卒業式や入学式が縮小または取りやめになる
ニュースが報じられている。
そういえば我が家ではどちらも行かなかったなあ
と思いだしている。
わたくしが子供(一人っ子)の入学式に出席したのは
幼稚園の入園式だけ(3年保育)で小学校の入学式は
祖母(夫の母)に行ってもらった
幼稚園の卒園式は猩紅熱をうつされてきていて欠席。
その後、小、中、高、大と誰も行かなかった。
来てほしいとも、寂しいとも言わなかったから気にも
とめていなかったけれど、本心はどうだったのだろうと
今になって思う。
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最近吉永小百合が椿をもって五島列島の宣伝をして
いる。
そうか、五島も椿なのかと改めて思った。
五島列島へは夏に行ったので長崎からの船旅がとても
長かった記憶しかない。
椿と言えば伊豆大島の小涌園に宿泊し椿料理を食べ、
ホテルのプールで子供を遊ばせたりした懐かしい
思い出があり、四国の足摺岬も椿のトンネルがあった。
まだ小学生だった息子が中村からの長いバスに飽きて
「遠いねぇ」と早く高知市に帰りたがった。
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週に1度か2度は行く郊外の喫茶店が3月いっぱいで
お店を閉めると昨日の朝モーニングに行ったら
張り紙がしてあった。
別にコロナウイルスの所為ではない(笑)。
マスターの健康問題のようだ。
内容がよくて気にいっていたので残念である。
おまけに自分のクラスもわからず、空いている席に座ったのです。
母親は朝起こしてもくれず、学校へも来ず知らんぷりでした。
小学校ではPTA会長だったのですが、あの時はいったい何だったのだろう?未だに謎です。。。
お陰様であの時目立ってしまったのか、女生徒の人気NO1だったそうです。
なんてお惚気話をしてしまった・・・
高校の入・卒業式へは来てくれたので益々よく分らない母親でした。
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茉那さんお住まい地域の喫茶店は、お客さんが浮気っぽいのでしょ。
お店の経営者はそりゃ大変だと思います。
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吉永小百合かぁ、こちら関東でも同じコマやっています。
さすがに50歳からの旅ではないです・・・
モテモテで楽しい中学生生活だったでしょう?
お母様のおかげですね。
いまはどこまでも親がついて行くという話を聞いたことがあります。ちょっと過保護になっているような気がします。
椿の名所として西の五島、東の大島っていうのだそうですね。
長崎から福江に着いたのですが職場の仲間との旅で幹事の計画に乗って動きましたので記憶があまりありません。
どうして急に五島なのでしょうね。
小百合さんの登場で五島まで出かける人が増えるのを期待しているのでしょうけれども。
私感ですが、卒業式より大事なことがある、あとで「こんな卒業だったね」と
懐かしむ時が来て、それはそれで良いではないかと思うのですが・・。
我が家もワヤワヤの卒業式でした。
小学校の時は覚えていませんが、たぶん親はついて来てくれたと思います。
あとは中学も高校もどこの親も来ませんでした。
大学は遠く北海道からでしたので、学生寮の寮監に挨拶などで母は来ました。
私の子供たちには幼稚園、小学校、中学など、私は行きました。
息子は私立の中高一貫校でしたので、高校は入学式はなく
卒業式に初めて3年の担任にお会いして「初めまして、お世話になりました」と
二つの挨拶をして笑い合いました。
私は病気がちでしたので、中間ではお会いする時間がありませんでしたから。
娘は英国の高校で、外国からの入学でしたから出かけて行き、ご挨拶をしましたが、
私の英語を聞いて「英語はイギリス式で学んでもらいます」と言われギャフンでした(笑)。
私も吉永さんのCMを見ますが、どうもあの方の声が耳障りで気分が悪くなります。
だからといって五島の印象が悪い訳ではないですけど。
国を挙げて対策を練ってもらいたいものです。
我が家の息子は幼稚園は私立でしたがあとは小・中・高は公立、大学は国立でしたので、地元の子供たちとよく遊びました。
ピアノ以外の塾や習い事もしていませんでしたので入れ替わりに近所の子が留守の我が家に遊びに来ていたようです。
まぁ、言えばほったらかしで育ちました。
そのため1人遊びが得意でした。
子供はそれなりに育っていくものです。
あのCMを見るまでは五島が椿の名所とは知らなかったのです。
せっかく出かけて行ったのに・・・。
彼女の声は癖がありますね。
万年筆のCMは何を言っているのか聞きづらいです。