Dr. 鼻メガネの 「健康で行こう!」

ダンディー爺さんを目指して 日々を生き抜く
ダンジーブログ

利益

2007-07-19 | 医療・病気・いのち
ある人の利益が
他の人の不利益になる
というようなことはよくあることである

ある人の利益になるだろうと思ってやったことが
実は不利益だったり迷惑だったりということもある
いわゆる 有り難迷惑

医療を提供する立場からすると
体のバランスを調える
病気を治す
苦痛を除く
長生きしてもらう
などという観点から利益となるのは何かを考える

しかし何が利益かは人によって違うものであり
それを決めるのは患者自身である

たとえば点滴をすることひとつとっても
それによって一定の時間しばられることが耐えられないことならば
その人にとっていくら体に良いと思われても不利益なのだと思う

ただそのご本人が
それは自分にとっては不利益だ
とはっきり意思表示しなければわからないこと
というのはある

医療者はそこを聞く努力
患者も伝える努力
をすることにより
よりよき医療を遂行することが出來る

変化

2007-07-18 | 医療・病気・いのち
世のすべての物事が変化していくのと同様
医学常識も刻々と変化していきます
それ故治療方法も変化し
病院や医師によって異なる治療方法を選択することもあり得ます

大きな変化の例を一つ挙げます

人の血液はpHが7.35から7.45に調節されています
ほんの少しアルカリ側に傾いているわけです
体の化学変化はそれくらいのpHで最もよく働くようになっているようです

ところがショックや心肺停止状態で病院に運ばれてきた人は
酸性側に傾いています
以前ならばこういう場合
血液を本来のpHに近づけるために
メイロン(炭酸水素ナトリウム)を注射するのが標準治療でした
ところが現在ではそのようなときにメイロンを使用すると
血液中のpHが正常化しても 脳内がかえって酸性に傾き
脳の障害を増悪することが分かってきたため
基本的には使わないことが推奨されています

今当たり前に行われている医療も
10年もすれば大きく変わっている可能性もあるのです

現在いろいろな疾患の治療ガイドラインが出ています
そのほとんどのガイドラインに但し書きとして書かれていると思いますが
ガイドラインの内容が必ずしも行うべきないようというのではなく
平均的治療なのです
その内容は当然変化していくものであり
患者さんごとにその内容を適応できるかどうかも難しい問題なのです

バロメーター

2007-07-16 | 想い・雑感
台風4号が通りすぎていきました
でも晴天ではなく相変わらずの曇天
台風一過の晴天とはいきませんでした

台風の中心気圧の変化を見てみると
南方海上から北に上がるに連れて下がってきて
沖縄あたりで最も低くなりその後徐々に気圧は上がり
勢力が衰えていくという波があることがわかります

気圧計をバロメーターと言いますが
気圧が台風の勢力をあらわす一つのバロメーターになっているわけですね

人の機嫌が悪いときには
ちょっと低気圧みたいなどといいますが
人の機嫌にも波があります
そんな波を関知するバロメーターをもっていると
低気圧の人に何かを仕掛けるなんていうことを
しなくてすむかも知れませんね

仮想現実

2007-07-15 | 想い・雑感
昼間うつらうつらしていると
突然 
ツバメの鳴き声が
右耳に突き刺さりひだり脇腹から抜けていったように感じた
外を飛び交う小鳥の声にすぎないのだが
耳のすぐ近くでさえずったように感じ
びっくりして身を起こした

実際は離れたところでツバメは飛び 鳴いていたのに
私にはすぐそばで鳴いたように感じた

その瞬間の私にとってはあくまで後者が現実
私の脳はそのように関知したのだから

人はそれぞれが身の回りなどの外界の事象を
その人なりに感じており
その感覚がその人にとっては現実なのである

みんな同じ現実をみているように思いやすいが
みんな違うものをみていると思った方がよい

コンピューターが身近になって以来
バーチャルリアリティーという言葉をよく聞くようになったが
それはコンピュータの中だけの話ではなく
いま私たちが現実と思っていることすべてが
それぞれの頭の中で組み立てられた
仮想現実と言えるのかもしれない

夢 幻の 如くなり

判断

2007-07-14 | 想い・雑感
小学校1年から2年の途中まで
通学には路面電車とバスを乗り継ぐ必要があった
今では路面電車はすっかり姿を消したしまった

途中に線路がまっすぐ伸びる場所があり
そこで電車のスピードが最も出た
車体を左右に振りながら疾走する
今から考えるとせいぜい時速40Kmくらいしか出ていなかったのかも知れないが
路面電車の場合
運転手さんのすぐそばに立つことができるので
少年にとってはわくわく物であった

電車を降りるとバスに乗り換える分けだが
そのバス停から出るバスは
大きく3方向に分かれていた
小学1年生にとっては
これがなかなかの難関で
乗るたびに間違っているのではないかと
どきどきした

