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はるかのひとりごち。

のんびりと旅レポお届け中~。

福岡の鉄道に乗ろう!その4:おるすばん?

2007年02月13日 22時00分07秒 | たびろぐ九州。

ウマいとんかつを堪能し、小郡の街をもう少し歩いてみようとしたとこで、
残念ながら、雨が降ってきてしまいました。
仕方なく、また小郡駅まで戻ることに。
甘木鉄道の小郡駅は、こんな風にちょっとおもしろい造りになってます。


ホームへ上がる階段を上っていくと、
うん??
飲み屋さんのネオンらしきものが見えます。
いや、らしきものじゃないな。だって「酒房」って書いてあるし。
しかも、お店の名前が「道」。なんか素敵だ(笑)。
しかしこれ、降りたときは全然気がつかなかったなぁ~。


正面から見ると、こんな感じ。
三セクの鉄道のエキナカにも、こんな味のあるお店があるなんて。
いちおう、甘木鉄道の定期や回数券の取次ぎもしているようです。

いったい、どんなお店なのかな?
と扉を開けてみようとしたんだけど、鍵が閉まってます。
どうやら店主は不在のよう。
うーん、ちょっと残念、と思いながら、ふと窓から中を見ると…、


???





えっ??
み、見間違い??
もう一度、よーく見てみよう。










!!!

ぶははは~!!間違いない~!!!ワンコがいる~!!!!
なんと、お店の中でお留守番していたのは、1匹のワンちゃんでした~!
一瞬、ぬいぐるみ??とも思ったんですが、ちゃんと瞬きしてましたし。
やーもー、あまりのかわいらしさに腰が砕けました(笑)。
こういうのがあるからね、旅はやめられないのね。今日もお留守番してるかなぁ。

さて、福岡レポの途中なんですが、またちょっと明日から出かけてきます。
ただ…、ちょっと心配なのが、明日の爆弾低気圧。
相当荒れるようですが、無事に飛行機は飛ぶだろうか…。
揺れは全然大丈夫なんですけど、気圧で耳がヤラれそうで怖い~。
というか、目的地にたどり着けなかったりして。羽田へ逆戻り~とか(笑)。
いったいどうなるのか予想もつきませんが、
とりあえず現地からレポートしていこうと思ってますので、お楽しみに…(弱気)。

旅レポは「その5」へと続きます♪

福岡の鉄道に乗ろう!その3:香りに誘われて

2007年02月12日 15時16分58秒 | たびろぐ九州。

甘木駅にて甘木鉄道の1日フリー乗車券を購入し、小郡駅へと戻ってきました。
ちなみにこのフリー乗車券、お値段が700円なんですが、
基山-甘木間の運賃が350円なので、往復すればトントン、
さらにどこか1か所で途中下車すれば元が取れる、というお得な乗車券です。

さて、高架の小郡駅を降りると、その下を西鉄天神大牟田線が走っています。


踏切から、甘木鉄道の線路を背にして見た「西鉄小郡駅」。
すぐ近くなので、乗り換えも便利です。でも、この日は西鉄には乗らずに街歩き。


プラプラ当てもなく細い路地を歩いていると、おおっ!昔懐かしい琺瑯看板発見!!
実はこういうの、大好きなんですよね~。
「リズムミシン」は、他でもどこかで見かけたことあるんですが、
もうひとつの「平和台饅頭」は、「平和台」だけに地元福岡モノでしょうか。
いやぁ、コレにハマると大変なのは重々承知なので、
いままで極力見て見ぬ振り(?)をしてきたんですけど、
やっぱ味があっていいです、琺瑯看板。これを機にデビューか??(笑)

と、ノスタルジーな気分に浸りつつ、大通りに出てしばらく歩くと、

くんくんくん。

あらあら、なんだかいい匂いがしてきましたよ~。
その匂いの元へと勝手に足が向いていきます(犬か!)。
で、たどり着いたのがこちら!!


