デンマーク・ハーフキッズ

デンマークについての情報やニュースを紹介、またデンマーク人と日本人のハーフの子供たちの子育て日記。

少し大人になったショウミー、日本の謝罪文化を身につける

2007-12-17 11:04:00 | ハーフの子どもの教育
 先日ショウミーが同じ年の子ども2人と遊んでいたときのこと。どういうきっかけかはわかりませんでしたが、一人の子が急に怒り出し、「そんなんだったら、もう止める!もうショウミーとはやらない!」と叫びました。普段だったら言い返すショウミー、そしていつものように喧嘩が始まるかなと私は思って見ていました。すると予想に反して、ほんの数秒の間を置いて、ショウミーは優しい声で「ごめんね・・・」と言ったのでした。言われた相手としては拍子抜けしたらしく、それ以上怒ることもできず、すぐにまた楽しく遊びを継続していました。

 弟ができて3年余り、ショウミーは繰り返される理不尽な弟の態度に怒りまくっていましたが、ふと気づくと最近は「いいよ」と譲ってあげていることが多くなっています。そういう中で人生はしばしば理不尽なものでしかたないんだ、ということを学んでいっているのだと思います。

 そして昨日、また他の子どもとカードで遊んでいたときに、いろいろとその子がずるをしても怒ることなく、いろはがるたで最近覚えた「負けるが勝ち」と言いつつ笑っている姿に、ショウミーも少々大人になり、そして日本人になっているなあと思ったのでした。

 日本人は謝罪文化を持っていると思います。何でも謝るという習慣はどこから来ているのでしょう?小さいときから私達日本人の親は常に「謝りなさい」と言って育てています。そしてある年齢くらいから、子供達は「謝ると終わる」「謝ると許してくれる」「謝るとリセットされる」あるいは「謝ると人間関係が円滑に進む」ということを理解していくのでしょう。最初のエピソードは、ショウミーが謝って相手の気持ちをなだめること、つまり人間関係を円滑に進めることをすでに知っているということなのでしょう。

 逆にデンマーク人はしばしば「決して謝らない」という国民性だと言われています。彼らにとっては謝るということは、「人間関係を円滑にし、物事を進めるため」ではなく、本当に厳しい意味での個人の罪を認め、罪を償う必要の出てくることなのだと思います。人々の罪を受けてイエスが磔になったというキリスト教的文化を背景に、罪に対する厳しい見解や対応を彼らは持っているのかもしれません。

 そのあたり、謝罪するということの意味がどうも日本とデンマークでは違うように思います。日本では悪く言えば「謝ればいい」という意識があり、謝罪=償いも兼ねているように思います。そして責任を強く問われることもなく、謝ればそれで済んでしまうという面が多々あります。一国の首相の取った行動も、そういう形で終了していますし、どうも年金問題もこの1週間ほどで、そういう傾向に方向転換されています。「責任を取る」、それが謝罪だという、厳しい追及や断罪は日本的ではないようです。

 ショウミーがこうしてすでに6歳にして日本の謝罪文化を身につけているのは面白いなと思います。それはそれでよいのですが(やっぱり悪いことをしたときに謝る人にはならないといけないと思うので)、謝ればよい、という日本文化の域を出る、違った思考ももってもらいたいなぁと思っています。

 


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6 コメント

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Unknown (els)
2007-12-18 18:15:29
こういうところ、まさに夫と衝突すること、なんだよねぇ。
わたしは、謝ることで、悪かったことを認めて欲しいと思うけど、夫は、それが意味あることだと思ってないみたいです。
謝ることで過去を省みるのではなく、その過ちを将来につなげることに意義があるというか、、、
それに、どっちが悪いと決めることにもあまり意味を感じてないみたいです。双方必ず原因に関与しているはずだから、双方が考えて歩み寄るべき、というか。
例えば、いじめなど片方だけが悪いように思われるようなケースであっても、決していじめ側だけを責めることはないような気がします。