あるとき2年生の男子と私(1年生)が乗り込んだ
先輩(そう1年生の私にとって2年生は頼れる先輩だ)が乗ったから
当然間違いないと思っていた    が
途中 曲がるべきところでバスは曲がらずまっすぐ進んだ
思わず先輩の方を見ると
かれもびっくりして私の方を見ていた

慌てて次のバス停で降り
二人で走ってバス停一つ分戻った

たぶんこれが
自分でちゃんと考えなくちゃ
と思った最初だと記憶している

下が育ってくれないと…

2007-07-14 | 医療・病気・いのち
実際に医者になるときに
どの科に進むか考えるものである

最近はどうか知らないが
以前は内科と外科をメジャー
その他の科をマイナーと称していた

実際に内科や外科に進む人数が多かった
今や人数だけからすると
眼科や皮膚科がメジャーといわれてもおかしくない状況のところもある
今でも内科に進む人間は多いが
外科にやってくる者が少なくなったと肌で感じる

手術という体を傷つける治療を行えば
そこに100%の安全を求めるのは無理である
しかし今の状況というのは
ちょっと何かあれば警察に捕まってしまうのだ
そして手術のリスクというものを
よく知らない裁判官によって裁かれる

外科志望が少なくなっても当然であろう

合併症が起これば
それが明らかなミスによってひきおこされたものかどうかを
まず判断するシステムが警察との間に介在する必要があるのではないか
と感じる

このままでは
きっと外科医は足りなくなる

2007-07-13 | 想い・雑感
通っていた小学校に山羊がいた
図画の時間にその山羊の画を描くことになり
観察していると
目の前でいきなり
正露丸のような(すみません)糞をぼたぼたぼたとおとした
強烈な印象で いまでも映像が脳裡に残っている

ところで山羊と言えば紙を食べるものと思っていた私たちが
紙を食べさせてみようかと話していると
先生がそれを制止した
紙も化学処理をしているものが多いから
山羊が病気になると教えられた

使用済み段ボールを苛性ソーダで処理し
それを肉まんの具に混ぜていたという
具に混ぜたと言うより
切り刻んだ処理済み段ボール紙に他の具を混ぜたと言う方が正しいようだ

段ボール紙自体化学処理しているであろうに
さらに苛性ソーダも混じっているとなると
毒以外のなにものでもない

よく考えつくなという驚きもあるが
いやはや とあきれるしかない

このニュースを聞いて
山羊と紙のことを思い出した次第でした

久々の検診

2007-07-12 | 想い・雑感
最近健康診断がありました
年に1~2回行われているのですが
受付時間がだいたい昼間で 手術をやっている時と重なるので
あまり受けておりませんでしたが
今回は手術を終えてすぐ
血圧測定 体重測定 胸部レントゲン写真 血液検査 尿検査
を受けました

γ-GTPは以前から高値でしたが
今回初の高コレステロール血症
コレステロール値はストレスでも上がるそうなので
まあ今回は手術直後であったのが理由と言うことにして
見逃してあげましょう


人の考えつくこと

2007-07-12 | 想い・雑感
人が何かを発想するとき
あらゆることを考慮に入れて…
などと言っても
あらゆることを考えるなんてこと
人にはできない

沖縄などでは
ハブとマングースの闘いを
観光として見せていると聞くが
このマングースは
ハブ退治のためにインドあたりから導入した
外来動物らしい

コブラキラーのマングースが
ハブをやっつけてくれると期待して連れてきたわけだ
実際ハブを殺すだけの力を持っているらしいが
自然の中でマングースがわざわざハブを殺すことは滅多になく
他の小動物をえさにするために
かえって琉球諸島の生態系を壊してしまうと言う結果になった

おそらく最初にマングースに目をつけた人は
えらくいいところに気づいたものだと思ったはず
でも実際はね

色眼鏡

2007-07-10 | 想い・雑感
転職をするときには
十分実力をつけ 資格を持つことによって
より有利な条件で移ることができる可能性が増すそうです
それを「商品価値」と呼んで
なんの疑問も感じないような文章を見たことがあります

人間の働き 役に立ち具合を商品価値と呼ぶと言うことは
人を商品と考えていると言うことでしょう
競争の激しい今の社会で
そのような発想になってしまうことも仕方のないことかも知れませんが

労働力を商品価値として売買されていた
かつての奴隷となにか似ているような気がしますし
自分から進んで商品となろうとする現代の方が
感覚が更にずれてきているような気もします

医師もより良い条件を望んで
病院を変わることがあります
その橋渡しをする業者もいます
そんな業者の広告にも
医師としての商品価値を高める というような表現がありました

