◆渡し跡から釜伏山参道へ向かう はっきり言ってどこを通ってよいやら不安であります
通りに出て折原橋の方に数十メートル程戻る。
「庚申塔や青面金剛像などの石群」と「折原村道路原標」をパチリ!
この石群脇の小路に入って線路を潜り、大通り(織姫まんじゅうのとこから運動公園へ向かう道でした)を左折する。
この間に他の脇道探したが見つからなかった。
曲がってすぐの登り坂の途中にある「馬頭尊などの石群」をパチリ(12:24/28.2km)。
この後は運動公園の周りを行ったり来たり、「大昔栄えた住居跡」だという上平下小路公民館の前など通りつつ迷走。
いつもの294号の釜伏山参道に着(12:47/31.8km)。
まずいな・・・ガーデンフェスタに間に合わなくなっちゃうであります。一旦ここで秩父往還巡りを中断します。
あの方達に会いに行くのです。これもいわゆるオフ会ってやつですかね。
膨らむ妄想抱えて走る レディかはたまたオジさんか 銅乗
◆西ノ入から車山沿いに釜伏山参道に戻る この項目は秩父往還熊谷通りとは関係なしね
西ノ入への行きは道に迷うのも嫌なので294号を降って岩根洞の横を通って八高線沿いのルートを取った。
ガーデンフェスタの記事は既にアップ済みなので、ここでは省略します。
戻りのルートは、あの御方より先に出発したものの抜かれるのは時間の問題・・・
敵を知り己を知れば百戦危うからずというより、三十六計逃げるに如かずであります。
抜かれる前に道を逸れて面子を保ったのであります。
暫く走ると右手に「まごころ白髭神社 三品 鉢形城跡 四十八釜と書かれた標のようなもの」が(14:02/38.9km)。
一瞬プラカードを持った鼠男が立っているように見えたが錯覚でありました。
この草むらを入って行けば深沢川の深淵に辿りつけるのかしらね?でも今日はパスであります。
更に進んで右手に「山の神」の石碑(14:06/39.1km)。
先程お二人にも言われたが、お供え物を忘れないようにしなくちゃね。
石碑の横には「地蔵尊などの石郡」があった。それにしても地蔵様、着込み過ぎではないですか?
◆釜伏山参道を登って釜伏峠へ 登りはひたすら我慢の時なのよね
再び参道入り口(14:16/41.5km)。さて、これからどこまで行けるかな。
走り始めてすぐ「地蔵尊」と「石塔(享保十六年)」があるが、ここはお寺の境内らしい。久々享保の文字を見た。
享保十六年は年末から天候不順で翌年は西筋で大飢饉が起きたのでありますね。
サンショウウオ研究所前の「(たぶん)馬頭尊(天明三年?)」をパチリ!(14:26/42.7km)。
登り途中の水、500ml程飲んでみた(現在のところ体調に変化なし)。ヘビイチゴかな、ちょっとシブかった。
中間平を経て(14:46/45.1km)、関所跡に着(14:57/45.4km?サイコンの接触悪いみたい)。
ヘロヘロと「釜山神社」前に着(15:04/46.1km)。「一里塚 御旅所跡」の案内に従って、ちょっと歩いて林に入る。
10メートルも行かずに「大山積?大神」と「雷電大神」の石塔があった。
今回初めて気付いたが観光案内板の脇に「従是四南埼・・・大正八・・」と刻まれた石標があった。
これなんなのかしら?
つづく
後ろから迫るプレッシャーを感じて必死に踏みましたからね^^。
だから車山の麓で既に休憩パチリでした。
馬頭尊から中間平途中の水は、あそこで湧いているというより地表を流れてきているような・・・
生で飲むと場合によっては中間平の個室に籠りっきりになるかも。
ところで土日で赤城行かれる予定あったら御一緒しませんか?
まったく追いつけるような速度では無かったですよ!
サンショウウオの所の馬頭尊、パチリするには最適な場所ですね。
その後のあの水は飲めるのですね! 何時も飲んで見たいと思っておりましたが、これで安心して飲めそうです^^
ヘロヘロと釜伏神社、私も同じです^^ あそこは峠直下が厳しいですからね。
道標から渡し跡までの間に庚申塔や、井戸か室の跡のような石組もありました。
オフ会でモチベーションがオフかいですって? いえいえ倍増でありました。
御蔭様で釜伏はフンドシを締め直してなんとか登れましたわ。
9.11は計測だけはなんとか間に合うような走りをすべく忍耐を養わねばですね。
でもさすがに砂利道を通って渡し場跡までは行きませんでしたが。
その後ガーデンフェスタまでは妄想もふくらんでモチベーションも高かったようですね。
オフ会(^^)で現実を直視したことで急降下したモチベーションを再び高めて、釜伏峠を登ろうなどとは見上げたもんだよ屋根屋の○○○○です。
やはり、9.11に向けてのマル秘計画の一環でしょうか。