西彼杵半島の
大瀬戸からフェリーに乗って、たどり着いたのが「池島」。
国内最後の離島炭鉱として栄えた、西海に浮かぶ小さな島です。
良質の石炭が産出されたことで知られた池島ですが、
平成13年11月をもって閉山、40年余の炭鉱の歴史に幕を下ろしました。
港から見える貯炭場もその役目を終え、静かに佇んでおりました。
閉山したと同時に無人島になった端島(通称:軍艦島)とは違い、
この池島は、島に残った方が今でも暮らしている島です。
ただ、閉山とともに島を離れた人が大半だったようで、
炭鉱が全盛期だった頃と比べると、人口ははるかに少なくなってしまったそう。

港に着くと、大勢のネコさんたちがお出迎え。とにかくたくさんいるんです。
そういや、長崎駅にもいるんですよね。長崎はネコの街??
池島の港は、もともと池だったところを海と繋げたんだとか。
「池島」の名の由来は、この池から来ているそうです。

島内は、長崎市委託のコミュニティバスが走ってます。
バス、というよりもワゴン車なんですが、
ドアが開くとステップが降りるように改造されてます。お年寄りもこれなら楽々。
バスの前面に「長崎市」とありますが、以前は西彼杵郡外海町だったこの島は、
昨年1月の市町村合併で長崎市へ編入となりました。
でも…、市の中心からえらい遠かったけどね。
とりあえず寄りたいとこがあったので、バスには乗らずに歩いてみることに。

港を見守るように建つ団地の棟の一画にある食堂、「みなと亭」さん。
こちらで、この日のお昼ごはんを食べようと立ち寄ってみました。
もともと、地元のお年寄りの方などにお弁当を届けるのが主だそうで、
夜は、予約が入らないとお店を開けないそうです。
そうそう観光客が来る島ではないから、地元の方のためのお店なんですね。
そんな中、この日のお弁当をいただきました。どのおかずもおいしかった~。

食事を済ませ、港から旧鉱業所住宅地区のほうへ坂を上がってくると、
最初に目に付いたのがここ。
「新店街通り」の名の付くバス停ですが、完全にシャッター通り。
周りにある炭鉱住宅も、ほとんど空家となっていました。
寂しげではあるけど、でも炭鉱全盛期にはものすごい活気があったんだろうな。

島で2つあるうちのひとつのスーパー、「池島ストア」。
写真を撮ろうとカメラを構えると、地元?のオネエサンが、
「池島撮りに来たとー?」と威勢のいい声をかけてくれました。
以前、なにかで見かけたここの写真は、看板もきちんとしてたんだけど、
ずいぶんと抜け落ちてしまってました。台風などの猛威も影響してるみたい。
一見、大きなスーパーに見えますが、売り場は縮小され営業が続けられていました。

いよいよ、いちばん見たかった場所へと進んできました。高層の旧炭鉱住宅群。
他では見たことがないRC造りの高層住宅に、思わず感動してしまいました。
こういう造りって、炭住ならではなのかなぁ。
限られた土地に多くの人が住めるよう、工夫されているのがすごい。
現在では閉鎖されていて、廃墟のようになっていたのが残念だけど、
怖さよりも感動のほうが大きかったな。もちろん、夜は怖そうですけど。
池島の炭鉱住宅にはお風呂がついてないそうで、
この棟の1階にあった共同浴場で、たくさんの人が汗を流していたんだそう。
島で出会った人に話を聞いたら、小学校の頃の友だちがこの棟に住んでいて、
よくいっしょにお風呂に入ったそうです。
賑やかだった頃を想像できます。多くの人々の暮らしがここにあったことを。

この建物の工夫が、裏側からも見ることができました。
裏の高台の道路から、ちょうど真ん中の4階付近に橋が架かっているのです。
玄関側から見ると8階建ての建物なんですが、裏から見ると4階建てとも取れる。
この橋が棟と棟を繋いでいるので、どこからでも出入りしやすくなってるんです。
この造り、これが見たかった。できることなら…、閉山前に見たかった。

その橋には「立入禁止」の文字とともに、見慣れない文字が。
現在、池島坑は炭鉱技術研修センターとして、
ベトナムやインドネシアからの研修生を受け入れているのです。
もちろん、この橋、かなりの錆とコンクリートの亀裂など老朽化が激しく、
言われなくても渡る気にはなりません。

高層の炭鉱住宅の先へ進むと、炭鉱技術研修センターがありました。
ここはもともと、第2池島坑だった場所。
海の向こうにかすかに見える蟇島とは、海底で繋がってたんだから驚き。
この銅像ともうひとつ、この隣にあった「女神像」が、
ヤマで働く多くの人々の安全を願って、見守っていたんですね。
もっとじっくり見て周りたかったんですが、
帰りの船の時間を考えると、あまりのんびりもしていられなくて。
とりあえず、港のほうへと戻ることにしました。
つづく。(やー、すごい長くなっちゃった)