とんかつ屋さ~ん♪

いい匂いの正体は、ひと目で「とんかつ屋!!」とわかるようなネーミングの、
とんかつ「とん亭」さんでした。
腹ペコだったわたしたち、もちろん入ってみることにしましたよ。
しかし…、旅先でとんかつの香りにツラれること、多いなぁ~(苦笑)。

店内は、いかにも昔ながらの定食屋さん、といった感じで、
お昼ちょっと前だったにもかかわらず、すでにほぼ満席状態。
座敷が空いていたので、そちらへ落ち着くことに。
その後、次から次へとお客さんが入ってきて、あっという間に満席ですよ。
おお、あぶないあぶない。ギリギリセーフでした。人気のお店なのが伺えます。


なんだかガッツリ食べたい気分だったので、「上ロースカツ定食」をオーダー。
若い頃(笑)、職場の先輩の奥さんに、
「ヒレは年寄りの喰うもんだ。若者はロース喰え。」
という衝撃のお言葉をいただいて以来(笑)、とんかつといえば「ロース」。
ちなみにこちらの定食、なんとこの内容で750円。安っ!


とっても肉厚で、脂身のとこなんて口に入れるとトロけてしまいます。
ああ、だからロースって好き(おい、太るぞ)。
そして、このカツを引き立てていたのが別添のソース。
ちょっと甘みがあって、揚げたてサクサクのカツととっても合いました。
「旅先とんかつ」の中じゃあ、鹿屋で食べたのの次くらいにウマかった。満足。
ウマいものアンテナ、まだまだ健在か??(笑)

「その4」へ続く~♪

福岡の鉄道に乗ろう!その2:ピカピカのレールバス

2007年02月10日 22時10分42秒 | たびろぐ九州。

博多駅から、鹿児島本線の快速列車に揺られてやってきたのが、ここ基山駅。
あ、今回の旅レポは、タイトルに「福岡の」って付いてますけど、
この基山駅は佐賀県の東端に位置しているので、ちょこっとだけ佐賀に上陸。
佐賀とはいえ、鳥栖市と隣り合っている以外は福岡県に接しているため、
福岡が生活圏になっている方も多いんだそうです。
ちなみに、駅名板にあるイラストは、基山町の花「つつじ」のようです。

で、この基山へはいったい何しに来たのかというと、こちら。↓


昭和61年4月に、国鉄甘木線を継承して開業された第三セクター、
「甘木鉄道」に乗るのが、今回の目的のひとつ。
JR基山駅から朝倉市の甘木駅までを結ぶ、単線の鉄道路線です。
せっかく福岡博多へ行くんだから、
どこか近くで乗ってない路線はないかと思い、白羽の矢を立てたのでした~。

でも、実は直前まで乗りに行けるかどうか、わからなかったのです。
昨年の夏、大雨で途中の大板井-松崎間の橋が壊れて不通となってしまったため。
バスでの振替輸送をしていたんですが、通しで乗れないのなら今回は見送りかな?
と思ってたところ、年末に無事復旧!晴れて乗車の日を迎えました~。
地元の方々にとっても、ほんとによかったよかった。


階段を下りてホームへ行くと、真新しいレールバスさんが待ち構えていましたよ。
この甘木鉄道、乗り継ぎの便がいいからか、お客さんも乗ってるし、
30分に1本くらいは走っているし、三セクの中でもかなり優秀な路線です。
こんなピカピカの車両も走ってるしね~♪

甘木鉄道では、「1日フリーきっぷ」を700円で販売しています。
今回はこのきっぷを使おうと、運転士さんに伺ったところ、
車内では販売していないとか。終点の甘木駅で取り扱っているとのことで、
とりあえず、通しで終点まで乗ってみることにしました。


午前中の比較的乗降客の少ない時間帯だったのに、
ほんとに平均的に乗ってるんですよね、お客さんが。
のどかな場所を通ったかと思いきや、高架の部分もあったりと、
車窓の移り変わりを眺めながら、25分ほどで終点甘木駅に到着。
こじんまりとした、なかなかかわいらしい駅舎です。
ここには甘木鉄道の本社もあって、事務所で無事1日フリーきっぷを入手。
対応してくださった職員さんが、またとっても親切な方だったのがうれしかった~。
旅先でいい人・いい街に出会うのって、ほんとに気持ちのいいものです。


