孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

自由の女神のプレゼント??

2015年03月29日 | 日記
自由の女神は、女神と言うからには女性だと思っていたが、実はそこははっきりしていないようだ。左手に独立宣言が掘られた銅版を抱え、右手にたいまつを高く掲げた銅像は、緑青で緑色に見える。

像の頭部の冠には7つの突起があるが、あれは7つの大陸と7つの海に自由が広がるようにという意味を表しているのだそうだが、あくまでも白人社会の論理であって、「自由・平等・友愛」だとかいう理念は、彼ら独特の理念であることを忘れてはいけない。

自由の女神が贈呈された当時は、アメリカは南北戦争が終わって間もないころで、奴隷制度こそ廃止されたのだが、アメリカ南部では、ジムクロー法という法律による黒人差別が1964年まで歴然と続いていたわけである。私たちが滞米中も、南部には決して行かないように、厳しく言われていた。

欧米の白人社会は、自由だの平等だの友愛だの、立派な理念を掲げながら、北米の先住民や南米大陸の先住民族を皆殺しにしてその領土を奪い取り、大航海時代にはインドからビルマからベトナム、マレー半島の東南アジアを侵略し、植民地支配して略奪の限りを尽くしてきたという事実がある。

7つの大陸と海に自由を広げるなどと、都合のいいことを言っても、それは所詮取って付けた理念であることがわかる。侵略された方にしてみれば、迷惑この上もないことだったろう。

1886年10月に自由の女神は台座も完成して、除幕式を行った。台座の中はエレベーターがあって銅像の中につくられた螺旋階段を登って、頭部の冠まで登ることができた。階段はかなり急だったが、せっかくだからと私も列に続いて登り始めた。

幅の狭い螺旋階段で、登りながら目を上に転ずると、何と女性の観光客がたくさん登っていくのが見えた。彼女たちはほとんどが、当時流行が定着していたミニスカートをはいていて、見たくなくても下着が丸見えだった。しかし、彼女たちはそれを承知で(だったと思う)、手で隠そうともせず黙々と同じリズムで登り続けていた。

思わぬ光景に、私は動悸を3倍くらい激しくしながら、少し得した気分で時々上を見ながら登って行ったものだった。


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