孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

打ち出の小槌を持った校長。

2015年03月26日 | 日記
大阪の学校で父兄から徴収した金をちょろまかして裏金を何億円も貯めこんでいた横領事件は、まったく呆れるばかりだが、余分に払った父兄は子供を人質に捕られているようなものだから、おかしいなと思っても何も言えない雰囲気だったのかもしれない。

ましてや、野球部に息子を入らせた父兄などは、我が子がもしかしたらプロ野球選手になれるかもしれないと、頭がのぼせてしまっているだろうから、それどころではなかっただろうと想像できる。成績のいいスポーツ選手を持つ父兄の逆上せぶりは、私の遠い親戚で実際によく見てきたので、決して想像に難くない。

学校のように閉鎖された職場で、3年もしくは6年で生徒が入れ替わっていく環境では、悪事がなかなか外にはばれにくいという環境なのだろう。事実定年退職した教員には、口止めのフランスの高級スカーフをプレゼントしたそうだ。その時の雰囲気は、口止めをされているような雰囲気だった、とインタビューに答えていた。

裏金作りお言えば、私の地元の県警でも以前、警官たちの悪事がばれてニュースでセンセーショナルに報道されたことがあった。いわゆるカラ出張や偽領収書による公費のちょろまかしで、何千万円も貯めこみ、慰労会や転任者への餞別などに使っていたという。

偽の領収証に押す様々な名前の三文判を数十本無造作に輪ゴムで留めて、引出しに入れてあった「担当者」の映像が流れていたが、彼も県警の警官なのだった。確かしでかした事に比べて、大したお咎めがなかったはずで、きっと今頃は、当時よりもっと巧妙に悪事を働いていることだろう。

あれほどいい思いを経験した連中である。一度ばれたくらいで改心するはずがないだろう。学校にしても、今回ばれちゃった学校以外で、冷や冷やして成り行きを見守っている学校関係者がいるに決っている。酒飲みは、ただ酒ほど旨いものはない、と言うではないか。

「侵略」「植民地支配」で正しい歴史認識を!

2015年03月26日 | 日記
「正しい歴史認識云々」が、ありもしなかったことに対して謝罪したり、賠償したりすることでないことくらい、当然な事だと思うのだが、そのありもしないことを、何度も何度も大声で言われると、ここは一旦謝罪して波を鎮めておこうと思うのが、日本人の悪い癖だと思う。

海外に出るとき、私は「外国では、何かあっても簡単に謝ってはいけないよ。特に自分が悪いかどうかはっきりしないときに簡単に謝っちゃうと、前部君の所為になるからね。」と、先輩諸氏から強く言われた。その言い方は、絶対に謝るなという意味ではなく、「簡単に」謝るな、という点に力点が置かれていた、と理解して胸に刻んだものだった。

アメリカ人は、人ごみで肩が軽く触れただけでもすぐに、「エクスキューズ・ミー」と口にするが、あれはあれで見習うべきエチケットだと思い、すぐに私もマネをした。

日本では、特に大人の、しかも年配の女性に多いようだが、会話の始めや終りに口癖のように、「ゴメンね」と言う人がいる。「ゴメンね。これ、ちょっとそこに置いといてくれる?」とか、「来週の火曜日は階段掃除の当番だからお願いします。ゴメンね。」とかいった調子で、激しい人は、前と後の両方に「ゴメンね」を入れたりする。「ゴメンね」の大安売りである。

政治家の謝罪も似たようなところがあって、その場を収めると言う意味の謝罪のつもりでも、言わせた方にしてみれば、これほど大きな成果はないのであって、言質をとった意味は極めて大きいだろう。河野談話だとか、村山談話だとか、一体なぜどういう機会にあのようなことを言ったのか、当時の記憶はないのでよくわからないが、その内容はどうも私は理解しがたい。

現政権では、近々安倍談話を発表する予定があるそうだが、「とりあえず謝罪」は勘弁して欲しい。「侵略」と「植民地支配」という言葉は必ず入れて欲しいと要求する人がいるなら、この際その二語を入れた、正しい歴史認識を堂々と公言すればよい。私ならこんな風にまとめるのだが、どうだろう。

「日本は70年前に、敗れはしたが大きな戦争を戦った。それは、16世紀から続いた欧米による南北アメリカ大陸の侵略・虐殺、そして卑劣な植民地支配がアジアまで及び、日本の安全と独立が脅かされんとしたときに、敢然と立ち向かった結果であり、このため東南アジア諸国が植民地支配から解放され、独立国家となる道を切り開くことになったのである。」