似ているように思われるのです。

たしかに

全会一致というのは、どうもあやうく、少数の反対があってこその多数派採用の意味が生きてくるのでしょう。
全員がみな賛成するとか、全員が皆反対するという事態はやや危険で、もういちど冷静に判断する必要があるようです。

ただし、この「沖縄の総反対、というのが言論の自由がないからではないか」と反省することは、沖縄にはあり得ないでしょうか。

マスメディアからして一致団結してキャンペーンをはっており、そこに言論の活発さ、いわば言論の自由があるとは思えません。

例えば
10人いたとして、8人が賛成し2人が反対する、くらいが健康的
かと思います。そころが沖縄では、表面的には10人全員が反対だというのです。

ただし実際には「あやしげな」党議拘束なるものがあり、重要なものほど議員が個人で判断できず、所属している党の決定に強制的に従わせるという仕組みの下では、この「全会一致があやうい」という考えは,少し調整が必要でしょうか。沖縄でも同じことが言えます。沖縄拘束ですね(笑)。

沖縄ではしょせん、「言論の自由」より、「食扶持〔くいぶち〕」が大事なのでしょう。つまり「党に属するサラリーマン政治家」という意味で。

くい‐ぶち【食扶持】

①食料に当てる扶持米。食料にする分。
②食料を買うための金。食費。生活費。「―を家に入れる」

広辞苑第六版

もしも健全な民主主義が、

たとえ選挙で勝利しても、少数派を無視するのではなく、むしろ積極的に少数派の意見を取り入れること

である、と翁長が気付いたならば、自ずと道は開けるでしょう。

しかし少なくとも今の段階では
  • 悩み続けた前の仲井真とは異なり、翁長には知的な悩みがないように見え、だからこそ当面利益になると信じて所属していた自民党から、気楽な「何でも反対側」に乗り換えられたのでしょう。
  • 沖縄を私有物していると見られるのを嫌って翁長沖縄県知事は「自分の考えが沖縄の民意」としておりますが、本当に沖縄の民意かどうか、これが「怪しい」(笑)。
翁長が少数派の意見を無視する姿勢が際立っているようです。

沖縄の「石敢當」とは

沖縄には現代でも、「石敢當(いしがんとう)」と呼ばれる魔物よけが、あっちこっちの(T字型)三叉路の正面にある建物の前に設置されています。



  • 賢い人は三叉路にぶつかったとき左右に曲がることができますが、魔物だけは真っ直ぐに進む性質があり、これが建物の中に入ってくると危ないので「石敢當で魔物を吸収する」という信仰ですね。私も最初は「なぜ魔物が真っ直ぐしか進めないのだろう」と疑問をもっておりました。
  • 琉球時代から、「社会とはこうあるべきだ」とか「国とはこうあるべきだ」という決して曲がらない意見があっても、それは危ない思想であった、と喝破(かっぱ)していた証拠でしょう。中国や日本や南国やヨーロッパ列強との等距離外交を貫いていた琉球人の叡智でしょうか。
そうすると翁長の、決して曲がらない、一途な姿勢が、「魔物」そのものとなってしまい、石敢當に吸収されてしまう運命が待ち受けていることになります。いや翁長に限らず、今の沖縄が、決して意志を曲げないという魔物症候群に陥っているのかもしれません。こういうのは「革新」ではなく「保守」ですね。沖縄が革新だと誤解していらっしゃる方のために申し上げておきたいと思います(大笑)。

政治とは「交渉」そのもの。一つずつ利益を積み重ねていく地味な努力が求められます。すべて自分の利益だけを追い求めるという沖縄の姿勢が、まるで言論の自由を封じている中国・韓国のように見えてきます。

ただし沖縄の庶民は、これまた別の見方をしているのですが、これさえ中国・韓国と似ていますね(大笑)。