GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

うっかりし茶う

2007年01月23日 08時31分41秒 | 徒然なるままに
テレビの情報は基本的にもニュースすらも先ずは疑ってかかるというのが習慣になっている。

報道であろうとお笑い番組であろうと、視聴者が居てそれを見たいと思わせなくてはいけないわけだから今話題の「やらせ」や「捏造」でなくとも「演出」が入るのは当然のことな訳で。それがなかったらおそらくほとんどの番組はつまらない平坦な物になってしまうに違いない。

お笑い番組で有れば笑い声を被せる、客席に笑うことが上手な方達を用意する、編集しやすい芸人を登場させて面白いところだけを残す、まぁこれくらいのことは当然であろう。

食べ物のレポート番組や旅番組では偶然通りがかったように準備された店や人に出会う、そりゃいきなり店にカメラとタレントが入ってきてまともな対応の出来る人間など居るはずもないから当然なわけだ。

超大盛の料理にしたって普段よりは少しばっかり大げさな盛りつけにしてくださいよ的な要求はあるだろうし、食べる側も全部食べたようにしているがそんなことしていたら1日のロケでそうは食べられるはずもなくせいぜいテロップで「残りはスタッフが美味しくいただきました」と言うことにするくらいであろう。

健康情報番組も突出したデータを利用していかにも効果があるようにセンセーショナルに扱った方が翌日の関連ウエブデパートとの仕入れの問題もあるから、待ってましたとばかりに「ら」のつくサイトに商品がアップされるのを見てれば納得も行くというものなのだ♪

たまたま「うっかり」本気で信じてしまった視聴者が居たのが不幸の始まりで想像以上に商品が売れすぎてしまったり、なかにはちゃんと説明も覚えていないままとんでもない食べ方をして体をこわしたりする人が出てきちゃったら番組自体を「やめちゃえ」ばいいわけだ。

これだけテレビが日常にある社会なのだから常に視界の片隅に「この番組はフィクションです」と表示されているようでなくては正しい視聴者とは言えないってことなのか?野球中継やオリンピックも、もしかしたらすべてCGでつくられて放送されていたっておかしくはない。

ニュースやドキュメントだって都合の良い場面がそうはあるわけもなく、いわゆる「本人による再現」は当然だろうし制作者の思想・思惑にあうような都合の良い情報操作は行われるのは当たり前のことだろう。これまた、「うっかり」感動や憤慨をしてはいけないわけだ。

じゃあ何が本当のことなのかといえば、演出や誇張の中からこぼれ落ちるほんの少しの真実を見つけるしかないわけなのだ。おかしいよそれはと思えるだけの知識や情報でフルイを掛けて砂金のような真実を見つけるしかないわけだ。

でないと、子飼いの探偵に調べさせた個人情報を元に脅し文句を上手に利用して、見えない物が見えるというオチのないネタで笑いのないデブと黄色の漫才師が言うことを「捏造」とも「やらせ」との話題にもならないで「うっかり」この人は良いことを言う!くらいの騙され方もさせられてしまうのだよ、マジで。(言葉が良くたってダメだろ、詐欺師はみんなそう言うもんだ)

(ちなみに写真は関東地方某所より拝借してきて捏造した物です)
コメント (9)
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