きれい事かも知れませんが
病んだ人と接する人間が
人を商品と見る価値基準に馴染んでは
まずいような気がしました

だけど
いろいろな価値基準(色眼鏡)を手に入れながら
人は成長するわけですから
なかなか自分の判断が色眼鏡に過ぎないことを認識するのは
難しいですね

実際わたしも
様々な色眼鏡を
取っ替え引っ替え
世の中を 人を 見ているように思います

ですから
商品価値として人を見ることを
批判する資格は持ち合わせませんが
なるべくそうは考えたくないと思ったりします

孤独

2007-07-10 | 想い・雑感
人と人との関係には
間合いというものがあることは
誰もが感じることでしょう
つきすぎず 離れすぎず
相手によってちょうどよい距離というのは変わってきますが
仲が良くても べったりというのは無理がありますね

人間所詮死んでいくときは一人であることを考えれば
孤独な生き物です
その根元的孤独を何とかしようと思っても
ぬぐい去ることなんて不可能です
どんなに他人とべったり関係になったとしても
一つではないのです

末期の方がおられると
少しでも交流を持とうと努力するわけですが
自身がいなくなると言う
根っこの所の寂しさ 怖さ 頼りなさ などをぬぐい去ることはできないでしょう
私たちすべてが 行く道なんですよね

それとも孤独でない死というのもあるのでしょうか

老衰

2007-07-09 | 想い・雑感
最近ほとんど食事を食べない
と言っておじいちゃんやおばあちゃんを家族が病院に連れてくれば
必要に応じて点滴をしたりしながら
食べられない原因を探ることになります

認知症 老人性うつ病 糖尿病の悪化 癌などなど
いろいろな原因が見つかります
治療した方がよい場合が多いとは思うのですが
時には本当に治療した方が本人にとって幸せなのかどうか
分からないこともあります

このまま治療しなければ
おそらく次第に枯れるように体力が落ち
あまり苦しまずに生を終えることが出来るのだろうな
と感じることがあるからです
外から見ればいわゆる老衰という死に方ですね

どんな治療を行っても
いずれは死ぬ身
これはすべての人に言えることです

それを踏まえた上で
治療を受けないのか受けるのか
どのような治療なら受けるのか
説明を聞いてよく考える必要があります

当然病院では
治療することを考えますから
身をまかせればどんどん治療が始まってしまいます
治療の中には体に応えるものもあるのですから
受けたくない治療に対しては
はっきり意思表示をする必要があります
今の時代
嫌というものを無理矢理する医療者なんて
いないと思います

やすみ

2007-07-09 | 想い・雑感
年休を取るときは
何か用事が出来て仕方なくとることがほとんどである
取得できる年休などあまり消費できないのが現実である

今回初めて
何の用事もなく
ただ年休を取った

少し本屋へは行ったが
家でぐずぐずしていた

すると
体の芯から
なんとも遣りきれない
重だるさがしみ出てきて
全身を包むような感触に襲われた
そうやって何時間かしているうちに
少しずつ体が軽くなってきた

たった一日の休みだったが
そして特に疲れを意識しての休みではなかったが
何もしない休息を
心と体が求めていたようだった

嘘でない嘘?

2007-07-09 | 想い・雑感
高校時代に新聞に載ったことがある
といっても何かを成し遂げたわけでも
悪さをしたわけでもないし
人が見て私だとはまず分からないであろう
写真が出ただけである

私の通っていた高校は
バス停から校舎のそばまで
校門を挟んで坂になっていた

世の中に
かぜ(インフルエンザ?)がはやっていた頃
私が感染予防に大きな白いマスクをして
いつも通りに校門を通りすぎたところを
坂の上から写真に撮られたのである
かぜの流行を伝えるために使われた写真だった

同じ写真に7~8人写っていたと記憶しているが
上の位置から撮った写真だから
皆一様にうつむいて歩いているように写っていた
そしていかにもみんな感染してくたびれているように写っていた

ちなみにその時私はいたって元気であった

メディアに出てくる写真の
嘘ではない嘘を認識した最初であった

報道というものは
基本的に疑ってかからなくてはならないな
と思った最初であった

ただそんなこと意識せずに生きていることがほとんどなので
メディアの影響を受けまくって生きているのが現実である

そしてメディアのそんな特性をうまく利用しようとする輩が
世の中にはたくさん蠢いているようだから

ご用心ご用心

治療代はどこへ?

2007-07-09 | 医療・病気・いのち
抗癌剤治療というのはお金がかかる
月に20万円とか30万円とかかかるのはざらである

なんでこんなに高いのか
薬代が高いのである

外来や入院で抗癌剤治療をすると
病院の窓口で支払いをするから
その治療代を病院に払ったと思いがちだが
とんでもない
抗癌剤治療というのは
下手するとやるだけ病院は赤字を出す可能性だってあるのだ

薬の仕入れ値と薬価との間にほとんど差がなくなった現代において
薬代はすべて
製薬会社 薬の卸会社 それに小売店
にそのまま行っている
病院としたら薬屋さんのために
集金をしてあげているようなものだ

医療器械だって似たようなもの

世の中で医療費の抑制を訴えるとき
そんな現実全部ひっくるめて
保険点数ばかりを削るから
病院は青息吐息である

現場は疲弊している