有馬の目玉橋

2019-07-20 00:50:01 | 日々思うこと


秀吉は寧々を誘って、よく有馬に来たらしい。やはり正妻の寧々が愛おしいかったのか、こわかったのか、

有馬では赤い橋を作り「寧々橋」と呼び、像も建ててあった。
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2 コメント

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やっほさん (茉那)
2019-07-20 16:23:04
有馬は温泉だけが売り物で、特にこれと言ったものは無いようです。

太閤橋もあるのですがごく普通の橋で観光客は「ねね橋」に来ていました。
下の河原も今整備中で遊歩道などを作っていました。

「ねね」は子宝には恵まれませんでしたが、賢い人だったように思います。
秀吉没後も家康にも一目置かれていたみたいですから、

秀吉にしても清盛にしても晩年は憐れですね。(TVの見過ぎ?)
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おはようございます。 (やっほ)
2019-07-20 08:32:22
有馬は「ねね」が主人公なんですね。
秀吉は信長の妹(お市の方)が好きだったらしいが、信長没後その娘 茶々を側室にしてしまったとか。
お世継ぎ立て名分とはいえ、お盛んでしたね(笑)
正妻がこわかったかどうか、なにせ狸おやじだから。(笑)

ねねさんは子宝に恵まれなかったのでしょうか?
お世継ぎ問題は、古今東西変わらぬ深刻な問題です。
現代では側室を言及すれば、お嫁さんから「人格が否定された」となること必至です。
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