駅の中には、昔なつかしい「タブレット閉塞機」が展示されていました。
昔は日本のあちこちで見ることができた「タブレット」ですが、
いまではほとんどが姿を消してしまいました。
これも、展示されているだけのようでしたが、使い込まれた赤箱がいい感じ。
「タブレット」に関しては、以前この記事でサラッと書いてるので、よかったら見てね。

さて、フリーきっぷも手に入れたし、また基山へ向かって戻ってみることにしました。
そして、降り立った駅がこちら。


小郡駅。

携帯からも投稿しましたが、小郡は小郡でも、福岡にある小郡でした~。
山口県にあった「小郡」(現:新山口)と同名の「小郡駅」です。
国鉄時代は、山口の小郡と区別するために「筑後小郡」という名称でしたが、
甘木鉄道として開業したときに、駅舎を甘木寄りに移動して今の名称となったそう。
西鉄天神大牟田線の「西鉄小郡駅」との乗り換え駅でもある小郡で降り、
街歩きしてみたらですね、ウマいものと出会ってしまいましたよ~。
その正体とは?? 「その3」へ続く~♪

福岡の鉄道に乗ろう!その1:つばめとかもめ

2007年02月08日 22時22分34秒 | たびろぐ九州。

さて、それでは先日の福岡の旅レポをお送りしていきま~す

今回の福岡行きは、ある鉄道の路線がお目当て。
その鉄道も、1日あれば十分回れそうな距離なので、
せっかく行くなら、いままで乗ったことのないとこにも乗りに行こう!
というわけで、今回はもうひとつ、別の鉄道の沿線にも足を運んできました。

羽田から福岡空港へ降り立って、地下鉄を乗り継ぎ、やってきました博多駅。
ここから、この日の目的地へ向かうために、ホームで列車を待っていると、
ふと、目に飛び込んできた巨大な物体がこちら!↓



クレーン。

ああそうだ、いま博多駅って、九州新幹線開業準備に向けて、
駅ビルを新築する工事を大々的に行ってる最中。
いかにも国鉄時代の新幹線発着駅、といった風格のある駅舎もなくなって、
まったく違う雰囲気の駅になっちゃうんだろうか。
ホームから見る「井筒屋」のマークも、もうすぐ見れなくなるんだろうか。寂しい…。

な~んて、感傷に浸っていたらですね、とある看板を発見。
ん??もしかして、「名前」???



右側のクレーンさん。

そして、


左側のクレーンさん。

なんと、「つばめ」「かもめ」???

いやぁ、まさか名前が付いてるとは思わなかった!
JR九州の2大巨頭(?)、
新幹線「つばめ」と特急「白いかもめ」から名付けたと思われる2台のクレーン。
がんばってほしいような、ほしくないような、
なんとも微妙な気持ちになったのでした(笑)。

ちなみに、引きで撮った、上2枚の写真、
ホームにいるのは、それぞれ「白いかもめ」と「リレーつばめ」。
つばめのほうは旧型だけれども(苦笑)。(だからなんだと言われればそれまで)

「その2」へ続く~♪

炭鉱の島を訪ねて その10:電車レストラン

2006年11月10日 22時40分40秒 | たびろぐ九州。

長崎の街で見かける乗り物といったら、「路面電車」。
長崎には、そんな「路面電車」がそのまま「レストラン」になっちゃった!
というお店があるのです~♪
それがこちらの、「きっちんせいじ」さん

なんかなんかもう、理屈抜きですっごいかわいい~!
乗り物好きとしては、ぜひ一度行ってみたい!と思っていた店なのです。


早速店内へ。なんと、ドアも路面電車そのままの折戸…。かわいい…(笑)。
店内には、所狭しと歴史ある長崎の路面電車の写真などが飾られています。
「お子さまメニュー」なるかわいらしい手書きのメニューがなかったら、
一見、何屋さんだかわかんないような、素敵な店内です。
ってこれ、もしかして運転台の後ろにある広告入れ??うは~♪


一角には、むか~しのマスコン(アクセルみたいなもんね)と、
古い電停の看板などもあって、レトロな香りがプンプン!
この「出師橋(すいしばし)」は、今は無き電停。
トラス橋だったこの橋を、路面電車が通っていたんですが、
橋の取り壊しと同時にルート変更、電停も廃止されたんだそうです。
貴重な看板なんだなぁ~。


ふと、上を見上げると、なんと網棚に吊り革!!天井の電気も路面電車??
そして、座ってるシートもなんと電車のもの(笑)。
背後は電車の窓ですよ。もうダメ、楽しくてしょうがない(笑)。
なんと、向かい側のテーブルの中は、Nゲージのジオラマになっておりました!
鉄道好きには必見??


