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GSゲルマニウム原人の退屈な日々

見わたせば、気になることばかりなり・・

ブルースセッションでもどう?

バイクに乗ると言うこと。

2006年10月31日 00時06分20秒 | 体に良い事&悪い事
バイク歴は30年以上ある、自慢だが一回ももらい事故をしたことがない。つまり自分が転ぶとかミスったと言うことはあるが他人のミスによって事故に巻き込まれたことが無いというか、正確には無事に回避してきたと言うことだ。

おそらくバイクという乗り物くらい身内や家族から嫌われる物はないだろう、家族はほとんどできればバイクに乗って欲しくないと考えてるはずだ。それはバイクという乗り物が安全を犠牲に趣味性と利便性を得た乗り物だからだろう。
なにしろある程度のスピードで走行していなければ自ら立っていることができない物、走行すべき道路は分厚い鉄板に囲まれて1トンほどもある自動車という乗り物と、歩行者と同じレベルの服装でたった100キロ前後しかなくて肉体をむき出しにして走るバイク、これはどう考えても勝ち目がない勝負なのだ。

つまりバイクに乗ると言うことは毎日「覚悟を決めて」行かなくてはいけないほどの行為なのだと思う、がしかしそれを忘れて安穏とバイクに乗る人間がほとんどなのだろう。
しかしよく考えてみよう、仮にこちらが全く悪くない「もらい事故」であっても、ほんのちょっとあの1トンもある鉄のかたまりにふれただけで100キロ以下のスクーターなど簡単に吹き飛ばされ運が悪ければ死んでしまうのだ。

身を守る物は薄い布製の服、そこら辺を歩いているサラリーマンと何の代わりもない程度の靴、唯一それらしい防御グッズは「ヘルメット」これとて死ぬような事故が全身麻痺で済む程度の防御力しかない。運良く怪我で済めば状況を説明することもできるが万が一死んでしまえば仮に相手が100%悪くても「死人に口なし」なわけだ。

ではどうすればいいのか。

当然加害者側になることも考えられるわけだから任意保険加入は当然のことだ、また危険回避のためのきちんとした整備もこれも当然のこと。ブレーキやタイヤの状態をその日最初の乗車時にせめて意識して乗るくらいのことは自分を守るためには最低限のことだろう。

あとは、これは30年間のバイクライフで身につけた危険回避の方法だ。
ふつう原付の試験などでは常識とされている「キープレフト」つまり走行時は左端を走るという指導だが、実はこれが命取りなのだ。

自分が走行している「車線」では絶対に「キープライト」右よりを走るべきである。
道路というのは車が止まるとき、車線変更をするとき左端によるのは当然、問題はそれを突然思いついたようにする者がいると言うことだ、このとき左寄りを走っていれば追突することも考えられる。が、右端にいれば少ない動作で回避できるというわけだ。さらに、左の路地からの人や自転車、自動車の飛び出しも左端ならよけきれないこともある、が、右より走行では確実に回避できるのだ。
駐車車両の急な発進についても右寄りに走行していれば回避できる。しかも道路という物は真ん中ほど盛り上がっているから砂やゴミなどは左端の路肩にたまるのだ、するとその砂などでスリップ事故もあり得る。

そう、30年もらい事故無しの秘訣は「キープライト」これだけでずいぶん安全なわけだ。

さて、トップの写真は私が自爆事故で大破させた「カワサキ KR250」湾岸道路で170キロを記録したお気に入りのバイクだったが、ある日大転倒、火花を散らしながらすっ飛んでいくこのバイクを私は「きれいだなぁ~でも帰りはどうしよう」と冷静に思っていたのでした。もちろん通勤とは言え当時革のレーシングスーツで通っていた私は打撲のみでしたとさ。
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神宮寺ライブ

2006年10月30日 00時27分13秒 | 携帯から書くよ
浅間温泉でのライブはファミリークラブ松本本部&応援団と崔さん朴さんそりゃもう大勢の人たちの尽力のおかげで最後はウルウルの感動ライブになりました。

反省をしないPUPPYですが今後の課題も見つかったり、自分自身の演奏上気をつけるところを先日湘さんから「うすうす思ってはいたこと」をズバリ指摘されて、で、ソロの時にその辺を考えての演奏の結果……!
会場で販売したCDに私個人指名でのサイン依頼♪じつはものすごくうれしくって。湘様!本当に感謝!ケイちゃんからもほめてもらっちゃった(^^)v

リクエストでサンタナ「哀愁のヨーロッパ」のさわりをやったりジョニBグッドではステージからダイビングからダックウォーク、そして軽い捻挫……あはは。

本当に楽しくて、崔さんのMCはまたもや熱い熱い!

