この年末一気に忙しくなった訳は。
そもそもは…どうやら今年の震災にあったらしい。
まだ、そこそこ82才なりに動けていた母は外出中地震にあって腰を抜かしてからすこし調子がおかしくなった感じでした。足腰が弱って和室での生活が不自由になって、ニトリでテーブルや新しいベッドを購入。
外出はかたくなに手押し車を拒否して杖での生活でした。(無理があった気がします)
その後夏から秋にかけて段差の多い実家をリフォーム、生活しながらキッチンや浴室・トイレのリフォームで体もまいったことだったでしょう。
リフォーム完成後、医者の言うことをちゃんと聞かず…自分の排便状況を下痢と思い続け(実際はそうでもなかった)かってに食べる量を制限してどんどん栄養失調常態に。
結果、筋力は更に落ちガリガリになり自分で立つこともままならなくなって外出時は車いすに。
うちの奥さんは実にがんばってくれて、遊びほうける私を横目にトイレやお風呂、食事の介護までパートをしながら本当によくやってくれました。
介護士の娘も手伝える時は入浴介護をしてくれたり、息子も食事の介護を上手くやってくれたり…遊び続ける私以外は本当に素晴しい家族です。
そしていよいよ衰弱しきって、プロの介護に任せようと…その辺の経緯は過去の日記でも書きましたが本人からも予算はあるからホームへ入ると言うので色々さがしていると偶然地元のホームのチラシが我が家のポストに。
今月26日に入所。
なんと、この偶然入所したホームにはお世話になった親戚も入所していて予想外の再会も出来て。
久しぶりにゆっくりお風呂にも入り、お腹も空いたという発言も飛び出し27日にはおやつも食べたそうです。
そして28日の朝…謎のバイタルの急低下!意識不明でホームから東邦医大に救急搬送。すでに冬休みに入ってる姉が駆けつけ、パート先からうちの奥さんも駆けつけ。
私は休みの社員も多い御用納めの最中だったので、申し訳ないけれど今夜は無理ときっちり仕事して、帰宅後年明け早々電気等ストップする予定の実家の冷蔵庫の生もの掃除に集中して気を紛らせて。
翌日29日、医者の説明もあるというので朝から病院に、2~3日で逝ってしまう可能性もありますとの事でしたが、積極的延命処置無しでお願いしますと家族の希望を伝えました。
本人もこの12月に入ってからよほどつらかったのか本心ではないものの本気で「もう死にたい」と言い張ってました。
12月はオヤジの誕生日でもあるのでその辺の意識もあったのかも知れません。
そして29日の午後2時25分自力呼吸していた母は突然すべてのバイタルをOFFにして逝ってしまいました。(姉が立ち会いました)
ここ数ヶ月の母の常態、つらそうな生活、正直生きる気力の低下を目の当たりにしてきて、それを介護する家族の疲労度もただ事ではない状況はわかっていたので、言って良いこととは思わないけれどお互いの為にこれで良かったなと思ったダメ息子です。
たった数日のホームでしたが地元で、しかも偶然の再会もあり最後の数日優しい介護と入浴・食事などお世話してもらえたことも良い運命だったのかもかってに思ったりもしてます。
仏壇にしまってあった短い遺言には「家族葬」で行うようにと、お知らせのハガキの文面まで用意されていて、いかにも手紙好きの母らしいなと遺影用の写真を探しながらつい笑ってしまいました。
この年末のことなので葬儀などをちゃんとやると来年1月6日以降成ってしまうとの状況ですので、明日の31日大晦日桐ケ谷斎場にて荼毘にふします。
我が家とうちの奥さんの実家の家族だけで火葬のみです。
後日、納骨の時に菩提寺で法要はするつもりですが、コレも近親のひっそりとしたもので行うつもりですのでご容赦願います。
この年末年始の休み中なので家族全員「仕事」にまったく支障を来さず♪あえて誰に報告することもなく静かに進めていくこととなりますが、その辺も根っからの働き者だった母なりの気配りじゃないかと私なりに思っております事、ご理解頂けたらありがたいです。
浄弌登照善大姉(享年84才)
ま、あっけらかんとしているバカ息子&その家族がココに
近所のおばさんに「おおらかで良いね」と言われちゃいました♪あはは
