孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

三男の名前に「紘」の字・・・文句あるか?

2015年03月20日 | 日記
最近はどうなのか知りませんが、私が結婚した頃は、妻が出産の時に夫がその場に立ち会うということが、一種の流行だったようで、知り合いにもそれを実行した者がいました。女性の出産時の苦労を共感する意義があり、生まれてくる我が子に対する愛情が増すのだそうです。

しかし、私は初めから出産に立ち会う気はありませんでした。妻も嫌がっていましたし、夫婦でひーひー、ふーふー呼吸を合わせて練習するのをテレビで見て、単純にあんなことはしたくないと思ったからでした。

その代わり、男は妻の出産を迎えてやるべきことがあると考えていました。それは、生まれてくる子のために、いい名前をつけてやることです。私はどちらかと言えば晩婚でしたので、先に結婚して子を持つ友人たちに、どうやって名前を付けたのか、事前にさりげなく聞いてみました。

すると、神社の宮司に付けて貰ったとか、おじいちゃんが考えたとか、酷いのはお寺の坊さんに頼んだ奴もいました。戒名じゃないんだから、酷いことをするものだと思いましたが、実態は大体そんなものでした。

長男・次男と立て続けに生まれ、三番目も男だと予想して、三人に共通する漢字を一字名前の下に付け、上の漢字は三者三様の由来を考えました。分厚い漢和辞典と首っ引きで考えました。

三番目は、上の二人とは少し事情が違う点がありました。それは、妊娠したのが昭和で、生まれたのが年号が新しく変わった、平成でした。私は、名前には昭和を表す漢字を考えていました。だからと言って、「昭」とか「和」という字はありふれています。

昭和の出来事をあれこれ思い巡らしました。何度考えても、行き着くのが「大東亜戦争」でした。戦いには負けたとはいえ、数百年にも及ぶ西欧列強による悲惨な植民地支配から東南アジア諸国を解放するという、大貢献ををした誇るべき一大イベントであると私は考えています。

そして、このイベントを漢字一字で表すとしたら・・・。私はこう考えて、数日間色々悩みました。そうして出した結論が、日本書紀が原点の、「掩八紘而為宇」(八紘をおおいて、宇となさん)子の中の一字、「紘」でした。

昭和の日本人なら恐らく誰でも知っている、「八紘一宇」の「紘」です。

男のような女性?女性のような男?

2015年03月20日 | 日記
少し前から、テレビのバラエティー番組に、ちょくちょく性別がはっきりしない連中が顔を出すようになっている。どういう意図であの種の人間を登場させるのか、テレビ局の考えが良く理解できないでいるが、私はどうもアレが好きになれない。

生まれながらに、体は男でも精神は女性という人がいるそうだが、神様の手違いにしては随分悲しい出来事だと思う。作り直すことはできないだろうから、そういう人も何とかして生きて行く方策を見つけなければならないし、回りもその辺りを理解してあげなければならないだろうが、私は生理的に嫌悪感を払拭できないタチだ。

アメリカにで、一緒に行った仲間二人がサンフランシスコに遊びに行ったとき体験した話しを聞いて、笑い転げたことがあった。グレイハウンドのバスで市内に到着した彼らは、別に目的地があったわけではないので、ブラブラと繁華街を歩き回っていたそうだ。

ふと往来を行き来する人達を見ると、どうも男同士の二人連れがやたらと目に付いたそうだ。しかも、どのカップルも妙に仲が良さそうで、手をつないだりしている二人もいたそうだ。道路の反対側の歩道を見ても、同じ光景だった。二人は、ほぼ同時にハッと気がついたそうだ。

「そうか、この街はゲイの本場なんだ。」

お互い顔を見合わせて、その瞬間磁石の同じ極同士が反発するように、並んで歩いていた二人は左右にパッと離れたそうだ。

フィリピンに赴任したての頃、髪を短く刈り上げて赴任したにも関わらず、二ヶ月も放っておけばかなり髪は伸びて、鬱陶しくなってくる。先輩に散髪はどうしてるのか聞いたら、マニラに出たとき、ホテルの中にある外国人相手の理髪店に行くという話だった。

赴任先の田舎町にも何件か床屋はあったが、フィリピンの床屋はどこもオカマが散髪するものだそうだ。試しに覗いてみると、中からどぎつい化粧をして、真っ赤な口紅を引いた背の高いオカマが店先に出てきて、「ハーイ!」と声をかけてきた。

私は、顔が引きつって返事ができず、その場を足早に退散したのだった。同時に、あまりのショックに、とてもこういう所で散髪してもらう気にはなれないと確信したのだった。それ以来、ほとんど私はシャワーを浴びながら、慣れない手つきで鏡を見ながら自分で散髪することにした。

同僚は、ああいう人種を何とも思わず、面白がっていたが、私は神経質すぎるのか、生理的に受け付けなかった。現地の床屋をみんな『ローカル』と呼んで、マニラの外国人相手の床屋と区別していたが、散髪料金は、ローカルが日本円で100円程度なのに対して、マニラのまともな床屋では1500円~2000円ほどしただそうだ。

帰国してから、テレビで化粧をして女装をしている男性タレントを見るたびに、当時のフィリピンの床屋を思い出して、私は鳥肌が立つ二の腕をゴシゴシするのだった。