で、肝心の食事食事(笑)。
前日に続いて、やっぱりここでもトルコライス。と、これは同居人のもの。
たっぷりのナポリタンに、ボリューミーなとんかつ、
そのとんかつの下には、やっぱりこちらもドライカレーが。
サラダとオレンジがついて、一皿でいっぺんに楽しめるメニューがいいですね。
ちょっと見づらいけど、なんとお皿にも路面電車がデザインされております!


実はこの後、もう1食トルコライスをいただく予定があったわたしは(!)、
こちらのサービスランチを選択。これで600円、お得だよね~。
ナポリタン・ハンバーグ・豚の生姜焼き・ハムポテトサラダと生野菜に、
日替わりで1品付くという、こちらのなかなかのボリューム。
この日は、ポテトコロッケが付いてきました。
どれも素朴だけど、いかにも手作りといった味で、おいしかったです。


サイドにある調味料コーナーには、こんな手作りマヨネーズが。
このマヨが、サッパリとした酸味でなかなかイケました!
脂っこくないのがいい!マヨラーにはうれしい一品です。


そんな、こちらの電車レストランは「きっちんせいじ前」電停のすぐそば!
…ってのは嘘ですけど(笑)、眼鏡橋のそばにありますよ~。
乗り物に特に興味がなくても、
電車の中でごはんを食べてる錯角に陥れるこのお店(笑)、オススメです!
他にもオムライスやハンバーグが評判だとか。
次回長崎を訪れる際は、他のメニューもいただいてみたいです♪

炭鉱の島を訪ねて その9:軍艦島クルーズ

2006年11月09日 23時58分23秒 | たびろぐ九州。

今回の旅の最後の目的が、この「軍艦島クルーズ」。
以前、やはり同じく離島炭鉱だった「高島」から、軍艦島を望んだんですが、
あのときは霞がかかっていて、輪郭くらいしか見れなかったのです。

そのときの記事がこちら→「長崎の旅その6:高島と軍艦島」

軍艦島の解説は以前の記事でしているので、今回はちょっと端折りますけど、
正式名称を「端島(はしま)」という、やはり炭鉱で栄えた離島でした。
閉山と同時に無人島になり、既に30年以上も経過している軍艦島。
日本最古の高層アパート群の老朽化はかなり激しく、上陸は禁止されているので、
近くまで寄って見学できる、こういうクルーズ船が人気なんですね。
今回、やっと軍艦島を間近で見られる~と、かなりドキドキ。


途中、三菱造船所のドックにいた海自の新造イージス護衛艦「あしがら」やら、
香焼工場のゴライアスクレーンなんかに見惚れているうち、
大波止ターミナルから45分ほどで、いよいよ軍艦島のシルエットが見えてきました。
おお!!なんともいえない威圧感というか、迫力というか。


案内役の方の解説によると、学校と病院だとか。特に学校はかなりの規模の建物。
写真や映像では見てはいたものの、人の気配がまったくないだけに、
実際に目の当たりにすると、恐怖心が湧いてきます。


船は、居住区域側へと回ってきました。
一部、色の変わっている護岸は、台風などで崩れたところを補修した跡。
9月の台風13号のときも、一部護岸が崩落してしまったそう。
これだけの護岸を築いていても、高波が来ればひとたまりもないんだろうな。


4~5階建ての鉱員社宅群。その奥にヒョコッと建っている高い建物が、
後から新たに建てられた10階建ての社宅。その10階には幼稚園があったとか。
この辺りは戦後に建てられたものなので、比較的新しいほう。
ほんとにたくさんの人が、密集して住んでたんだなぁ。
住宅が護岸のすぐ脇、というのがとにかくすごい。
台風のたびに、建物ごと波に飲まれてたのは間違いないでしょう。