そもそもは…どうやら今年の震災にあったらしい。
まだ、そこそこ82才なりに動けていた母は外出中地震にあって腰を抜かしてからすこし調子がおかしくなった感じでした。足腰が弱って和室での生活が不自由になって、ニトリでテーブルや新しいベッドを購入。
外出はかたくなに手押し車を拒否して杖での生活でした。(無理があった気がします)
その後夏から秋にかけて段差の多い実家をリフォーム、生活しながらキッチンや浴室・トイレのリフォームで体もまいったことだったでしょう。
リフォーム完成後、医者の言うことをちゃんと聞かず…自分の排便状況を下痢と思い続け(実際はそうでもなかった)かってに食べる量を制限してどんどん栄養失調常態に。
結果、筋力は更に落ちガリガリになり自分で立つこともままならなくなって外出時は車いすに。
うちの奥さんは実にがんばってくれて、遊びほうける私を横目にトイレやお風呂、食事の介護までパートをしながら本当によくやってくれました。
介護士の娘も手伝える時は入浴介護をしてくれたり、息子も食事の介護を上手くやってくれたり…遊び続ける私以外は本当に素晴しい家族です。
そしていよいよ衰弱しきって、プロの介護に任せようと…その辺の経緯は過去の日記でも書きましたが本人からも予算はあるからホームへ入ると言うので色々さがしていると偶然地元のホームのチラシが我が家のポストに。
今月26日に入所。
なんと、この偶然入所したホームにはお世話になった親戚も入所していて予想外の再会も出来て。
久しぶりにゆっくりお風呂にも入り、お腹も空いたという発言も飛び出し27日にはおやつも食べたそうです。
そして28日の朝…謎のバイタルの急低下!意識不明でホームから東邦医大に救急搬送。すでに冬休みに入ってる姉が駆けつけ、パート先からうちの奥さんも駆けつけ。
私は休みの社員も多い御用納めの最中だったので、申し訳ないけれど今夜は無理ときっちり仕事して、帰宅後年明け早々電気等ストップする予定の実家の冷蔵庫の生もの掃除に集中して気を紛らせて。
翌日29日、医者の説明もあるというので朝から病院に、2~3日で逝ってしまう可能性もありますとの事でしたが、積極的延命処置無しでお願いしますと家族の希望を伝えました。
本人もこの12月に入ってからよほどつらかったのか本心ではないものの本気で「もう死にたい」と言い張ってました。
12月はオヤジの誕生日でもあるのでその辺の意識もあったのかも知れません。
そして29日の午後2時25分自力呼吸していた母は突然すべてのバイタルをOFFにして逝ってしまいました。(姉が立ち会いました)
ここ数ヶ月の母の常態、つらそうな生活、正直生きる気力の低下を目の当たりにしてきて、それを介護する家族の疲労度もただ事ではない状況はわかっていたので、言って良いこととは思わないけれどお互いの為にこれで良かったなと思ったダメ息子です。
たった数日のホームでしたが地元で、しかも偶然の再会もあり最後の数日優しい介護と入浴・食事などお世話してもらえたことも良い運命だったのかもかってに思ったりもしてます。
仏壇にしまってあった短い遺言には「家族葬」で行うようにと、お知らせのハガキの文面まで用意されていて、いかにも手紙好きの母らしいなと遺影用の写真を探しながらつい笑ってしまいました。
この年末のことなので葬儀などをちゃんとやると来年1月6日以降成ってしまうとの状況ですので、明日の31日大晦日桐ケ谷斎場にて荼毘にふします。
我が家とうちの奥さんの実家の家族だけで火葬のみです。
後日、納骨の時に菩提寺で法要はするつもりですが、コレも近親のひっそりとしたもので行うつもりですのでご容赦願います。
この年末年始の休み中なので家族全員「仕事」にまったく支障を来さず♪あえて誰に報告することもなく静かに進めていくこととなりますが、その辺も根っからの働き者だった母なりの気配りじゃないかと私なりに思っております事、ご理解頂けたらありがたいです。
浄弌登照善大姉(享年84才)
ま、あっけらかんとしているバカ息子&その家族がココに
近所のおばさんに「おおらかで良いね」と言われちゃいました♪あはは