でもって、実は神宮寺にある丸木位里先生の十牛図やふすま絵をぴーんと張りつめた深夜の本堂で住職のご好意で朴さんと拝見させてもらい、実は涙が止まらなくなったその日の私でした。
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リハーサル

2006年10月29日 02時04分51秒 | 携帯から書くよ
と、称して遠近法遊び中です

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松本です

2006年10月28日 13時30分09秒 | 携帯から書くよ
アンダンテで満腹定食をいただいて今夜は浅間温泉でライブです。

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城南地区警報発令

2006年10月27日 08時32分42秒 | 徒然なるままに
我が家の冷蔵庫に若葉マークが貼られた。

ん?どうやら娘が教習所の卒検に合格したしるしに貼ったようだ、あと数日で期限切れという非常にヤバイ状態からの一発逆転合格か。
う~む、怖ろしい、これからうかうかと都内を運転していると怖ろしいことになるかも、あのがさつな娘がその辺を走っているのかと思うだけで(^^;)

私が車の免許を取ったのは1980年頃、ちょうど始めて勤めた印刷屋を退職して、その失業保険をもらっている期間にとったのだが、だから時間もあるしお金も保険が入ってくるしって事で案外らくちんだったのだが。

で、初めて買った車が「パブリカGT」もちろん新車ではなく10万キロすぎて距離カウンターが一周以上しているものだった。友人がそのまた知人から買って、それをまた私が30,000円で買ってという何重にも移動してきている車で、しかも名義変更もしていないので車検証の名義は見たことも聞いたこともない人だった。

パブリカGTは1977年が最後だったけれどいったい何年式なのかもよくわからない、ただこのあとパブリカ・スターレットに名称変更になる直前モデルによく似ていた。3連メーターや砲弾型のバックミラーなどなかなかの豪華装備で問題があるといえばクラッチを踏むと「にゃぁぁ~~」と猫の鳴き声のような謎の音がすること。あと床がベニヤで出来ていてそこに5㎝程の穴が空いていた、高速などで雨が降るとそこから水が逆流してくること、まぁそんな程度で流石トヨタのエンジンは非常に丈夫だったが、すでに、パブリカは世間で乗っている人がそうはいなくなっていた時代だったのでサービスエリアなどに入っていくと「お!パブリカじゃん」と憧れではなく「おいおい……」ってな反応をされるのがちょっと恥ずかしかった。

それでもこの車であっちこち行ったし、ぶつけても惜しくはないという感覚からか逆に無事故のまましばらく乗って、さすがに名義人が誰だか知らない人では車検をとるわけにも行かず廃車になった。
次に買ったのが53年式のカローラセダン、53年排ガス規制対応で史上最も性能が悪いと言われていた時代じゃないだろうか、まぁつまらない車だった。

そして初めて新車でカローラⅡを買って、結婚するまで乗っていたけれどなんとなく軽に乗りたくなってダイハツのクオーレターボを購入、そのあと子供が生まれてタウンエースにしばらく乗って、やっぱり大きい車は好きになれ無くってまたもやダイハツのミラに。で、シーカヤックを始めて船を運ばなくてはいけないからダイハツのパイザーというなんだか中途半端な車に変更、が、エアバックの故障でなんか嫌になって今のダイハツタント君になったというわけだ。

実際、車好きでも何でもないし雨露しのげて荷物がたっぷり乗って、普段履かない靴を下駄箱代わりに置ければ何でも良いということで今のタント君はなかなか気に入っている。

しかし、これからこの子をうちのがさつ娘がたまに乗るんだろうなぁ……いまの角張ったデザインが丸っこいデザインに変身していくのは予想がつくね、はぁぁぁ(-_-)
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ねぎま

2006年10月26日 08時36分22秒 | 美味しい?物とか
大田市場鮮魚棟で食べる魚介類!