島が見えてきたときとちょうど反対側へとやってきました。
こちら側から見る姿が、戦艦「土佐」に見えるんだとか。
いわゆる「軍艦島」と呼ばれる所以ですね。


今度は鉱場区域側へ。手前の左側にある円錐形のものが「ドルフィン桟橋」の土台。
日本初の可動式接岸桟橋だそうです。
でも、やっぱり台風の影響で2度も流出してしまったんだそう。
ここに住むということが、どれだけ過酷だったかがわかる気がします。


この手前ふたつが、石炭積込用の桟橋の跡。
端島では住民が離島して無人島となったと同時に、桟橋を取り払ったんだそうです。
丘の上にそびえ立つ建物は、幹部職員の住宅だとか。さすが見晴らし良さそう。
そして、その右手にちょこんと小さく見える三角屋根が端島神社の神殿。
あんな高台にあって風雨にさらされながらも、健気に建ち続けています。


もっともっと見ていたかったなぁ、と後ろ髪を引かれながら、
船はだんだんと島から離れていきます。
比較的じっくりと停まって見せてくれたりで、大満足の内容でした。
とにかくね、案内役のお兄さんの解説がよかったんですよね。
終わったあと、拍手が起こったくらい。
充実した100分間のクルーズでした。また行きたいな。

大波止へ戻ってきて船から下りると、ひとりのおじいちゃんが声を掛けてきました。
あ、このおじいちゃん、出航のときに桟橋で見送ってた人だ、
と思いながら話を聞くと、なんと、このクルーズを運営している会社の会長さん!
(名刺をくださったので、たぶん間違いないと思う)
神奈川から来たことを伝えると、ずいぶん喜んでくださって、
貴重な遺構として残る端島を、これからも伝えていきたいとおっしゃってました。
世界遺産登録という話もある軍艦島。
日本の高度成長期を支えてきた島の歴史を伝える語り部として、
ずっと続けていってほしいです。また乗りに行きますから。

炭鉱の島を訪ねて その8:人情トルコライス

2006年11月08日 23時00分37秒 | たびろぐ九州。

今回の長崎行きで、楽しみにしていたうちのひとつ(ありすぎ?)がこちら!

長崎名物 トルコライス

「トルコライス」とは、カレーピラフとスパゲティと卵でとじたトンカツが、
ひとつのお皿に乗っかってる、お子様ランチの大人版!みたいなもの。
長崎でしか味わえない、ご当地グルメのひとつなのです。
特に、この「アストリア」さんのトルコライスが大好きなわたし、
長崎に行くのが楽しみでしかたなかったのよね~♪

ところが…、

以前、食べに行ったお店というのが、新大工町にあったお店。
こちらで鍋を振っていたおばちゃんの体調があまりよくなかったそうで、
新大工町店は惜しまれながら、昨年末に閉店したんだそうです。
それを知ったのが、今年に入ってしばらくしてから。
あぁ、もうあのおばちゃんのトルコライスを食べられないのか…、
と、かなり脱力状態だったんですが、
実はこのアストリアさん、ご主人がやっているという浜町店があるのです。
なので、今回はそちらへ行ってみました。

カウンターのみの新大工町店と違って、広くて明るい店内の浜町店。
いかにも下町ーな新大工町に対して、おしゃれな浜町といった感じでしょうか。


早速、念願のトルコライスとご対面!このボリュームで840円は安いっ!
ちょっぴりスパイシーだけど、優しい味のカレーピラフ、
子供の頃に食べたような、懐かしい味のスパゲティ、
そして、卵で優しく包みこんだ、薄切りサクサクのトンカツ、
どれをとってもウマい!もちろん、あっという間に完食(笑)。
おばちゃんのトルコは飾り気がなく豪快なとこが大好きだったけど、
こちらのトルコも申し分ない味でした。ああ、食べれてよかった~。


そしてそして、こちらが同居人の食べた「びっくりトルコ」。
えー、このボリューム、わかります??
上の写真と比較してみてね。ちなみに、トマトは同じ大きさですから(笑)。
普通のトルコに、白身フライ、ハンバーグ、骨付きグリルチキンが付いとります。
あ、明らかにピラフの量も多いですね(笑)。
そして、これをペロッと食べちゃった同居人。さすが!
でも、ここのは不思議と重たくないんです。それが人気の秘密なのかも。

