2月の「この日の思い出」

2022-02-17 14:27:01 | 日々思うこと

2月に入っても「この日の思い出」がいくつか届いて

いたけれどバタバタしていて開いていなかった。

コロナ禍で家籠り生活しているうえに寒いせいもあって

敷地外に出ることすらない。

「この日の思い出」を開いてみると結構出かけているのに

寒さの中を出かけたという記憶がないので今年の春は

特別寒さが厳しいのだろうか?

 

河津へ2度(最初の時は伊東で2泊)(2度目は義妹と

袋田の滝を観ての帰り熱海で下車宿泊)

天草、平戸、伊万里、長崎。

中国石林,羅平

伊豆半島横断 など。

河津の2度目と伊豆半島横断以外はすべて1人旅。

2013年2月13日14日に毎月食事会をしている仲間7人で

観光バス会社の 豪華21人乗りを借りて(運転手付き)

富士山巡りをした。

新東名から白糸の滝に立ち寄り忍野八海へ。

宿泊は鐘山苑。   

白糸の滝で工事していた人たちも今日のような見事な

富士山は見たことがないというほど素晴らしい富士山を

一日中眺めながらのドライブだった。

鐘山苑はお庭も素敵な旅館で少なくともゆっくり2泊はしたかったが

仲間と一緒の旅でバス代、ドライバーの費用もあり1泊。

お風呂の湯船のふちに丸太風のものが設えてあり湯船に

浸かってそこに頭を置くと大きな窓ガラス越しに富士山が

見える。

帰りは山梨・川口湖畔から清里へ。

諏訪湖SAから恵那峡SAに南下して帰宅した。

2日目もよく晴れて富士山に見送られての旅だった。

 

2015年2月6日堺市。

弟と大阪に出かける用があって大阪で1泊。

翌6日、堺に足を延ばした。

以前、エジプトへ行ったとき関空出発だったので大阪で前泊した。

その時行ったことがなかった堺まで「行かない?」と夫を

誘ったけれど「明日から長旅になるのでゆっくりしよう」と

断られてその後も行きそびれていたのだ。

市役所の展望ロビーに上がって360度の景色を眺めた。

案内の人が「あれが野茂のいた新日鉄堺です」と説明された。

野茂選手は堺の自慢の人だなあと改めて思った。

そこを降りて駅前でタクシーと3時間の観光を交渉し、いろいろ

名所を案内してもらった。

親切で地元の名所を解説付きで案内。

中でも一番心に残っているのが妙国寺である。

本能寺の変

家康は当時ここに宿泊。妙国寺の僧の助けを得て難を逃れた。

堺事件

慶応4年2月15日、フランス軍艦より水兵100人が上陸。

市内を闊歩し傍若無人の振る舞いに堺警備隊の土佐藩士が

対応したが言葉が通じないため両者銃撃応酬の末、

フランス兵11名の死者を出し、国際問題となった。

フランスに賠償金を払うとともに土佐藩士20名に切腹が命じられた。

2月23日妙国寺で日仏立会人の面前で堂々割腹自刃。

11名が切腹を遂げ12人目にかかろうとしたとき、

仏の立ち合い検視人もその様を見るに忍び難く切腹は急遽

中止され残りの9名は土佐へ流刑となったという。

小堀遠州作の蘇鉄で構成された回遊式枯山水の庭園も

見事であったが、この土佐藩士の話は初耳でとても

感慨深かった。

誰でもご存じの事件なのだろうけれど「生麦事件」と違って

教科書で読んだ記憶がなく「知らないことばかりだ」と

改めて自分の無知と旅の面白さを思った。

 

 

コメント (2)
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