でもわたしも謝る文化で育ってきたから、こっちが怒ると謝ってくれるまで気がすまないんだよね。わたしも歩み寄るべきなんて、つゆとも思ってないというか。
しかし、最近、夫に謝ってもらっても、夫は同じ誤りを繰り返すので、わたしは謝ることに意味がないことを感じてきて、義務感で体裁だけ謝ってもらうよりも、どうやって繰り返さないようにするか、もっと現実的に考えてくるようになってきました。
わたしもついくせで謝っちゃうけど、本当はそのあとのふるまいが大事なんだよね。わたしも、謝るポーズだけとらないように気をつけたいですね。
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後悔と繰り返さない意思があってこそ (Denjapaner)
2007-12-19 06:25:41
本当に、デンマーク語では日本語の「ごめんなさい」に当たる表現を探すのも難しいくらいだと思います。公的な場の「申しわけありませんが…」という日本流の謝罪は「悪いけど/残念だけど(不運なことに)」といった言葉で、「運」のせいかのように流されますし、個人の場合にも結局、Jeg er ked af…と言うことはあっても、英語のI'm sorryと同じで、「気の毒だけど/同情するけれど」程度で、自らの非を認めるニュアンスは感じられないですね。
日本語では、「ごめんなさい」を出すことで、良くも悪くも「ならば水に流そうじゃないか」という気持ちの流れを作るというのは本当だと思います。時に安易過ぎる言葉ですが、「自らの行いを悔いて謝る」という反省の下にあるからこそ、水に流そうと大らかな気持ちになれるのだという気がしますが、いずれにしても言うその人が、言葉の意味を実感した上で「ごめんなさい」を言えることで、贖いとして昇華されるのでしょうね。
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本音と建前 (ちゃっぴぃ)
2007-12-19 19:35:39
私は日本社会における”謝罪”には懐疑的です
その場を丸く治めるだけの「ごめんなさい」なのか 
本当に悔い改め未来も視野に入れた結果の「ごめんなさい」なのか
本来 現場でなされなければならない話し合いの機会を摘む言葉なのでは? って思うのです

友達や夫婦の間でその一言が潤滑油になる事には異論はありません
謝る様な状況総てが 討論しあわなければならないとも考えません
しかし その言葉は公でも頻繁に使われ 表面上丸く収まった(?)結果 
状況を向上させる努力を怠ってきた積み重ねが今の日本社会の歪をなのでは?

我家で大々的な夫婦喧嘩をした時に
主人が謝ってくれた(さすが日本歴26年)事で一旦丸く収まった事がありました
しかし 1年も経ってソノ謝罪が その場しのぎの方便だった事に気付いた時に私を襲った哀しさ…
主人の言葉全体を信用できないとまでは言いませんが
言葉を介した場合に 諸手を上げての信頼関係は損なわれたと思います
まぁ 行動を注意深く観察すれば言葉の真意も汲み取れるので
その場の言葉だけを信じてしまった事が私の敗因だったと今は思ってます

政治家や経営者が容易く口にする「過去」への謝罪
日本では”謝罪”する”型”を公然で披露すれば総て(未来までも?)が許される
そんな悪癖で日本人が納得してるのも そう長くはないのでは?
(今回の年金問題はさすがに改善される… のかしら?)
大儀の前の小事なんて感覚で”謝罪”する事でオザナリに誤魔化してた総てのツケが
国民からの信頼を得られない現在の日本の制度や政治なのではないでしょうか?
(信頼度の低さ・不安の表れが 他国より何時までもずば抜けて高い貯蓄高だと思います)
まぁ 謝罪さえ無いよりはマシなんですけどね
(う~ん 意識が低過ぎる)

ショウミー君の謝罪って 日本人的ってより 成長した事が大きいのでは?
我を張って争う事より 今の時間を楽しむ為に譲る余裕を持てた結果なのではないでしょうか
やはり大人の中に1人ってより 兄弟が居て切磋琢磨できるっていいですね
自分より小さく幼い存在を守ってあげる自発的な意識って 大人からは教えられませんもの
私が子どもを持てたとしてもせいぜい1人 主人をみるにつけ 独りっ子は手強って思ってます
やっぱ 子どもができたら… 次は犬を飼うかな?
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Unknown (halfkids)
2007-12-21 07:11:45
elsさん、

我が家の場合、夫は意外と謝るの。ただし、本当に自分が悪いと思ったときのみですが。でも同じ過ちを繰り返すこともあるので、それはわかってないからなのか、それとも人間だから間違えるのかはわからないんだけど・・・。

どちらにしても謝ればいいということではないのは確かで、原因、そしてどうしたらそういうことを回避できるのかというのをしっかり考えなくてはいけないと思います。なかなか自分では自分の悪いところに気づかないけれど、それに気づいてよく反省できれば、自然にごめんなさいという言葉が口から出てくるのだと思います。