なにしろ根っからの魚嫌いだからこういうところでイベントがあると「どうぞお好きなだけ食べてください」っと言われてもなかなか辛い事が多かったのだが。ここ数年少しは大人になって(おいおい、平均余命20歳強になってからかよ)刺身やある程度の海老も食べられるようにはなったのだが、例えばサンマや魚の入った鍋とかはまだまだハードルは高かった。

それはやっぱり魚臭いからで、それはよく言う生臭いって事なわけでそれって生臭い=腐敗臭なんだと思う。自分が肉好きなので解るが好きな食べ物はあんまりクセがないのもちょっと物足りなくなってくるので肉なんかはしたての物より熟成させてからの方が味が濃くなって美味しいよね、なんて言ったりするが魚好きの人はどうなんだろう?ある種の白身魚なんかはそう言う事はあるのかも知れない。水分が少し抜けて味が濃くなったりするんじゃないかと思う。

でも、やっぱり魚が苦手だからちょっとでも匂いがあると嫌なわけで、今回大田市場でのライブで始めて感じたんだけれど「市場」→「小売店」のあいだで時間の経過は結構あるんだろうし小売店での陳列方法やなんかにもいろいろで腐敗臭が増すのかと思う。つまり、大田市場でたべた魚介類が「生まれて初めて!」っていうくらい美味しかったのだ。(前回はまだ食べてみようと言う気もなかったので)

まづ、ホタテを焼いて醤油かけた奴!!刺身のホタテは食べられるけれど火が通ると急に嫌いに成ってしまう、これが市場で食べたのは刺身をそのまま食べてるんじゃないのと思うくらいに美味しい。イカの丸焼きも美味しい!でもって一番驚愕したのが「サンマの炭焼き」まさに刺身用のそれも河岸で仕入れたばかりの丸まるとした旬のサンマを炭で焼くだけの物、これがまぁ~~~~なんの臭みもない!単純に美味い。ワタのあった部分のちょっと黒いのが残っているところも臭くない。普段なら見た目で食べる気もしないのに見た目から食べたくなる鮮度!

こりゃぁ漁師達ってこんなのばっかり食べてるんじゃ魚嫌いなんかに成らないだろうなぁ……

葱鮪汁(葱鮪鍋)も江戸名物だけれど自宅でやったりしても美味しくは出来ないのだ。もともと江戸っ子のルーツには関西からの移住者が多くて実はかなりさっぱりした物・薄味な物が好物だった。特に大阪が本店で支店を江戸に持っていたような大店は主たる従業員を大坂から連れてきていたので日常の食事は完全に関西風だった。

当時からマグロや何かは食べられていたんだけれど日持ちしない上に脂っこいトロの部分などは廃棄されていたみたい。でまぁ捨てっちまうぐらいだから安く手に入るトロは庶民が食べる「下手=ゲテ」なものとして流通したらしいね。とは言っても薄味・さっぱりが好みだから大量のネギで鍋にして仕方なく食べていたって感じらしい。これって、赤身でやるとパサパサで美味しくないんだよね、多分今回市場で出してもらった物はカマトロとかそう言った所じゃないかな。
この手の脂こいものが食べられるようになったのは明治維新以降薩摩や長州の政治家が江戸にやってくるようになってからみたい。

まぁ、会場でいただいた葱鮪といいギャラの「本マグロ刺身」といい魚が苦手な人は「出来る限り新しい物」をたべれば結構大丈夫ってことだ。
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Vは敵討ちのV(vendetta)

2006年10月25日 08時34分11秒 | 徒然なるままに
そろそろ10/31ハロウィンの準備です。

一言で言うと、ハロウィンとは西洋版「お盆」のようなものですが。
英語で言いますと「Halloween」は、「All Hallows' Eve」ともいわれ、 キリスト教の聖人を祝う万聖節(All Saint's Day=11月1日)の前夜祭と言う意味ですね。

ハロウィンは「古代ケルト」と「古代ローマ」そして「キリスト教」の3つの文化が融合して生まれたもので、現代では宗教的意義は忘れられ、特にアメリカでポピュラーな民間行事として定着しています。

もともとハロウィンは、現在のイギリス・アイルランドに住んでいた古代ケルトの大晦日の夜に由来しています。
古代ケルトの暦では11月1日から10月31日が1年とされ、新年の11月1日は夏が終わり、暗く寒い季節に入れ代わるこの日、恐ろしい災いを引き起こす神々が人間の前に現れると信じられ、古代ケルト人は、この神々をなだめるためには、いけにえを捧げなければならないと信じていました。
さらにローマ人のブリテン島侵略によって古代ローマの「果実の収穫祭」が融合していったと言われ、次にキリスト教が伝来し、キリスト教のすべての聖人と殉教者を記念する11月1日の万聖節が中世のイギリスでは「All Hallows」として知られるようになっていきます。
この前夜祭がAll HallowsのEve、すなわちHalloweenですね。