翌日、そういえば新大工町のお店って、今どうなっているんだろう?と、
ちょっと気になったので、路面電車に揺られて見に行ってみると、
お花屋さんに変わっていました。


在りし日の「アストリア新大工町店」。いい雰囲気でありました。

そういえば、新大工町店のボリューム満点メニュー、「スーパートルコ」を、
次回長崎に行ったときに食べてね、と同居人に話してたんですが、そんな夢も叶わず。
ちょっと寂しい気分で商店街を後にしようと、角の床屋さんをふと見ると、
こんな貼り紙を見つけました。↓


なんと、こちらの床屋さんに浜町店の地図が置かれているとのこと!
ちょっとお店の方に話を聞いてみたんですが、
やっぱり、おばちゃんのトルコライスが恋しくてやってくる人が多いんだとか。
いやぁ、なんかこういうのってうれしいよなぁ~。
人情味あふれる素敵な長崎の街を、垣間見たような気がしました。

そんな、アストリアさんの感動のラストの模様はこちら→グリルアストリア

炭鉱の島を訪ねて その7:タイムスリップ

2006年11月07日 23時56分40秒 | たびろぐ九州。

池島の炭鉱住宅群から、再び港地区へと下りてきたわたしたち。
帰りの船の時間までの間、
港をグルッと囲むようにして続く道を歩いてみることにしました。
すると、石炭を船着場へ運んでいたトロッコの廃線を発見!
使われなくなって赤く錆付いたレールでも、こうして残っていることがうれしい。
その先の施設は、いまにも動き出しそうな雰囲気が漂っていました。


手前には、踏切の名残もありました。


フェリーで港へ着いたときに、目の前に広がってたのがこのコンベア。
とにかく、とにかく長いのです。迫力あったなぁ。
操業していた頃は、ここに山のように石炭が積まれてたんですね。
閉山からまだ年数が経っていないせいか、動かないことが不思議な感じがしました。


しばらく歩いていくと、ありました。石炭の欠片。
正確には、資源として使えなかった捨石、なのかな。
ボタ山、と呼ばれる捨石を集積していた敷地では、
こうしていまでも残っているのを見ることができるんだとか。
せっかく出会った欠片なので、ひとつ思い出にいただいてきました。


ここまで来ても、地元スーパー巡りは欠かしません(笑)。
港のそばの建物の中に、呼ばれるように入っていくと、
小さな日用品店があったのです。
ここで、「○○の素」みたいなものを発見したので、レジへ持っていくと、
レジの女性に「え?これ??」みたいな顔されて、お互いに笑っちゃった(笑)。
だって、うちの地元では見かけたことなかったんだもの。ははは。


通路を入った右手に、酒屋さんがあったんですが、
なんと、立ち飲み?のカウンターがあったのです!これ、すごいかっこいい!
ヤマで働くたくさんの男たちが酒を酌み交わす姿、浮かんできました。

ふと、1日島を見ていて思ったこと。
日本の高度成長期を支えた、こういう島の人々のことを、
わたしたちは忘れちゃいけないと思う。
苦渋の思いで島を離れた人々のことも。
そして、島を離れずにがんばってる人々のことも。

島を後にする前に、
お昼ごはんをごちそうになった「みなと亭」のご主人と奥さんに、
ご挨拶しに行きました。今回、本当にお世話になってしまって。
感謝してもしきれないくらいなのでした。ありがとうございました。
また来ます、と最後に言ってお別れしました。
次に行くときも、おいしいごはんを食べさせてください。

さて、予定よりも1本早い船で帰ろうと港へ行くと、


ネコだまり~っ♪

おおお、なんか増えてない??(笑)
実は、ここに写りきれないほど、ほかにもいっぱいいました。うひゃ~。
ちょうど、夕方仕事が終わって、通いの人々が港へやってくる時間。
なんかもらえる~、ってわかってるのか??