Denjapanerさん、

夫にデンマーク語の謝罪に当たる言葉の意味を聞いてみましたが・・・今ひとつ掴めませんでした。オンスクルがやっぱりそれに当たると彼は言うのですが・・・。Jeg er ked af…のほうは、英語で言うならばit is a shame that…というニュアンスだと夫は言ってます。まあ、夫のデンマーク語はあんまり当てにならないときもありますので、間違っているかもしれませんが・・・(笑)。

きちんとした意味のある謝罪であれば、日常生活では十分ですよね?それで許しておしまいにするということになり、謝罪された側も気分よく終わることができると思います。ただ、日常生活以上の場合、謝罪しても意味がないと思うことがあります。例えば私の息子が他人のお子さんを怪我をさせたときなどです。そういう場合はやはり償い(経済的な償い)が伴わなくてはいけない、それが謝罪なのではないかと思いました。罪が大きくなればなるほど、償いは難しいですが・・・。

ちゃっぴぃさん、

先ほども書いた通り、問題の大きさによりますが、あとは本当に心からの謝罪かどうかということが大きいと思います。謝罪に限らず、何でも「心から」言動できる人が「よい人間」だとも思いますが。

ちゃっぴぃさんがおっしゃるように、謝ればいい的な日本的悪癖はそろそろ改善されるのでしょうかね。そうなって欲しいし、確かに今回の年金問題は民主党の追及のおかげで、まずまずのところには行っていますよね?でも最後はきっと「データがありません」で強い態度で突き放すんでしょうけど・・・。それにもし失った分を補填するとしても、それは国民の税金であって、使い込んだであろう人たちの責任の訴求とはならないのでしょうね・・・。それが問題です。そこに至るまでにまずは法の整備から始めなくてはならないのでしょうけど、それは過去の日本人のつけということなのでしょうね。

ショウミーは謝って、人に譲ってあげるということを学んだのはいいことでしょう。でもそれが高じて、謝ればいいのだと思うような日本人的発想は持ってほしくないなあと思っています。
もし一人っ子でも、親の姿勢でだいぶ違いがでると思いますので、意識して育てれば大丈夫ですよ、きっと。

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突然ですが 食事等についての質問です (ちゃっぴぃ)
2007-12-23 12:33:13
ケーキとか食べる時 色んな味を味見したい私は
(女性は欲張りなので 大概ソウだと思います)
同じケーキを買わずに違う種類を買って帰り
”1口”分けて欲しいって思うのです
しかし「各自のお皿に盛られた食物は『俺のもの』 何故分けなくてはいけない?」
と 物凄~い反撃に遇い 最初は一切分けてくれませんでした
(この観点に置きましてはホボ フレンズのジョーイ・トリビアーニ君です)
最近は シツコイ私のセイで 
彼の中でワンクッション置いて飲み込んだ後(笑)に
「どうぞ」って言ってくれたりします
これは国民性的性分の問題でしょうか?
pip君は独りっ子なのですが 兄弟が居ない彼自身の問題(笑)でしょうか?
(レストラン等でシェアする(お店に先に頼むのも含)のも 気に入らないそうです)

世代が上(戦後生まれ)のハーフ(アジア系)の独りっ子の方で
当人の誕生日に ホールケーキなのに娘さん達にも分け与えずに独り占めして食べてた
ってツワモノの奥さんに話を伺った時には 
上には上があるもんだなぁ…
と呆れを通り越し
エラク感心してしまいました
コレって本人の問題っていうより
教育方法のが原因? とも思っていますが…
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Unknown (halfkids)
2007-12-24 07:59:03
ちゃっぴぃさん、

あ、でもうちの夫も同じ傾向があります。デンマークではひとつのお皿を数人でシェアするというような習慣はありませんよね。まあ、デンマークに限らず、西洋はそういった傾向があると思いますが・・・。外国で、西洋人がシェアしている光景はほとんど見たことがないと思います。

でも私も他人のお皿が気になるのも事実。夫が食べているものがおいしそうに見えて、もらうことはよくあります。多分夫は日本に慣れていて、シェアすることや味見させることにそんなに抵抗がないうようなのですが、でも日本人みたいにどんどんお皿をまわして味見大会、あるいはレストランで家族以外の人とお料理をシェアするというのは考えられないようです。
あ、でも私達の場合は子どもがいるので、家族の中で分け合うことは当たり前になってきているかもしれません。ちゃっぴぃさんのご主人もお子さんがいたりしたら、きっとそうなると思いますよ。ついでにケーキなども分けるのが当たり前になってくれるかもしれませんね(笑)。
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