シンガポールのリー元首相が他界して、テレビでは涙を拭きながら会見をする姿を繰り返し流していた。それは先に独立を果たしたマレーシア連邦の仲間に入り、イギリスからやっと独立できたと思ったら、マレー人たちと対立した上に、マレー半島の先端の小さな島に事実上追放されてしまったからだった。
テレビでは彼のリーダーシップと経済成長の偉業を称えてばかりいたが、一体マレー連邦からなぜ追放されることになったのか、その背景にはどういったことがあったのかと言う点には、まったく触れていなかった。
シンガポールは多民族国家と言われるが、人口の75%弱は支那人で、その他、マレー人が13%、インド人が8%という構成で、政治経済は支那人が牛耳っている。
マレー半島は19世紀に入って英連邦の植民地となり、貿易を一手に支配し、ゴム園や錫鉱山など搾取の限りを尽くしましたが、そんな時重宝したのが華僑でした。マレー人に課税してその徴収を一手に華僑に任せ、労働者には疲労を麻痺させる阿片を売り付け、その担当も華僑にやらせたのです。
英国人の下で甘い汁を吸い続けていた華僑を、苦々しく見ていたマレー人たちには支那人にいい感情を抱いてはいなかったのです。リー元首相の自叙伝でも、日本の統治を反感を持って見ていた。イギリス人による統治の方をずっと高く評価している、と書いています。
そう言えば、ベトナム戦争が終結したときも、華僑たちが迫害を恐れて次々とベトナムを離れる「ボートピープル」が報道されました。華僑は、ジャングルの中でも人が住むところには必ずいて、多くは食べ物屋を営んでいます。日銭が稼げることと、元手が掛からないからだそうです。
そして、小金が貯まると金の指輪など、身につける装飾品に替え、一旦乱が起きればサッサとその土地を捨てて、別の土地に移っていくのです。
以前シンガポールで1年弱暮らしてみて、華僑のこういう独特な性質が、何となく理解できる感じがしたものです。
テレビでは彼のリーダーシップと経済成長の偉業を称えてばかりいたが、一体マレー連邦からなぜ追放されることになったのか、その背景にはどういったことがあったのかと言う点には、まったく触れていなかった。
シンガポールは多民族国家と言われるが、人口の75%弱は支那人で、その他、マレー人が13%、インド人が8%という構成で、政治経済は支那人が牛耳っている。
マレー半島は19世紀に入って英連邦の植民地となり、貿易を一手に支配し、ゴム園や錫鉱山など搾取の限りを尽くしましたが、そんな時重宝したのが華僑でした。マレー人に課税してその徴収を一手に華僑に任せ、労働者には疲労を麻痺させる阿片を売り付け、その担当も華僑にやらせたのです。
英国人の下で甘い汁を吸い続けていた華僑を、苦々しく見ていたマレー人たちには支那人にいい感情を抱いてはいなかったのです。リー元首相の自叙伝でも、日本の統治を反感を持って見ていた。イギリス人による統治の方をずっと高く評価している、と書いています。
そう言えば、ベトナム戦争が終結したときも、華僑たちが迫害を恐れて次々とベトナムを離れる「ボートピープル」が報道されました。華僑は、ジャングルの中でも人が住むところには必ずいて、多くは食べ物屋を営んでいます。日銭が稼げることと、元手が掛からないからだそうです。
そして、小金が貯まると金の指輪など、身につける装飾品に替え、一旦乱が起きればサッサとその土地を捨てて、別の土地に移っていくのです。
以前シンガポールで1年弱暮らしてみて、華僑のこういう独特な性質が、何となく理解できる感じがしたものです。