人生にイエスと言えるかなあ

2011-04-27 19:36:18 | 日々思うこと
弟夫婦とランチをしにいき、少し遠出をして素敵な喫茶店に出かけた。

このランチを食べたお店は明日で店じまいをする。

手作りのおいしい山椒ちりめんを売ってもいてよく買いにいったのだけれど、家賃を払ってお店を続けるのが大変なのだそうだ。

商売はなかなか厳しい。


昨日の続きで、何も人のためになる生き方をしていないとふさぐけれど、「それでも人生にイエスと言う」との言葉を

どのように受け止めたらよいのだろうか。

1歳年上の友人から日曜日にアジサイの鉢が届いた。

どうしてといぶかるわたしに彼女は「あなたからいつも癒しをもらっているお礼の気持ちもこめて」と言う。

彼女は脳梗塞をわずらってから足が少し不自由になり、心臓の病気も抱えていてヘルパーさんの助けも借りながらひとり暮らしを

している。

どうしても愚痴っぽくなり、テレビを友とする暮らしで、彼女の話をきいてあげたり絵はがきを送ったりする程度なのだが

友人の少ない彼女には時には慰めになっているのかもしれない。

人は一人は寂しい。誰かと繫がっていたい。ちょっとはその役割を果たしていたのか。

人生にイエスと言い切れない思いもあるけれど、贅沢なのだろうか。
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