新しい文化を受け入れさせるには、伝統行事を廃止せず、伝統行事に新しい意味を与えることで統合してゆく方がスムーズですから、万聖節をこの時期に したのはキリスト教(カトリック)の戦略とも言われています。

こうして長い歴史の中で、古代ケルトの儀式とローマの祭り、そしてキリスト教の万聖節前夜祭が混ざりあい、徐々に現在の世俗的行事、ハロウィンとなっていったのです。

アメリカでは アイルランド系移民が中心となって、ハロウィンの習慣がアメリカに持ち込まれ、19世紀に定着しました。初期の頃は、ハロウィンに便乗した少年や青年のいたずらがひどく、深刻な問題になったこともありましたが、徐々に仮装 してお菓子をねだる子供の行事という現在の姿に変化していきました。

大きなカボチャをくりぬいて中に灯をともした『jack-o'-lantern(ジャック-オ-ランタン)』(カボチャ提灯)を飾り、子どもたちが仮装をして「Trick or treat?」 (お菓子をくれないと、いたずらするよ) と言って家々をまわったりする主に子供の行事ですが、大人も仮装パーティーなどを催して楽しんでいます。
『jack-o'-lantern(ジャック-オ-ランタン)』も、もともとはアイルランド人のけちで酒飲みでずるがしこい男が悪魔との契約で魂を取る取らないと言うような伝説から来ているようでこの男が地獄からの帰りに道に明かりとして持っていたのが「蕪(カブ)」でつくった提灯だったそうです。それが死者のシンボルと変化していき、アメリカにこの伝説が伝わった時点でアメリカ産の大きなカボチャで造るようになったと言うことですね。

逆にイギリスの場合、イギリス起源であるにもかかわらず、ハロウィンはアメリカからの輸入行事のように受け止められています。
実はイギリスでは、11月5日のガイ・フォークス・デーの方がはるかに一般的です。
ガイ・フォークス・デーとは1605年の国会爆破未遂事件、カトリック教徒のガイ・フォークスらが、プロテスタント政権(ジェームズ1世)に不満をもち、国王の暗殺をねらって国会議事堂を爆破しようとしたが、11月5日に事前に発覚し未遂に終わった事件がありました、日本の大塩平八郎とか由井正雪のようなものでしょうか?(ガイは翌年首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑で処刑)。この「ガイ」が語源で「タフガイ」など男性に使われる呼び名にもなっています。

この日を記念して、花火をあげ、大きなかがり火をたいてガイ・フォークスの人形を焼くという行事が行われるのがガイ・フォークス・デーです。11月5日が近付くと、子供たちはぼろ布などでガイ・フォークス人形を作り、"Penny for the Guy?"(ガイのために小銭を)と通行人にねだります。
また、最近ではハロウィンもごちゃまぜになり、"Treck or treat? "と言って家々をまわり、お菓子や小銭をあつめたりする子供もいます。

今となってはお祭りとして日本などでも盛り上がっていますが、もともとはこんな意味や伝説があるそうです。
せっかくですから、ちょっと知っておくのも良いんじゃないでしょうか?

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亀戸餃子本店

2006年10月24日 08時05分55秒 | 美味しい?物とか
週末に亀戸餃子に行ったのだ。

結構若い頃からこの亀戸餃子には行っているのだけれど、どんどん開発が進んで綺麗に整理整頓された街になっていく亀戸錦糸町でもこの餃子屋のある路地だけは「昭和」それも30年代が残っている感じなわけだ。

亀戸餃子はここを本店に両国や錦糸町にもあるのだけれどこれらの支店はラーメンや炒飯もある普通に近い(あくまで近い)店だけれど亀戸の本店はこれはもうものすごい!

メニューは食べ物としては「餃子」だけ。

あとは日本酒とかビール、烏龍茶、それと中国のお酒高染酒・五加皮酒・白乾・杏露酒・老酒など。要するにライスすらないのだ。餃子を焼いて配膳して歩く道の回りにぐるっと回っているカウンターと壁際の縁側のような座敷のみ、昔から結構行列の出来る店だったけれど先日は4人程並んでいた。夕方だからしょうがないね、みんなお酒をガンガン飲んで餃子をひたすら食べている。

システム的には座れば黙って一皿が目の前にやってくる、で、おばちゃんが「もう一枚行く?」と聞いてくるのだけれどこの時すでに二枚目は勘定の内なわけで、もう一枚というのは三枚目のことなのだ。そう、座れば餃子二枚、これがこの店のスタンダード、一皿250円で5個入りの餃子二皿から全てはBegining。飲み物は飲むならビールとか言えばいいけれど必要なければ「なし」とか「水ちょうだい」っていえばドバドバって注いでくれる。

