「河口龍夫展 言葉・時間・生命」 東京国立近代美術館

東京国立近代美術館千代田区北の丸公園3-1
「河口龍夫展 言葉・時間・生命」
10/14-12/13



東京国立近代美術館で開催中の「河口龍夫展 言葉・時間・生命」展へ行ってきました。

今更ではありますが、河口龍夫のプロフィール、また展示概要については下記リンク先をご参照下さい。

「展覧会情報 河口龍夫展 作家紹介」@東京国立近代美術館
「河口龍夫: 言葉・時間・生命」@カロンズネット

金属からエネルギー、もしくは空間そのものに、素材と人との関係や、様々なメッセージをこめた河口の作品は、見る者の想像力を強く喚起させるものの、当然ながら半ば既知の絵を見るように簡単に楽しめるものではありません。ただしその難解な、ようは取っ付きにくさの先にある何かを探り当てた時、言わばパズルを解くようなスリリングな感覚と、未知の世界を開いたかのような驚きと充足感を得ることが出来ます。つまりここでは作品に対して無心になりつつ、一方でその場へ入り込むという、半ば矛盾した心構えと作業の双方が必要になってくるかもしれません。

なお当日は日頃お世話になっているブロガーの方とともに、閉館後にプレビュー形式で見ることが出来ました。以下、会場風景を交え、展示タイトルにあるような「言葉」や「時間」云々ではなく、もう少し具体的な3つのキーワードから、展示作品をいくつかご紹介していきます。

1.見えないものと見えるもの

はじめの展示室に整然と並ぶ「DARK BOX」しかり、金属などを多用する河口作品からは、それ自体にもの派的な重みも感じるところですが、そのものを通してある向こう側の何かを想像することこそ鑑賞の重要なポイントの一つではないでしょうか。



「DARK BOX」には、これまで河口自身が閉じ込めた『見えない』闇そのものが、金属の箱という『見える』形をとって提示されています。空っぽの闇の中に、それぞれ刻印された時間の記憶という『見えない』ものが封印されていることは言うまでもありません。そしてこの箱は、河口自身の時間体験と、見る側我々のそれの双方を繋ぐ一種の装置の役割を果たしていました。



一方、その闇に対し、今度は『見えない』光が閉じ込められたのが、ズバリ「光」と名付けられた作品です。ここでは見えるはずの光を見えないものとして提示しています。



本展随一の体験ゾーン、「闇の中のドローイング」は是非挑戦していただきたいところです。『見えない』空間である闇の中に入った鑑賞者は、その中でひたすらペンを動かし、必然的に生まれてきた像を今度は「見える」ものとして受け止めて、その間の揺らぎを確認し、また視覚に囚われない各々の自由な想像力を知ることになります。

2.種と鉛



小さな『種』と素材を覆う『鉛』が展覧会全体の通奏低音であるとしても過言ではありません。



鉛は危険なものからの隔離とともに、未来への保存を表します。それぞれの関係を導く蜜蝋によって繋げられた百科事典は、鉛によって永遠に知が蓄積されることとなりました。



河口は生命の原初的なエネルギーを植物の種に見出します。危険な外界より鉛によって隔離されたそれらは、大きな時計の下にて、来るべき花園の楽園へ向けての眠りにつきました。



ベットの上から鉛でコーティングされた無数の蓮の種が突き出しています。「睡眠からの発芽」では、眠りこける人のイメージのエネルギーを発芽する蓮の種へと変化させて表しました。ここでは発芽という、あくまでも未来へ向けてのポジティブなメッセージが示されていますが、私にはぽっかりと抜けた人型の余白はもとより、鉛の鈍い光の質感もあってか、あたかもお墓の廻りに咲く花々のような物悲しさを感じてなりません。鉛への隔離という一種の現実からの避難、そして今を通り越しての未来への視点は、河口作品の一種の現実に対するナーバスな認識を伺い知れるのではないでしょうか。

3.旅

そうした現実に対する視点は、作品を通し、そのあるべき場所を求めて旅をし続けるということにも繋がるのかもしれません。



八角形の大きな空間をとる「地中からのボーダーライン」では、その壁面に世界中の国境線が銅線で示されています。国境の内側、まさに地球の内部から、もろくも断片的に繋がる国境線に沿って旅するかのような印象を受けました。

さらに一歩過激に進んで、その国境線を全て取っ払ったのが、「黒板の地球儀」です。今回は展示の都合上、何も書かれていませんが、本来はチョークによってそこに線を自由に描くことが出来ます。そしてそれは当然ながら、国境線でなくても良いわけです。



順路のちょうど真ん中、一際広い展示室に展開されるのが、電流が様々な装置を介して縦横無尽に這う「エネルギー」でした。これぞまさに電気の旅に他なりません。電流を地球の魂の源であるとすれば、あちこちで光るのは雷やオーロラ、また熱せられるのは溶岩流とも言えるのではないでしょうか。



順路の最後には一艘の巨大な黄色い船が待ち構えています。それがこの「木馬から天馬へ」です。河口の船のオブジェというと、吊るされたそれも迫力がありますが、今回は出港を待つ船さながらに、フロアに鎮座して展示されていました。展示を一巡した旅は、また新たな展開を伴って次の場所へと移ります。

私が河口龍夫に一番はじめに出会ったのは、千葉市美術館の常設で見たモノクロームの写真作品でした。その後、縁あって兵庫県美での個展を拝見し、いとも簡単に安藤建築を取り込んだ展示の美しさに驚嘆した記憶は今もしっかりと残っています。実のところ今回、空間に制約のある東近美での開催にやや懸念を抱いていたのは事実でしたが、会場を歩いているとそれはほぼ杞憂であったことが良く分かりました。今までで一番多いとも言われるパーティションで会場を区切り、狭さを逆手に取った、密度の濃い内容になっていたのではないでしょうか。最後の船の主は、既に美術館という洞窟から抜け出して大きく外へ出て世界を開く河口の意思そのものであるに違いありません。今にも前の壁面を突き破って進んでいくかのようでした。

なお来週末の土曜、12月5日には会期最後の講演会も開催されます。

河口龍夫×谷新(宇都宮美術館館長)
日程:2009年12月5日(土)
時間:14:00-15:30
場所:講堂(地下1階)
*聴講無料・申込不要(先着150名)

会場で配布される出品リスト兼案内ガイドは、平易な語り口で河口作品のエッセンスを解き明かします。美しい図版の掲載された別冊付きの図録同様、とても秀逸でした。



なお広報としてtwitterが用いられる機会も増えていますが、国内の現時点で最も情報豊富なのはこの河口展ではないでしょうか。

河口龍夫展 on twitter

私も会期末、もう一度ドローイングに挑戦するつもりです。12月13日まで開催されています。
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