Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

ツーリングマップ

2011-10-13 | 想い・雑感
バイク乗り用の地図
ツーリングマップというのがある

私は通ったことのある道は
その地図上にラインマーカーを塗る

縮尺がそれほど小さくはないので
細かい道までは載っていないが
マーカーを塗っていない道を見つけては
走りに行く

同じ太さで描かれた道も
実際に走るとイメージと大きくかけ離れることもある

狭い山道かと思いきや
山中を貫くきれいな快走路だったり

気持ちよさそうだなと思って走りに行くと
とんでもなく狭い道で路上に小石がたくさんあったり

やはり実際に行かないと 
体験しないと
わからないものです


枯れる

2011-10-07 | 想い・雑感
日々入れ替わりながら
水分は私たちの体の約6割を占める

生きている間
血管の中 組織の間 細胞の中
に程よく振り分けられている

しかし死がいよいよ近づけば
水の配分の恒常性を維持できなくなり
細胞内や血管内の水分が組織間や体腔に漏れ出る
それが胸水 腹水 顔や手足それに組織のむくみとなる

末期における過量の輸液はそれらを助長するから
最後は輸液を控えめにしなければならない
過ぎればかえって本人を苦しめることとなる

最後の数週間
一切の点滴を拒否したKさん
僅かな水分を口にするのと疼痛コントロールのために入る200ml程度の水分が
摂取するすべて

痩せていたからだから水分が減少し
さらに小さくなった
しかし癌性腹膜炎やがん性胸膜炎があるにも関わらず
腹水も胸水もそれほどたまらず
肺の浮腫からくる呼吸困難もさほど出ず
枯れるように亡くなられた
穏やかな最期だった

一旦高カロリー輸液などを開始すると
それを削っていくのは
家族にとっても抵抗感があるものだが
死への道程を遅らせたい あるいは逆行させたいという思いは
かえって本人を苦しめる結果になることがあるのを
改めて感じさせられた

末期においては
治療と思っていることが
いらぬ世話になりがちなことを
医療者自身が自覚し
家族にもそれを伝えていく必要がある

人工

2011-10-04 | 想い・雑感
北極圏でもオゾンホールが観測されたらしい
規制が行われていても
しばらくは大気圏にフロンガスがとどまるため
その影響は数十年は続くらしい

人間が作り出したもので
有害な紫外線に対する遮蔽物を破壊するという
まさに自分で自分の首を絞める状況になっている

ところで
人間はこのフロンガスのように
人が作り出したものを人工物と呼ぶのだが
これは人も自然の一部だという視点が落ちているような気がする
人という自然物が作り出したものは
地球や宇宙からしてみれば
自然の中の僅かな変化にしか過ぎず
全部ひっくるめて自然なのかもしれない

ならば
人が作り出したもので
ヒトが絶滅したとしても
宇宙という自然のなかの
取るに足らない出来事に過ぎないのかもしれない

桜の落葉

2011-10-03 | 想い・雑感
桜の花びらが落ち行くさまは話題に上る

一方その落葉はあまり話題にならないが
近所に桜の木が多いこともあり
落ち始めると
私は秋を想う

我が家の周りでは
先週辺りから葉が落ち始め
今週になりその勢いが増した
桜の落ち葉はそこそこのボリュームになるので
ちょくちょく掃く必要がある

落ち行く葉っぱ
すでに地に着いた葉っぱ
まだ梢にゆれる葉

まさに
我や先 彼や先

だが

皆落ちるさだめ

ピストバイク

2011-10-02 | 想い・雑感
自転車の性能が向上し
随分スピードを出す人が出てきた
遠くに見えていても
あっという間に近づいてくる

こういう自転車には
当然スピードに応じた制動力
そう
きちっと効くブレーキが絶対に必要

ところが
最近は
競輪に使われるようなピストバイクに乗ったうえに
ブレーキを一つしかつけていない人が増えてきたという
全く考えられない

危険なことは自明の理
それをあえて行うという愚かさは
飲酒運転と異ならない

徹底的に摘発してもらいたい

自宅で逝くのは難しい

2011-10-01 | 想い・雑感
今や核家族という言葉自体が陳腐になるほど
家族構成が少人数になって久しい

顔を突き合わせる人間の数が少なければ
気が楽な面もあるのかもしれないが
何かあればすぐに手が足りなくなる

介護なんて言うのも
大家族なら
手の空いている人間が交代でできるから
介護保険なんてものは必要なかっただろう

長期の介護とまではいかなくても
病人ひとり出れば
少人数家族には
看病してあげる余力なんてない

最後は家で
ということで
近くの病院に点滴などをお願いした人も
結局入院させてくれとのことで
病院に戻ってきた

夜間に痛みが出たときの対応が不十分で
本人が呻けば
翌日仕事のある子供たちも眠れない
奥さんは看取ってあげるつもりでも
こどもから何とかしてくれと言われれば無理である

かくして
本人は
病室にひとり身を置くこととなる
きっちり痛みを取るようにするから
その意味では楽かもしれないが
さみしさはあるでしょうね

在宅医療が日本全国津々浦々まで充実すれば
自宅で逝くこともできるようになるのだろうが
今はそんな環境を手に入れることができる人はごく一部
当分死に場所の第一位が病院であることは続きそうですね
戦争が起きない限りは