帰りは行きと違って、神の浦行きの旅客船に乗って帰ってきました。
で、この船がまたすごかった。座敷みたいなとこに靴脱いであがって、
いっしょに乗ってた作業服姿のアンチャンが、
飛び入りのわたしたちに座布団を譲ってくれたりして、アットホームな雰囲気。
そして、着いた桟橋から見えた赤い橋は、
行きに乗ったバスが渡って行かなかった、あの橋なのでした。


突然の狭隘路にワクワクした、あの商店街から帰路に着くとは、
行きのバスの中では夢にも思ってなかったんですよね。
やっぱり、「いい!」って思う場所には引き寄せられるようになってるのかも。
なんだかずいぶん長い時間彷徨ったような、でもあっという間だったような、
まるでタイムスリップでもしてしまったような、そんな1日でした。

炭鉱の島を訪ねて その6:池島探訪

2006年11月06日 23時30分29秒 | たびろぐ九州。

西彼杵半島の大瀬戸からフェリーに乗って、たどり着いたのが「池島」。
国内最後の離島炭鉱として栄えた、西海に浮かぶ小さな島です。
良質の石炭が産出されたことで知られた池島ですが、
平成13年11月をもって閉山、40年余の炭鉱の歴史に幕を下ろしました。
港から見える貯炭場もその役目を終え、静かに佇んでおりました。

閉山したと同時に無人島になった端島(通称:軍艦島)とは違い、
この池島は、島に残った方が今でも暮らしている島です。
ただ、閉山とともに島を離れた人が大半だったようで、
炭鉱が全盛期だった頃と比べると、人口ははるかに少なくなってしまったそう。


港に着くと、大勢のネコさんたちがお出迎え。とにかくたくさんいるんです。
そういや、長崎駅にもいるんですよね。長崎はネコの街??
池島の港は、もともと池だったところを海と繋げたんだとか。
「池島」の名の由来は、この池から来ているそうです。


島内は、長崎市委託のコミュニティバスが走ってます。
バス、というよりもワゴン車なんですが、
ドアが開くとステップが降りるように改造されてます。お年寄りもこれなら楽々。
バスの前面に「長崎市」とありますが、以前は西彼杵郡外海町だったこの島は、
昨年1月の市町村合併で長崎市へ編入となりました。
でも…、市の中心からえらい遠かったけどね。
とりあえず寄りたいとこがあったので、バスには乗らずに歩いてみることに。


港を見守るように建つ団地の棟の一画にある食堂、「みなと亭」さん。
こちらで、この日のお昼ごはんを食べようと立ち寄ってみました。
もともと、地元のお年寄りの方などにお弁当を届けるのが主だそうで、
夜は、予約が入らないとお店を開けないそうです。
そうそう観光客が来る島ではないから、地元の方のためのお店なんですね。
そんな中、この日のお弁当をいただきました。どのおかずもおいしかった~。


食事を済ませ、港から旧鉱業所住宅地区のほうへ坂を上がってくると、
最初に目に付いたのがここ。
「新店街通り」の名の付くバス停ですが、完全にシャッター通り。
周りにある炭鉱住宅も、ほとんど空家となっていました。
寂しげではあるけど、でも炭鉱全盛期にはものすごい活気があったんだろうな。


島で2つあるうちのひとつのスーパー、「池島ストア」。
写真を撮ろうとカメラを構えると、地元?のオネエサンが、
「池島撮りに来たとー?」と威勢のいい声をかけてくれました。

以前、なにかで見かけたここの写真は、看板もきちんとしてたんだけど、
ずいぶんと抜け落ちてしまってました。台風などの猛威も影響してるみたい。
一見、大きなスーパーに見えますが、売り場は縮小され営業が続けられていました。


いよいよ、いちばん見たかった場所へと進んできました。高層の旧炭鉱住宅群。
他では見たことがないRC造りの高層住宅に、思わず感動してしまいました。
こういう造りって、炭住ならではなのかなぁ。
限られた土地に多くの人が住めるよう、工夫されているのがすごい。
現在では閉鎖されていて、廃墟のようになっていたのが残念だけど、
怖さよりも感動のほうが大きかったな。もちろん、夜は怖そうですけど。

池島の炭鉱住宅にはお風呂がついてないそうで、
この棟の1階にあった共同浴場で、たくさんの人が汗を流していたんだそう。
島で出会った人に話を聞いたら、小学校の頃の友だちがこの棟に住んでいて、
よくいっしょにお風呂に入ったそうです。
賑やかだった頃を想像できます。多くの人々の暮らしがここにあったことを。


