あつしが行く!!

日本共産党前福島県議会議員・長谷部あつしが日々の活動を綴ります。

非常識判決/国連が是正勧告/「息苦しい社会」/表現の自由

2009年12月10日 | 日々の活動



10日前になりますが、最高裁が驚くべき非常識判決を下しました。

5年前、僧侶の荒川庸生さんが、「チラシ・パンフレット等広告の投函を固く禁じます」と張り紙のあるマンションの共用部分に入り、ドアポストへ日本共産党葛飾区議団の議会報告などのビラを配ったことが、有罪とされたのです。

国連自由権規約委員会は、この事件など続発した日本でのビラ配布弾圧事件を問題視し、08年10月、日本政府に対して是正勧告をしていました。

「私人の郵便箱に政府に批判的な内容のリーフレットを配布したことで、不法侵入についての法律や国家公務員法のもとで逮捕・起訴されたことを懸念する」。

判決翌日(12月1日)の朝日新聞社説は、「判決は政治ビラに的を絞った強引な摘発を追認」「表現の自由は政治的立場の違いを超えて、民主主義の根幹」「強引な捜査とあいまいな司法判断は、自由な政治活動が萎縮する、息苦しい社会を招きかねない」と批判しています。同感です。

「表現の自由」には私にも思い入れがあって、05年12月県議会にいわゆる「ピンクビラ条例」が提案された際、制定趣旨に賛意を示しつつ、犯罪行為の規定は誰もがひとつの意味として理解できる表現でなければならない「明確性の理論」、表現の自由を制限するには「明白かつ現在の危険」という厳格な基準、表現の自由を制限する手段・程度は「より制限的でない他の選びうる手段」の基準が適用されるべきで、これらの点から恣意的解釈の余地がある条文とこれに対応する罰則規定を削除することを求めて反対討論したことがあります。

なんとなれば、仮に表現の自由以外の人権が権力によって抑圧された場合、残された表現の自由によって、権力を交代させる民主政治の最後のよりどころになる自由が表現の自由だからです。

人権のなかでも優越的地位を占めるのが表現の自由、といわれるゆえんです。

この自由をもっとも享受し、最前線で実践し、その「制限」の動きにもっとも敏感なのがジャーナリストだと私は信じています。