基本的に非常にさっぱりした餃子でほとんど具は野菜、少し肉という感じでつるつるした皮に包まれていて、ニラやニンニクの気配はほとんど無い。言っては悪いけれど「ものすごく美味しい!」という訳ではない。ただ、熱々の餃子が次々と言えば出てくる、飽きのこない味付け、この店の特徴で醤油用の小皿には練りカラシがセットされている。あとはお好みで醤油やラー油なわけだけれどここ最近は「餃子にはお酢でしょう教」に入信したのでお酢+練りカラシ途中からラー油追加で4枚皿を積んだのだけれど逢えなくダウン。残った分はお持ち帰りにしました、ちなみに焼いた物焼かない物どちらもテイクアウトはあります。

注意事項としてここで普通にビールって頼むと大瓶が出てくるのだ、いやぁうっかりしたこれだけで満腹になってしまう。小瓶をチョイスしなくてはいけないところだった、なにしろ若い頃やバイク通勤の途中下車で店には来ていたから餃ビーをここではやったことが無くって餃コークが日常だった物だから……。

この店が良いのはひたすら餃子を焼いて客席に届けて客をさばいているおばちゃん達がものすごく元気で楽しいこと、餃子と一緒に元気ももらえるような店なのだ。それだからたった一種類のメニューだけで何十年も営業していられるんだよなぁ。
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誰が言う~自分で言う~

2006年10月23日 08時08分46秒 | 携帯から書くよ
多分、自分ではそうは思っていなくても「最近の俺」ってこんなじゃないだろうか?

毎日体重は量るけれど基本的に「60キロ」前後で変化はない、で体重計に内蔵されている体脂肪計では「23%」くらいでこれも変化がない。でも、あった人からは痩せた?的な扱いをされる事も有ったりで、要するにこの絵のように顔や腕、足の筋肉量が落ちて皮下脂肪も重力には逆らえなくて全部お腹の周辺に集まってしまった……もともと足には皮下脂肪なんてほとんどついていなかったから筋肉が落ちた事によって足も貧弱に、脂肪は少しでもお友達のいる場所に集まりたいのかお腹まわりに集中して幸せに暮らしているようだ。

たしかに音楽をやったり楽しいドーパミンが出る機会が多いせいなのか新橋の駅前で酔っぱらってインタビューされていたり、ニュースに出てくるような事をしてしまった同じ年代の人たちよりは若干若いかなぁとは思いつつも明らかに実態は「最近の俺」なのだ。
べつに、いま流行の「ちょいわる親父」なんかには成りたくもないけれどもう少し何とかしなくちゃなぁとも思わないわけではない。

しかしあのチョイ悪親父、本当に流行ってるのか?

ものすごくダサイって思うんだけれど……確かにイタリア人のモデルさんやフランス人の俳優さんならそりゃ、そうでしょ顔の作りがギリシャローマ神話なんだからって思うわけ。
多くの日本人はダビデ像やアポロンみたいな顔じゃ無くって金○○将軍様のほうに近い顔してるんだからさ縦縞のダブルのスーツなんか着て白のハット被ったって格好良くなんか成るわけがない。
それは「ニキータ」って奴だって同じよ♪やればやるほどデビ夫人だっての(^_^;)

日本人丸出しなんだけれど格好良いってだれかなぁ

難しいよね、誰って事はないんだけれど~~

え、PUPPY WALKERのおっさんたちって「自分で言うのも何だけれど」とは言え「だれも言ってはくれないけれど」なんだけど、案外かっこよくない?えへへ。

ライブやってる時限定だけれど、このまえ子供が友達を連れて聴きに来てくれたけれど「恥ずかしいやめてよ!」とは言わないと思うんだよなぁ。「そんな曲知らない」とは言われるかも知れないけれど「○○ちゃんのお父さん、キモ!」っては多分言わないと……思いたいんですが、でも、裸になれば「最近の俺」なのだ、う~ん、皆様いかがお過ごしでしょうか?

そんななか9月以降7本目だか8本目だかのライブを終えて、今のところ年内あと5本以上はある事でしょう(^^;)
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今年は

2006年10月22日 11時48分15秒 | 携帯から書くよ
天気もいいし去年の三倍以上の人出でおいしい食べ物も売切れ続出!
やりがいがあります(^0^)/

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