この建物の工夫が、裏側からも見ることができました。
裏の高台の道路から、ちょうど真ん中の4階付近に橋が架かっているのです。
玄関側から見ると8階建ての建物なんですが、裏から見ると4階建てとも取れる。
この橋が棟と棟を繋いでいるので、どこからでも出入りしやすくなってるんです。
この造り、これが見たかった。できることなら…、閉山前に見たかった。


その橋には「立入禁止」の文字とともに、見慣れない文字が。
現在、池島坑は炭鉱技術研修センターとして、
ベトナムやインドネシアからの研修生を受け入れているのです。
もちろん、この橋、かなりの錆とコンクリートの亀裂など老朽化が激しく、
言われなくても渡る気にはなりません。


高層の炭鉱住宅の先へ進むと、炭鉱技術研修センターがありました。
ここはもともと、第2池島坑だった場所。
海の向こうにかすかに見える蟇島とは、海底で繋がってたんだから驚き。
この銅像ともうひとつ、この隣にあった「女神像」が、
ヤマで働く多くの人々の安全を願って、見守っていたんですね。

もっとじっくり見て周りたかったんですが、
帰りの船の時間を考えると、あまりのんびりもしていられなくて。
とりあえず、港のほうへと戻ることにしました。

つづく。(やー、すごい長くなっちゃった)

炭鉱の島を訪ねて その5:いよいよ島へ

2006年11月05日 22時12分00秒 | たびろぐ九州。

今回の長崎行きのいちばんの目的は、ある離島を訪れること。
ずいぶん前に、雑誌かなにかで見かけて以来、
いつか機会があったら行ってみたいなぁ、と思っていた島です。
やっと、今回のタイトルに近付いてきたなぁ(苦笑)。

早起きして宿を出て、長崎駅からバスに乗り50分、
西彼杵半島の袂にある、「桜の里ターミナル」へとやってきました。
ここで、「大瀬戸・板の浦」行きに乗り換え、船着場を目指します。


長崎新地や駅から大瀬戸方面直通のバスもあるんですが、日にわずか数本。
島行きのフェリーの時間との兼ね合いもあるので、ここで乗り継ぎです。
以前は急行バスも走ってたみたいだけど、分社化等でなくなったみたい。
ここからは、西彼杵半島を主に担当する長崎バスグループの、
「さいかい交通」にお世話になります。

ここからの路線も、とっても素晴らしい景色でした。
ずっと角力灘沿いを走っていくのですが、途中厳かな趣きの「黒崎教会」があり、
その先には、作家遠藤周作の文学館が隣接された、
道の駅「夕陽が丘そとめ」を見ることもできました。
でもね、今回ここは全て通過(苦笑)。いつかじっくり見てみたいです。


しばらく走ると、神の浦(こうのうら)という街までやってきました。
と、ここで突然、バスが細い道へと入っていったのです!やービックリ!
写真右手に見える赤い橋を渡っていくのかと思いきや、
いままで通ってきた国道202号線を逸れ、突然の進路変更。
こんなとこを大型のバスが通るの?といった細い道なのです。
もうね、狭隘路線が専門分野(?)のわたし、血が騒ぎます(笑)。


で、やっぱりこんな細い橋を曲がっていこうというバス。すごすぎーっ!!
おそらくこっちは旧道なのかもね。
この「神の浦橋」を渡った先には昔ながらの商店街があって、
ここがまた、とってもいい雰囲気。おばちゃんたちがたくさん乗ってきました。


桜の里ターミナルから約50分、「NTT大瀬戸」バス停で降り、いよいよ目的の桟橋へ。
船着場へと向かうと、いました。今回お世話になる「フェリーかしま」。
もっと年季の入った船かと思いきや、真新しくてちょっと驚き。
でも、乗っているのはわたしたちを入れて数人。
この人数が、これから向かう島の現状を表しているのでしょうか。
そんなことを思っているうち、出航の時間となりました。


甲板で海風を浴びながら、フェリーに揺られること30分。
いつか行きたい、と思い続けてきた島が、目前まで近付いてきました。
ああ、ほんとにここまで来ちゃった。いよいよ上陸です。